ロシア語はこんちわ、さよなら、ありがとう

大長老おーちんはらしょ~~~!

さすけねえの父親はロシアで捕虜生活を4年半してきて、覚えた言葉は「だばい(だわい?=日本に帰す?)」「スパシーボ」「オーチンハラショー」だけですね。

たまたま将校だったので温かいカスピ海の港町で沖中士をしたから生き延びたと言っていました。運んでいた砂糖の袋を破ってはカッパライをして砂糖湯をみんなで飲んだと・・・その前はシベリアで木こりをしたそうです(有名な「暁に祈る」の隣の部隊だったそうです)。

さすけねえが若い頃「さすけねえ、汽車賃だすからシベリア鉄道に一緒に行かないか?」と言われたけど飽きちゃうからと思って断った・・・
今考えると失敗した。行ってやるべきだった。

春になると「白樺の芽」を食べたそうです。

白樺の木を削って作った麻雀パイで食事を賭けて食うか食われるかの麻雀をしたが口癖でした。

シベリア上空を飛んだときに暗闇の中にガス田の炎が赤くその周りは凍てついた大地・・・「このシベリヤで親父は生きるか死ぬかを」と思ったら涙がこぼれました。

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2件のコメント

  • 07/08/31 11:47

    さすけねえさん

    さすけねえさんのお父様は大変な経験をされたのですね。
    四年半もシベリアの凍土で過酷な環境を強いられていた日本人捕虜が何人もいて、その中で強く生き延びた人たちがいるという現実をちゃんと知らなくてはいけないですね。
    ロシアには観光だけの軽い気持ちで行ってはいけないなと身にしみて感じました。

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    さすけねえさんのお父様は大変な経験をされたのですね。

    e-ro様 人生は狂ったでしょうね。

    捕虜生活から帰ってきたとき、着ていたのが支給されたナチスドイツの軍服で、持ち物は自分でナイフで削って作ったスプーンと、物々交換で買った髭剃り程度の身の回りの品、大事な慢性水虫だけだったそうです。

    姉の夫が戦死、弟も戦死、自分ももう少しで死にそうだった・・・だから生きて帰り、家庭を持てた事が最大の幸せだったのでしょう。

    さすけねえは、父がナチスドイツの軍服を知人にあげた事が残念ですね、今になったら最高の記念品ですから。





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  • 07/08/31 06:22

    Re: ロシア語はこんちわ、さよなら、ありがとう

    バイカル湖の近くのリストビアンカ村に日本人墓地があり、抑留者はー35度で作業中止になったとガイドが言っていました。

    兎に角ロシア人は人は良いのですが、国になると一番始末が悪い国です。

    終戦時を知っている人はもう年寄りですが、日本が原爆を落とされ降伏寸前の時に
    日ソ中立条約を信じて日本軍を満州から南方へ移動して手薄になった所を狙いたった1週間の侵攻全てを奪い去ったソ連は卑怯な国です。

    日本が知らなかったヤルタ会談でルーズベルトとスターリンが参戦の密約をしたと言われています。
    多分元防衛大臣の仕方が無い発言もその辺のことを言っていると私は思っていますが、言葉が独り歩きして弁解の余地無しです。

    それに引き換え米国は日本と真正面から戦い硫黄島、沖縄等を多くの犠牲を出しながら、
    兎に角戦争で奪ったものは返さない常識を破って基地が多いと文句は言っていますが返してよこしたのですから、

    私はロシアとアメリカを相対的に比較した場合はそれらの島が米国領のままよりは未だましだと思っています。
    今は反露より反米の方がやりやすいですから、アメリカも嫌われたものです。

    さすけねえさんのお父さんもそのひどいとばっちりを受けられたのですね。
    リストビアンカ村には時々遺族が訪れるようです。
    http://www.c-player.com/ac45785/thread/1100028311548

    私が完全装備でー30度を経験したのと終戦後食べ物も衣類も粗末で経験したのとでは天と地ほども違います。

    今は韓国も日本も首相やマスコミも戦後生まれが殆どなのでその様なロシア嫌いの人間は今の日本では最早少数派だと思います。

    ロシア人はそんなことは関係なく陽気で誰かのように酔っ払いは多いので気が会うかもしれません(笑)

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    07/08/31 06:31

    ついでに

    ヒットラーのひどさは良く知られています。
    しかしソ連参戦関連ですがスターリンは日露戦争の敵討ちだとか条約は破る為にあると言ったとか言わないとか伝えられています。

    何しろ粛清と称して自分の仲間を皆殺してしまった時代が昭和20年代でしたから、今はロシアも割合安心して旅行できます。