甘粛省蘭州の「歩き方」青島からの距離

蘭州は中国の真ん中。ホントに遠くへ来たもんだ。
そして、いい加減に市内バスに乗っている自分がおかしかった。
回りには外国人もいなければ日本人もいない。

1路バスに乗った。
運転手は女性だ。
それも地元の女性だ。
みんな私服だ。
おしゃれだってしている。
男とも対等だ。
軍手をはめて、おんぼろバスを運転する。
バスのフロントには、造花だが花が飾ってある。
公共バスだが、そんな自由さがおもしろい。
1路バスは火車站 前のバス乗り場に無事到着した。
いよいよ、蘭州ともお別れである。
何故かまた来たい気がした。
とりあえず。華聯賓館に戻ることに。

蘭州に次いつまた来れるだろうか?
次に来る時は、もう少し町の様子も見たいと思った。
蘭州から南は、黄土高原とは違う山並みが連なっている。
そんな町にも、思いをはせる。

蘭州火車站 に向かい、改札を入る。
今度乗る列車は、
K174次 蘭州・西寧発 青島行き。
空調無し、硬座硬座快速122元

蘭州と西寧(K171列車)は隔日で出ている。
切符が全日とれたのも始発駅だからだろう。
西寧発9:11蘭州発13:19~済南翌日15:10青島21:50
蘭州~青島までは1699㎞

蘭州~済南26時間 蘭州~青島32時間
乗る日は8月15日。

この時、心に決めたことがあった。
それは、列車の中では日本人であることはアピールしないこと。
写真を撮ったりあまり硬座の中で浮いたことはしないこと。
理由は、一人旅の中国硬座の旅だと言うことだ。
無事、韓国までたどり着くにはトラブルは避けたい。
そういうことだった。

しかし、実際硬座で丸1日の旅はきつかった。
それで、途中で、泰山で下車することに決めたのは翌日の朝だった。

時間が来て、列車に乗ると先客が座っていた。
15号車50番 窓側の席。
前には十代の女の子が3人。
あとは男性とおばあさんの5人。
この5人が1日おつきあいすることになるわけでだ。

まああたりかと思った。
発車のベルがなった。
列車が出発する。
隣のおばあさんが涙を流した。
窓の外には息子らしい男性。
このホームでは、大勢の見送り客がいた。
他の駅では珍しいと思った。

列車は、山東省青島に向け蘭州を出発した。











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1件のコメント

  • 8月15日の24時間硬座一人旅1

    列車が出発してしばらくは彼女たちを観察していた。
    本当に今の中国は世代で随分ギャップがある。
    とにかく、女の子はわがまま一杯育っている。
    そんな女の子が3人だから大変だ。(笑)
    食べたり、飲んだり、しゃべったり、音楽を聴いたり。
    傍若無人だ。
    大人がやるように食べかすやゴミを窓から平気で捨てる。
    ただ、これは窓が手動で開く空調無し列車の特権だ。
    大人の悪いところは、しっかり身につけている。
    それでも、それなりにかわいらしいところもあったりして。
    自然と会話も生まれたりして、しっかり、みなみやまは彼女たちと自然に仲良くなった。
    彼女らは河南人と言っていた。
    一人は洛陽とも聞いた。
    どこで降りるのかは聞いていなかった。
    そんなもんだ。
    ただし、いつもやるように、会話集を出したり筆談をしたりは控えた。
    ただ、日本人が乗っていると言うことはわかったようだ。
    息子との別れに涙を流していたおばあさんは、時々、若い子たちが会話をしたりする。
    彼女たちからトランプをするのに強制的に席を替えられたりしたが、
    果物や、食べ物を分けてもらったりした。
    それなりにいいところもある。
    根ほり葉ほり聞いてこないし、こちらも深入りはしない。
    しばらくは車窓を見て、風景を見て楽しんだ。
    列車は、蘭州から天水へ、黄土高原を走り抜ける。
    これまで見てきた乾燥地帯の風景と比べると緑や耕地が多い。
    最初考えていた、結節点だ。
    どこも、緑が濃い。
    ただし、最近雨が降ったらしく、途中の川は水が増水したり、崖崩れがあったりして、線路脇で随分と復旧工事に携わっている人たちを見た。
    西安から蘭州までの線路は重要幹線だ。
    鉄路のスピードアップを受け、線路も新しく造り替えられたりしている。
    しかし、崖崩れがあったりして、人海戦術で復旧工事をするようだ。
    地元密着の鉄路でもある。
    だんだん、谷が深くなってくる。
    村の様子も違ってくる。
    村ごとに住宅などの経済的格差が見えてくる。
    豊かな村の耕地は、トウモロコシ一辺倒ではなく、果樹や野菜などの作物が複雑に植えられている。
    換金作物だ。
    つまり、細かく換金作物を栽培して収入を上げている様子が伝わってくる。
    それは、やはり個人単位ではなく村単位の様子だ。
    まだまだ内陸部の農村は所得収入は低い様子。
     途中の信号所で遠方に行く特快列車を先に通すために、列車待ちを30分以上することもあった。
    このあたりは北京と比べるとずっと西方にあるので朝が遅く日が暮れるのも遅い。随分車窓のけしきをたのしんだ。
    そして、夜になって宝鶏へ。
    西安0:02着。
    適当に仮眠しながら、駅に着くと目が覚めた。
    三門峡西3:25着。
    ここからは、昨年旅行したコースになる。
    洛陽5:18着。
    夜が明けた。








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    8月15日の24時間硬座一人旅2

    洛陽から鄭州まではトンネルがあったりする。
    黄土高原の南東の端に当たる。
    6:55鄭州着。
    乗客が随分降りていった。
    隣のおばあさんもここで降りていった。
    そして新しい乗客が乗り込んでくる。
    隣には年配の夫婦が座った。会話はない。
    車内は、相変わらず無座の客が多い。
    今回は比較的すいていたので、トラブルは少なかった。
    しかし、乗車口や連結部分には座り込んでいる乗客も多い。
    ところで、気になる乗客がいた。
    天水から若い解放軍兵士が一人乗り込んできていた。
    その彼と話すことになったのである。
    相席の若い女の子たちと話したいというのもあったようだが。
    彼女らも好んではいなかったが無視もしない。
    その彼が、みなみやまの隣に来ていろいろと話しかけてくるのだ。
    彼は、これから青島の軍の海兵学校?に研修に行くと言うことだ。(たぶん)
    昨年から人民解放軍でネイティブから英語を習っているそうだ。
    それでみなみやまへ英語で話しかけてくる。
    しかし半分以上は聞き取れない。
    それでも、彼は英語や漢語の筆談で会話をしようとするのだ。
    少々疲れたが、8月15日ということもあったので、仲良くしておこうと思った。
    回りの乗客も注目しているのがわかった。
    みなみやま的には、まあ、彼はいいやつで本気で人民に奉仕する解放軍兵士を目指している真面目な人だ。
    ただ実直すぎて、回りの中国人と解け合うかというとそうでもない。
    それがみなみやまに向いてきたというのだろうか。
     中国人は新聞や本をよく読む。
    向かいの青年も新聞を読んでいる。
    8月15日の記事として日本の侵略と解放軍の戦いの連載記事もばっちり載っている。
    それがこちらからも見える。
    そんな不思議な時間を過ごした。
    車内はうだるように暑い。
    アイスキャンディが飛ぶように売れていた。
    いつになったらこの列車は目的地に着くのだろうか。