青島最後の昼餐は水餃子。青島路地裏風景。 公共汽車(市内バス1元)で、中山路へ。 海岸の手前でバスを降りる。 帰りのバス停を確認。 生命線だ。 食事は通りを入った「北方餃子」という小綺麗な店。 「スイギョ」というと、色々あるらしい。 10元で頼む。 ビールも頼む。 冷たいのと常温があるという。 冷たいビールを頼む。 水餃子は皿に大盛り。 全部食べたが満腹。 回りを余裕で観察。 隣のはではで母娘。 水餃子二皿ぱくぱく食べている。 立派だ。 店を出て、はらごなしに路地裏散策。 久しぶりに写真を撮ることにした。 昨年歩いた青島の住宅街とはずいぶん違う路地裏だ。 表通りに出る。 百貨店をぶらりとあるく。 そして得意のデパ地下へ。 何とクレジットカードが使えるという。 何でもやってみたいみなみやま。 緑茶を買う。 8元。 係の女性服務員は、それでもカード払いはいいという。 彼女に連れられて、レジへ。 そこで、支払いをした。 調子に乗って、船での食料を買い込む。 今度は食品レジへ。 レジの子はカードを出すと、レジのゲートを閉めて 対応してくれる。 回りの服務員が様子をのぞきにくる。 珍しいのだろう。 まるで客寄せパンダだがなぜか目立つのが嬉しいみなみやまだった。 帰りの公共汽車で間違いなく、青島港客運站に戻れた。 さて、いよいよ中国出国である。
青島港客運站。そこは、コリアンワールド。 大港の青島客運站。 すぐ近くには、現在高層のツインタワーが建設中だ。 これがフェリーターミナルのある大港の目印になるだろう。 建物の中へはいる。 高い天井。 薄暗い構内。 そこに乗客がずいぶん集まっていた。 会話はハングルが飛び交っている。 多いのは韓国の旅行者。 そして、韓国へ渡る中国籍のコリアンだ。 外国人は、見る限り白人が3人。 一人はフランス人女性。 一人旅。 もう二人は韓国在住のアメリカ人男女。 ソウル近郊の小さな町の学校で英会話を教えているという。 中には、これから韓国の大学に留学するという女子学生も二人いたけど。 とにかく中国は多民族国家。 中国国籍のコリアンも200万人。 多いのは東北地方だが、山東半島や遼東半島にも多く在住するという。 従って、親戚や知り合いを訪ねての行き来も多いようだ。 飛行機と違い、そこには庶民的なにおいがむんむんしている。 韓国と中国はこんな形でも深く繋がっているということを実感できた。 日本と中国との関係とはずいぶん違う深い関係があるのだと。 そして、男女の運びやさんたち。 荷物が多いのが特徴。 そんな彼らに対して、客運站の服務員やイミグレーションの職員は冷たくうつる。 列に並んで、チケットの半券を女性服務員がちぎるのだが、出国税の支払い事前に必要だ。 みなみやまは、しっかり出国税を払っておいた。 何人も改札で戻されるのだ。 親切には教えない。 そんな雰囲気が伝わってくる。 イミグレも、中国籍のコリアンに対しては厳しい。 かなり時間を取られるようだ。 そんな雑踏の中を中国籍でもない、韓国籍でもない第三国の人間として 見ていた。 イミグレを出ると、バスが待っている。 バスに乗って、威海フェリーの岸壁まで。 そこからタラップで船内へ。 エスカレーターで案内口へ。 部屋は指定席だが、船のずっと後部。 二段ベットの大部屋だ。 エコノミーは、大部屋方式の広間の部屋もあったが小学生の団体が入っていた。 その部屋には、あの運び屋のアガシもいて、さっそく相手をしてもらった。 居場所も出来た。 彼女たちは、荷物の片づけに忙しく立ち働いていた。 一族でやっているようだ。 やがて、床に食材をひろげて彼女らの夕食が始まった。 完全な韓食だ。 室内はキムチのにおいが広がる。 あとは出航を待つだけ。 やがて、出航の時間が来た。 デッキに出て、出航の様子を大勢の船客と共にしばらく見ていた。
中国から韓国仁川港への船旅。 やがて、ゴールデンブリッジⅡ号は、岸壁を離れた。 タグボートが、軽々と大型フェリーを動かしていく。 そして、フェリーは自力で航海を始めた。 大港を出て、東へ進路を取る。 次第に離れていく陸地。 チンタオの高層ビル群が良く見える。 小港(輪渡)から、小型のフェリーが対岸の工業地帯まで数隻航路を描いている。 途中で中国の軍艦とすれ違う。 しばらくは青島の景色を眺めていた。 あっという間の中国の旅は、今終わろうとしていた。 ずいぶん、一途に中国華北を列車で走ったものだ。 中国の旅は、やはり日程に余裕が要るということが良く分かった。 しかし、金では買えないもの、飛行機や高級ホテルや中華レストランとは全く無縁の旅行だったのは確かだが、いろんな人たちとの出会いを楽しめた旅行だった。 フェリーの中でも、単身赴任の韓国人のアジョシと食事を一緒にする事が出来た。 中国人女子学生や韓国在住のアメリカ人講師、それから、 運びや(以前は担ぎやと言っていたような)のアガシにも世話になった。 バックパッカーの日本語が上手な韓国人女性には、ラオス旅行を勧められた。 まあ、退屈することなく航海をすごした。 翌朝、フェリーは仁川港に。 と思ったら、金橋号は、校門式のゲートを通過しなければ港内に入れなかった。 航海は遠浅で干満の差が大きいのだった。 1万トンクラスの船が、ゲートを使って数メートル持ち上がるのには驚いた。 韓国入国はスムーズに。 しかし駅までの足がない。 バス道路まで出たが、二人ずれの韓国人ビジネスマンに拾われ、タクシーで東仁川駅へ。 そこから地下鉄1号線に乗る。 サテ次は、ソウル市内へ。 まだ旅は終わっていない。 しかし、韓国に入ると何か安心してしまうみなみやまだった。 (了)