つまるところ、社会復帰できなかったわけでありまして 私が幾度も訪れた国は、暑くて、汚くて、食べ物は不味くて、治安が悪い。 訪れる人の十中八九は、もう二度と行きたくないとの悪い印象を持ち帰ってきます。 けれども、どうしたわけか他の人たちとは違って、その国でしか得られない魅力に惹かれました。 若い頃、ちょうどバブルの頃に長期滞在して帰国後、また別の職場に再就職しました。しばらくは勤め人として勤勉に働きました。 ところが数年もしないうちに、そうした日常から抜けだしたくて仕方がない。 その衝動が抑えきれずに、退職してふたたびその国を、繰り返し、繰り返し訪れるようになりました。 つまり、社会復帰できなくなってしまったのですね。 では、社会復帰の示すところの社会とはなんでしょうか。 いかに効率よくお金を稼ぐか。その人生の波に乗ることなんですね、かいつまんで言えば。 すべてのものを得たいというのは傲慢です。 なにかを得たいのなら、なにかを捨てなければなりません。 多くの人たちが得たいと願うものを選ばずに、そのかわり得るものもありました。 自己満足だとか、自己を美化しているに過ぎないではないかと批判されるのは重々承知です。 なるべく世俗に妥協せずに暮らしたい。 もっとも、世間のしがらみから自由になったと言うには、ほど遠いですけれど。 お金があるとか、お金がないとかは絶対条件にはなりません。 なにかに執着しなければ、自然の法則にのっとった自然の流れに従うだけです。 とは言いつつも、まだまだ悟り ? の境地に達していませんから 鬱々としたり、悶々としたりします。けど、ささやかな日々の娯楽もあります。 世の中、自由が実のところ不自由であったり、不自由が蓋を開けてみたら自由であったりします。 死のまぎわに至ったとき、どういった感慨にふけるのだろうか。今から楽しみといえば楽しみです。