泰安から列車で済南へ、そして高速バスで深夜青島に到着する。

泰山 16:09開 N478次7元 新空調硬座快速 済南16:59到

すぐに、行動に移した。
まず、切符を窓口で並んで買う。
すぐに、切符は買えた。
この列車は、日照西発済南行き短距離の快速だ。
一駅で終着となる。
それでも50分はノンストップ。
泰山の硬座室(待合室)を紹介しよう。
作りは基本的に同じだが、泰山駅は古い部類。
侯車室は2階にある。
天井がやたらと高い。
侯車室の前方に喫煙室。
まだ、勝手にタバコを指定以外で吸う人も見かけるが、
中央の指示は、津々浦々まで鉄道を通じて徹底されると思った。
しかし、中国の喫煙人口は多い。
従って、喫煙室はいつも満員だ。
構内全面禁煙には出来ないが、
さすがに分煙化の波は、中国でも進んでいる。
これが今の中国の分煙状況。

列車は、少し遅れるとアナウンス。
漢語不明白!だが、さすがに、1週間も一人で旅をしていると、
わからない言葉のわかったつもりになってしまう不思議さ。
改札が始まって、ホームへ。
到着した列車は、2階建て列車。
10年前上海で乗った軟座の当時の新型車両。
乗っている乗客は、地元のおじい、おばあが多いが、何か遠足気分で嬉しそうだ。
自前の食事をしたり、カップ麺を若いカップルが二人で食べたり。
しかし、トイレに鍵がかかっていたのには閉口した。
とにかく、この列車は、済南まで100㎞以上のスピードでひたすら50分間走り続けた。
この路線では、バスより安くて早くて快適な旅が出来る。

7時過ぎには、済南火車站 に着いた。
済南站の出口は、一階ではなく地下1階だった。

地上に出ると昨年の記憶がよみがえる。
火車站 前は、昨年工事中だった整備がすすんできれいになっていた。
本当は、済南に1泊しても思ったが、火車站 前の長途汽車站も場所がわかっていた。
列車で6時間かかる済南→青島も、バスの方が早く着く確信があった。
とりあえず、高速バスに乗ろうとターミナルまで移動した。

この汽車站は、少し様子が違う。
道路に面して電光掲示板が行き先と時間を表示。
そのしたに、大型バスと中型バス、ミニバスが混在して泊まっている。
全面に侯車室はない。
従って乗客はそのままバスに乗り込む方式だ。
ちらっと青島行きバスが出るのを目撃した。
おそらく19時過ぎ発のバスか?

とりあえず、青島行き新しい中型バスに乗る。
「え!」
切符をもらうと20時40分発だった。
夜中に青島に着く!!
しかし、動揺はなかった。
たいした自信である。
その顛末は?









  • いいね! 0
  • コメント 1件

1件のコメント

  • 青島に零時過ぎに着く。

    青島は昨年夏1日だけ滞在した。
    観光地は回っていないが、街中を市内バスでうろついたので、土地勘あり。
    あとは、泊まる場所だが・・・・・。
    まあ何とかなうだろう。

    ところで、済南から青島だが、鉄路より高速バスの方が確実に早い。
    それは、山東省が高速公路が早く開通し、長途汽車もサービス競争がいち早く導入されたと言うことを知っているからだ。

    タダ、発車時間が8時40分とある。
    1時間は有にある。
    しかし、それよりも早い時間にバスは発車するという予感はあった。

    みなみやまの知りうる長途汽車の状況について。
    これまでの中国の有名なバスシステムは、乗客を確保してから、バスは出発をするようだった。
     最近のシステムは、昨年における経験は、逆に、コンピューター発行のバス券は定員を過ぎると切符を売ってくれないと言う官僚的システム。
    昨年は青島から緊急に威海に戻るのに、「没有!」に対して事務所に泣きついたら、払い戻しされたバスチケットを回してくれた経験を持つ。
    つまり、時間も遅いので、満員になったら発車時刻前でも発車するはずという予感がしていた。
    その予感が的中した。
    タダ、さすがに、青島まで高速バスが何時間かかるのかは知らなかった。

    バスは、予想通り、8時過ぎには発車した。
    すぐに高速道路に入り、そのまま暗い高速道路を快調に走り出した。
    節電のためか、高架道路の高速公路のナトリウム燈は消灯している。
    少々危険だが。

    途中トイレ休憩はあったようだが、高速バスはひたすら走り続けた。
    みなみやま的には、相変わらず長時間列車の後遺症で、「おしりが痛い」。
    とにかく早く、バスの座席から解放されたい一心だった。

