あまりに驚いたものですから ブーバーさん 私のところは午後の3時半ごろに夕刊が配達されます。 ショックでしたね、今日の読売一面のトップがこの記事です。 世の中騒がしいというのに日本は平和なんですね。 兎にも角にも生活保護者よりも低い年金受給者、先行き短い身にて この際、田畑売って家売ってその金をパーっと使ってしまおうか。 地中海ツアーなら旅の終わりごろその船から身を投げてあの世に 旅の続きができるから良いか? 今晩は爺と婆が夕食の納豆ご飯を食べながらこんな旅談義をして ました。 どうも夜更けになると話まで暗くなりすみません。
人様がどうした、こうした、なんて関心がない性格でありまして 爺婆さんへ 私のごとき若輩者が言うのもおこがましいのですが しょせん人は人ではありませんか。お金持ちがどういった生活をしているか、なんてまったく関心の埒外です。 自慢にもなりませんが、同世代の者と比較して収入が少ないと、はっきり断言できます。(笑) そんなに遠くない日には年金で生活を支えていかなければなりませんが、家を売っても老後の資金は十分か はなはだ怪しいものです。 新聞をとっていないのですよ。もう三年くらいになりますか。 だって、まずたいていは不愉快なニュースばかりじゃありませんか。 そんなもので、イライラするのも馬鹿馬鹿しいです。 べつに生活に不自由をきたしておりません。日経新聞を毎日読まねばならぬ立場に置かれていないことに つくづく有り難いなと思っています。 心が満たされない、その理由はなんだろうかと、あたかも牛が草を反芻するごとく考えてみますれば 自分が何をして、どうなりたいか…。つまり欲望と現実との壁の落差にその主たる原因があると気がつきます。 いくらでも貪欲になれますね、欲望に目がくらんでしまうと。 だから私は、欲望の源になるところの情報、心を刺激するものから、できるだけ遠ざかっていたいと 考えて、かつ実践しています。 そうすると、心の平安がいちばんだと思えるようになり 外部からの刺激によってもたらされる、たとえば新製品のモノとか、レジャーとか、美味しいものを食べたいとか そうした、もろもろの欲望が、自分にとってさほど重要ではないと分かったのですよ。 痩せ我慢とは明らかに違って。 この世の中で、人と競争して何かを勝ちとること。 競争を強いられていない自分というのが、ほんとうに恵まれているなと思えます。 競争しなくても良い恵まれた身分だったら、敢えてみずから別の競争試合に参加しなくてもいいではないか。 いちばん望むところの、心の平安まで乱して。 なんにもしない贅沢って、すごく惹かれますね、自分としては。 スケジュール帳にびっしり予定が詰まっていたら、それこそ窒息しそうになります。 むろん、真っ黒に書き込まれたスケジュール帳を眺めて、活力がみなぎり元気を取り戻す人だっています。 そういう世界で生きている人は人です。私には関係ありません。 個人主義者だと非難のそしりを受けるかもしれませんが 少なくとも、犯罪を犯して人様にご迷惑かけているのでありませんから 自分のペースで生きていかれればいいと、願ってやみません。
ブーバーさん ありがとうございます ブーバーーさん アドバイスをありがとうございます。 5月だったかジャンボ宝くじを買ったとたんに3億円が当たったような気分になってしまいました。 気も大きくなり発表の日が待ち遠しかったですね。 6月に入りいよいよその日がきました。 いくら照合しても300円しか当たっていない、おかしな? 一時でしたがいい気分になれたのが、まさに夢を買うということなのですね。 次回は欲張らずに100万円ぐらいに下げてみれば当たるかな、そんな夢を今から見ています。 いま真剣に考えているのが空き地の売却、駐車場として貸してはいますが死んで持っていけるものでもなし、 売れば見たことのない大金が入り込むこと間違いないのでこれで人並みの生活も旅行もできるように なるかなと皮算用をしています。 自分のことを横におくようですが将来年金も不安定、今の若い人が老後どのように生活していくのだろうかと 余計な心配をしてしまいます。
つまるところ、社会復帰できなかったわけでありまして 私が幾度も訪れた国は、暑くて、汚くて、食べ物は不味くて、治安が悪い。 訪れる人の十中八九は、もう二度と行きたくないとの悪い印象を持ち帰ってきます。 けれども、どうしたわけか他の人たちとは違って、その国でしか得られない魅力に惹かれました。 若い頃、ちょうどバブルの頃に長期滞在して帰国後、また別の職場に再就職しました。しばらくは勤め人として勤勉に働きました。 ところが数年もしないうちに、そうした日常から抜けだしたくて仕方がない。 その衝動が抑えきれずに、退職してふたたびその国を、繰り返し、繰り返し訪れるようになりました。 つまり、社会復帰できなくなってしまったのですね。 では、社会復帰の示すところの社会とはなんでしょうか。 いかに効率よくお金を稼ぐか。その人生の波に乗ることなんですね、かいつまんで言えば。 すべてのものを得たいというのは傲慢です。 なにかを得たいのなら、なにかを捨てなければなりません。 多くの人たちが得たいと願うものを選ばずに、そのかわり得るものもありました。 自己満足だとか、自己を美化しているに過ぎないではないかと批判されるのは重々承知です。 なるべく世俗に妥協せずに暮らしたい。 もっとも、世間のしがらみから自由になったと言うには、ほど遠いですけれど。 お金があるとか、お金がないとかは絶対条件にはなりません。 なにかに執着しなければ、自然の法則にのっとった自然の流れに従うだけです。 とは言いつつも、まだまだ悟り ? の境地に達していませんから 鬱々としたり、悶々としたりします。けど、ささやかな日々の娯楽もあります。 世の中、自由が実のところ不自由であったり、不自由が蓋を開けてみたら自由であったりします。 死のまぎわに至ったとき、どういった感慨にふけるのだろうか。今から楽しみといえば楽しみです。