8月15日の24時間硬座一人旅1 列車が出発してしばらくは彼女たちを観察していた。 本当に今の中国は世代で随分ギャップがある。 とにかく、女の子はわがまま一杯育っている。 そんな女の子が3人だから大変だ。(笑) 食べたり、飲んだり、しゃべったり、音楽を聴いたり。 傍若無人だ。 大人がやるように食べかすやゴミを窓から平気で捨てる。 ただ、これは窓が手動で開く空調無し列車の特権だ。 大人の悪いところは、しっかり身につけている。 それでも、それなりにかわいらしいところもあったりして。 自然と会話も生まれたりして、しっかり、みなみやまは彼女たちと自然に仲良くなった。 彼女らは河南人と言っていた。 一人は洛陽とも聞いた。 どこで降りるのかは聞いていなかった。 そんなもんだ。 ただし、いつもやるように、会話集を出したり筆談をしたりは控えた。 ただ、日本人が乗っていると言うことはわかったようだ。 息子との別れに涙を流していたおばあさんは、時々、若い子たちが会話をしたりする。 彼女たちからトランプをするのに強制的に席を替えられたりしたが、 果物や、食べ物を分けてもらったりした。 それなりにいいところもある。 根ほり葉ほり聞いてこないし、こちらも深入りはしない。 しばらくは車窓を見て、風景を見て楽しんだ。 列車は、蘭州から天水へ、黄土高原を走り抜ける。 これまで見てきた乾燥地帯の風景と比べると緑や耕地が多い。 最初考えていた、結節点だ。 どこも、緑が濃い。 ただし、最近雨が降ったらしく、途中の川は水が増水したり、崖崩れがあったりして、線路脇で随分と復旧工事に携わっている人たちを見た。 西安から蘭州までの線路は重要幹線だ。 鉄路のスピードアップを受け、線路も新しく造り替えられたりしている。 しかし、崖崩れがあったりして、人海戦術で復旧工事をするようだ。 地元密着の鉄路でもある。 だんだん、谷が深くなってくる。 村の様子も違ってくる。 村ごとに住宅などの経済的格差が見えてくる。 豊かな村の耕地は、トウモロコシ一辺倒ではなく、果樹や野菜などの作物が複雑に植えられている。 換金作物だ。 つまり、細かく換金作物を栽培して収入を上げている様子が伝わってくる。 それは、やはり個人単位ではなく村単位の様子だ。 まだまだ内陸部の農村は所得収入は低い様子。 途中の信号所で遠方に行く特快列車を先に通すために、列車待ちを30分以上することもあった。 このあたりは北京と比べるとずっと西方にあるので朝が遅く日が暮れるのも遅い。随分車窓のけしきをたのしんだ。 そして、夜になって宝鶏へ。 西安0:02着。 適当に仮眠しながら、駅に着くと目が覚めた。 三門峡西3:25着。 ここからは、昨年旅行したコースになる。 洛陽5:18着。 夜が明けた。
8月15日の24時間硬座一人旅2 洛陽から鄭州まではトンネルがあったりする。 黄土高原の南東の端に当たる。 6:55鄭州着。 乗客が随分降りていった。 隣のおばあさんもここで降りていった。 そして新しい乗客が乗り込んでくる。 隣には年配の夫婦が座った。会話はない。 車内は、相変わらず無座の客が多い。 今回は比較的すいていたので、トラブルは少なかった。 しかし、乗車口や連結部分には座り込んでいる乗客も多い。 ところで、気になる乗客がいた。 天水から若い解放軍兵士が一人乗り込んできていた。 その彼と話すことになったのである。 相席の若い女の子たちと話したいというのもあったようだが。 彼女らも好んではいなかったが無視もしない。 その彼が、みなみやまの隣に来ていろいろと話しかけてくるのだ。 彼は、これから青島の軍の海兵学校?に研修に行くと言うことだ。(たぶん) 昨年から人民解放軍でネイティブから英語を習っているそうだ。 それでみなみやまへ英語で話しかけてくる。 しかし半分以上は聞き取れない。 それでも、彼は英語や漢語の筆談で会話をしようとするのだ。 少々疲れたが、8月15日ということもあったので、仲良くしておこうと思った。 回りの乗客も注目しているのがわかった。 みなみやま的には、まあ、彼はいいやつで本気で人民に奉仕する解放軍兵士を目指している真面目な人だ。 ただ実直すぎて、回りの中国人と解け合うかというとそうでもない。 それがみなみやまに向いてきたというのだろうか。 中国人は新聞や本をよく読む。 向かいの青年も新聞を読んでいる。 8月15日の記事として日本の侵略と解放軍の戦いの連載記事もばっちり載っている。 それがこちらからも見える。 そんな不思議な時間を過ごした。 車内はうだるように暑い。 アイスキャンディが飛ぶように売れていた。 いつになったらこの列車は目的地に着くのだろうか。
山東省泰山駅で列車を降りる。8月15日の24時間硬座一人旅3 青島行き快速列車は、次第にスピードを上げていく。 河南省商丘火車站で、蘭州から一緒だった3人娘は列車を降りていった。 彼女らのおかげで、随分気を紛らわすことが出来た。 いつも、硬座の旅ではいろんな中国の人に世話になっている。 彼らはみな親切だ。恵まれているとしかいいようがない。 しかし、一面のトウモロコシ畑の中をひたすら走る列車。 彼女たちが降りたあと、隣にいた中年夫婦。 これまで、遠慮して一言も話さなかったが、急に、近くなってしまった。 親父がみなみやまに中国タバコをすすめてくれた。 昨年あたりから、列車の客席での喫煙が禁煙になった。 喫煙できるのは連結器部分だけだ。 車掌に怒られる。 しかし、ここはことわるわけにはいかない。 一本もらって、こちらのタバコも一本差し上げる。 アメリカタバコだったが。 そのあとかみさんから果物をもらったり、お菓子をもらったり。 やはり、取っつきにくいが彼らも親切だった。 しかし、とにかく暑い。 窓を全開にする。 徐州11:17。 徐州からは、上海と北京を結ぶ大幹線の京滬線に入った。 いつの間にか列車は走る方向が逆になる。 とにかく急にスピードが速くなった。 駅が極端に少ない。 景色も、ずいぶん変わってきた。 広い平野の中に所々 独立した山が見えるようになった。 このあと、 13:17?州 14:14泰山 15:10済南 21:50青島。 「うーん」。 がまんの限界。 この辺では、通路にたったまま、さすがに座席に座ることが出来ない。 おしりが痛いのだ。(笑) 時刻表をにらみながら、済南までは行かず、手前の泰安駅に降りることに決めた。 孔子の出身地曲阜に行くことも考えたが、このあとの日程も考え、青島に近い泰安市で降りることにした。 ほぼ25時間列車に乗っていたことになる。 表向きは理由は泰山にでも登るか? 本当の理由はおしりが痛い。「痔」になりそうだ。(笑) 本気でそう思った。 とりあえず、何の準備もなく、ガイドブックだけで、行くことに決めた。 解放軍兵士の彼にも一応お別れを言っておいた。 中年夫婦にもさよならを言って、無事、泰山火車站 に降りることが出来た。 改札を出る。 随分ローカルな駅に見えた。 しかし、このあと泰山には登ることなく、泰安市をあとにすることになるのだが。