懐かしい

私もみどさんと同じくらいの時期だと思いますがいきました。そのときはまだポト派が時々でる湖を船で行くと10ドル、飛行機で行くと50ドル、さああなたはどっちにする?という時期でした。まだ学生だったので勿論安い船で行きましたが、結局海賊はでませんでしたけどね。

プノンペンで泊まったキャピトルホテルのそばに日本人旅行者のアイドル?ミポリンもいましたね。まだいるんでしょうか(笑)?

シェムリアップのゲストハウスも当時は番地で呼ばれてました。そのとき同じゲストハウスに泊まった日本人とカブをレンタルして遺跡内を廻りました。正面から行くと入場料を取られるので、回り道だけど横からタダで入りました(もう時効ですよね(笑)。

私も印象に残っているのは

アンコールワット、
アンコールトム(バイヨン)
タプローム
バンテェアスレイ

です。バンテェアスレイはまだ周辺にポト派がでる+地雷が埋まっているためツアーを組んで警官が一緒について来てたと思います。周りは赤いドクロマークの警告がでてました。地雷もそこで地雷処理をしている人が見せてくれました。爆破もしてました。

それからアンコールワットにはいってませんが、栄えているみたいなのでまたそのうちいってみようかなと思っています。

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1件のコメント

  • チェンラは「360」と、番地で呼んでましたね(笑)。

    いなかっぺさん、どーも。

    >>そのときはまだポト派が時々でる湖を船で行くと10ドル、飛行機で行くと50ドル、さああなたはどっちにする?という時期でした。まだ学生だったので勿論安い船で行きましたが、結局海賊はでませんでしたけどね。

    僕は「Lonely Planet」を持って行ったので、
    それに、「ボートは陸から銃撃を受ける」とあったんじゃなかったかな。

    時間もなかったので、
    プノンペンからシェムリアップへは、
    往復飛行機で行きました。
    カンプチアエアで往復90ドルでした。

    あのころはチェンラも平屋建てで、
    番地の「360」と呼んでましたね。

    それから、みぽりんの話ですね。

    http://tabi.yumenogotoshi.com/kakeashi/kake19.htm
    >>その時、「中山美穂を見て来ましたよ、西本さん」と声がした。
    >>見ると、バンダナ君だ。

    この話は、プノンペンでベトナムのビザを取るところまで書いて、
    放ってあります。

    タイ・カンボジア・ベトナム駆け足旅行記(1994)
    http://tabi.yumenogotoshi.com/kakeashi/kakelist.htm

    いつかは1994年のシェムリアップについても書かなければならないと思ってるんですけどねー。

    遺跡としては昔の方がよかったですよ。
    いまはとにかく人が多すぎますからね。

    みどりのくつした

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    Re: チェンラは「360」と、番地で呼んでましたね(笑)

    みど先生、どーも!

    >僕は「Lonely Planet」を持って行ったので、
    >それに、「ボートは陸から銃撃を受ける」とあったんじゃなかったかな。

    それは知りませんでした。知らぬが仏ですね(笑)。ちなみにガイドブックも持っていかなかったですよ。日本語のカンボジアガイドなんてない時代でしたからね。その頃はホントに何にも考えずに行動していた時期です。ただ、アンコールが見たいだけで行きました。バンコクからのプノンペン行きカンプチアエアの中で日本人旅行者を発見し、キャピトルに一緒に行きました。そこで情報を収集し、シェムリアップへ。シェムリアップの宿につくとそこにはすでに詳細なアンコールの日本語の説明入りの地図がありました。これには驚きましたね。

    >遺跡としては昔の方がよかったですよ。
    >いまはとにかく人が多すぎますからね。

    同感です。観光地になる前の観光地がいいですね。