    しかし、高速バスの旅は長く感じられた。
    青島に近づいて、経験したのは、途中下車の方法だ。
    高速公路が高架部分が多いのだが、高速の出口まで行かず、分岐でバスは停車。
    降車の乗客は、そこから平地まで自力で徒歩で降りるのだ。
    危険といえば危険だが、便利といえば便利。

    深夜なので、バスは青島長途汽車站より手前で高速公路を降り、バス道路沿いに何カ所かで乗客を降ろし、5時間あまりで青島長途汽車站へ到着した。
    時間は1時前だったと思う。
    青島長途汽車站と青島火車站 はかなり距離が離れている。
    まず宿泊場所を探す必要が。
    しかしこの時間、タクシーの客引きはあっても、宿泊所の客引きはさすがにもういなかった。
    これは誤算だ。
    思い切って、道路を挟んである四方大酒店のフロントに行くことに決めた。
    道路を仕切る中央線の金網をよじ登り、道路を渡る。
    ここまでくると何でもありだ。
    とりあえず、ホテル内にはいる。
    フロントは開いている。
    しかし表示の値段が高い。
    「貴!」(高い)
    しかし、フロントの若い女性は、リャンバイクアイ(200元=3000円)!と。
    少々高いが良しとしよう。
    即決。
    100元の押金を払い、2階の部屋へ。
    服務員が待っている。
    部屋へはいる。
    とてもきれいだ。
    今までで一番にいい部屋。
    まるでホテルだ。(笑)


























    • いいね! 0
    • コメント 1件

    青島の朝を歩く。その日の韓国行きのフェリーの切符を手に入れる。

    甘粛省蘭州から青島まで鉄道距離で1699㎞。これを一日半で走破した。
    正確には足かけ3日。
    しかし、朝の食事含めまともに食べていない。
    とりあえず、食事に出たがさすがに深夜。
    とりあえず、食堂はあきらめ、四方大飯店の向かいの超市へ。
    ここで、カップ麺と「青島ビール」とつまみを買う。
    超市だが、レジの子1元以下のお釣りは渡さなかった。
    まあ良しとしよう。
    帰って、風呂に入り、夜中の食事を取った。

    翌朝は、さすがに遅めに起きた。
    それでも時間は7時前。
    散歩に出ることにした。
    目的は、前回行けなかった中山路へ行くことと、青島国際フェリー乗り場の確認。
    そしてチケットの購入。
    この時点では、最悪の場合は、直接オリエントフェリーで下関に帰る案。
    その場合は木曜日20時出航土曜日10時到着となる。
    料金は片道1200元。
    これは、関釜フェリーに乗る時にオリエントフェリーのパンフを手に入れていたからだ。
    とりあえず、市内バスで中山路バス停で降りる。
    しかし、中山路がなくて少々迷った。
    早朝の中山路は、そんな通り。
    海岸まで出て、何とマクドナルドに入った。
    セットメニューがあるのかよくわからなかったが注文、15元ほど。
    そのあと、記憶のある26路に乗る。
    終点が青島輪渡。
    ここでバスを降りて、輪渡へ。
    しかし、ここは対岸への国内小型フェリーの乗り場だった。
    大変な勘違い。
    表に出てタクシーを拾い、国際客運站といったつもりが、どうも方向が違う。
    運転手も違いに気が付いたようだ。
    Uターンして青島国際客運站へ。
    運賃はメーターで10元ほど。
    さて、大きな暗い客運站に入る。
    確かに售票処と仁川の漢語がある。
    しっかりここで切符が買えると思ったのだが。
    ちがう。
    窓口の女性も、外の服務員もここではないという。
    しきりに外を指さしている。
    外に出て、もう一度威海フェリー(ウェハイと発音)と聞いて、たどり着いた道路沿いの平屋の暗い建物。
    ここが威海航運有限公司(韓国の船会社)だった。

    青島港は小港、中港、大港と名前が付いている。
    青島輪渡が小港、 そして大港が青島国際客運站となる。
    「歩き方」の地図では、まずわからないだろう。
    それから、威海航運は韓国籍。
    旅客のほとんどが中国人より裕福な韓国人か、中国籍だが韓国との往復で利益をあげる朝鮮族の運び屋さんだ。
    つまり、この船に関しては、コリアン一色。
    従って、中国側は、扱いは冷たい。
    それが、現場にも定着している。
    みなみやまの扱いは後で考えると、まだ丁寧だった方だ。
    威海航運の售票処はおもしろいところだった。
    とりあえず、空席はあるとのこと。
    集票は午前10時からだという。
    出国手続きは14時。出航は16時。

    時計を見るとあと1時間ある。
    とりあえず四方大酒店にもどり、荷物を取ってこよう。
    となった。しかしこの判断は大きな間違いだった。