Re^2: 気になる表現・・・気にいる表現 タイ国鉄どの お返事ありがとうございます。 EAVOさんとおんなじ年齢です。 年上の兄姉の中で育ったので どちらかといえば聞きかじりだけは戦前世代 。 そのうえ育ち盛りにカビとホコリの明治大正文学全集・・・いえそれしか活字がない世代でしたから、ですので同世代からもお前は古い・・といわれてきました。 さて ご指摘の「帰国してきました・・」の表現は 私はこんな不運感じています。 日本語の表記はご承知のように母体が漢文(これって一種の生きてる化石文化ですよね)の読み下し文で、戦前までは官僚の使う日本語の文章は三遍読んでも意味不明・・だったようです。 ですから 明治大正の文豪・・・といわれるエライ小説家の文章はほとんど今なら当て字ばかり。 もともと 意味が通じればいい・・のが文章でしたから。 そうした傾向を引きずっていて今でも役人の文章は・・学者も、いえ教師までも 少し格好をつけようとすると 漢字表記・・それがもともと無い言葉だと無理に造語してまで、をしようとします。 もともと漢字には動詞的な変化はありませんから 無理に口語日本語の語尾による変化をしようとする ムリな日本語が右往左往しています。 官僚だけでなく・・組合など左がかった人たちもですが・・。 ですから 少しあらたまった表現をしようとすると 帰国 という自己完結している言葉に して来る・・という語尾を接着してそんな気分を表そうとしたのでは・・・と。 日本での口語体文章が本当に定着しようとしてから まだたぶん50年ぐらいではないでしょうか。 そんな中での混乱のまだまだ 許容範囲線上からすこし出た・・表現程度と私は感じておりますが いかがでしょう。
不自然に感じる理由 こんにちは、ラオス滞在中のろっきいです。 ふだん日本語を教えるのに頭を使っていますので、みなさんの遣り取りを興味深く拝見しています。 「帰国してきました」それ自体はそれほど不自然な表現ではありません。 ブラジル人のサントスさんはしばらく(ブラジルに)帰国してきました。そして、いまは日本に戻っています。 「帰国する」という語に原義として「母国に帰る」という意味があるため、(ブラジルに)の部分は「馬から落馬する」のように過剰な表現です。 「ブラジルに帰ってきました」とすれば自然な表現になります。 どなたか主張した「帰国する」が動作を表すか、状態を表すかなどという問題とは関係ありません。 「してきました」の表現を検討しましょう。「してきました」は、その行為を終えて(もとの場所に)戻ったことを表します。 「行ってきました」「顔を洗ってきました」「買い物をしてきました」など。 漢語に接続させるとやや不自然に感じるかもしれませんが、「旅行してきました」など、現代では普通に使われています。 「行ってきました」に対して「帰ってきました」はどうでしょうか。 「ろっきいは(日本に)帰ってきました」話し手が現在いる場所に戻ったことは同じですが、ろっきいが(現在日本にいれば)日本に帰って今はここにいる、(現在ラオスにいるなら)日本に帰って(帰るという行為を終了させて)今はここにいる、ということになります。 どちらにしても、特に不自然さはありません。 「帰国してきました」は、「帰国する」という行為を終了させて(もとの場所に)戻ったことを表現します。 ラオスで発話する場合「(日本人の)ろっきいは日本に帰国してきました」は自然な表現です。 しかし、日本で発話するなら「帰国する」行為と(行為を終えて元の場所に戻るという意味の)「・・してきました」という表現が、二重となって不自然になるのです。 「ろっきいは日本に帰国してきました」は日本以外の場所でないと、不自然な表現です。 単純に言えば、「行ってきました」と「帰国しました」とを混乱させておかしな間違いをしたというだけのことです。 実際のところ、人様の言葉についてあれこれ考え、よけいなことを言うのは気がひけます。自分の文の反省材料にしたいと、自戒しています。
訂正 よく見直して投稿しましょう、という意味の投稿を訂正するのは気がひけますが・・・・。 先ほどの文章の中で矛盾がありました。訂正します。 ラオスで発話する場合「(日本人の)ろっきいは(日本に)帰国してきました」は自然な表現です。 しかし、日本で発話するなら「帰国する」行為と(行為を終えて元の場所に戻るという意味の)「・・してきました」という表現が、二重となって不自然になるのです。 「ろっきいは(日本に)帰国してきました」は日本以外の場所でないと、不自然な表現です。 「日本に帰国する」というのは「馬から落馬」のたぐいでした。 漢語を利用しないで「日本に帰ってきました」と表現するのがいいですね。