ひととの距離 何年か前、京葉線の車内で、小学校45年生とおぼしき男の子が 乗りこむや、すぐに私の目の前の席に座りました。 (私はドアの横に立っていた。) その子は座るなり横の手すりに両手をつき、 そこへ顔を埋めて動かなくなったのです。 私は見ていて心配になり、思わず「ねえ、坊や、大丈夫か?」と声を掛けました。 すると、キョトンとした顔を上げ「え? 眠いだけ」といって又、顔をうずめました。 ああ、そうか、塾とかあるから日本の子供達、大変だなあと思ったのですが。 その時、引っかかった事は、周りにいる人たちが、この子と、私の方に全く視線を 向けなかったことでした。 そんなときの人々の心の動き、応え方 場の空気・・・ こまごま説明しなくても皆さんはおそらく判ると思います。 私も判ります。 やり取りは聞こえているし、多分、私が顔を上げると同時に見ていては失礼(?)と 視線を外し、表情を瞬停したのだと思います。 いま、色んな車内風景を回想しています。 アメリカ各地の市電の車内。 グレイハウンドの車内、 イタリーでの列車のコンパートメント、パリの地下鉄、パキスタンの地方バス、韓国の列車内、ケニアのバス、もちろん他人でも人々との距離はうんと近かった。 言葉の差はあっても、極端な話、言葉が全く通じなくても、目が合えば、誰とでもわりとスッとコミュニケート出来た。(る) 現代の、日本人の、ひととの距離感覚が他の多くの国のそれとは明らかに違います。 現代と書いたのは、多分数十年前は少し、違っていた、もう少し外国並だったと思うからです。 皆さん お久しぶりです。 最地下に居ないと思ったら、こんなところで出前ラウンジですか。 なんか駅前でコンビニ弁当を車座で食べているみたいですね。 これって行儀悪いかネ?
Re: ひととの距離 Rei Kosugiさん、こんにちは。 乗り物のなかで、なんだか人がつんつんしている、と感じてしまうのは、 どうしてなのでしょうね。 以前、体調が悪くて、電車の中で、気持ちが悪くなるので、 気を紛らわすために、初めて、ヘッドホンステレオを使った時、 周りに人がたくさんいるのに、自分は透明のカプセルのなかにいて、 完全に隔離されているように感じて、とても驚きました。 こういうものを、みんなが持っているのか、と思い、 空恐ろしい気がしました。 この頃は慣れてしまい、それほど、まわりと隔絶しているとは感じないのですが、 でも、一番最初の印象は、軽視していいものとは思いません。 サッカーの日本代表の選手にも、試合後にサポーターが手を振っているのに、 ヘッドホンステレオをして無視している人がいて、嫌になります。 (特にこのあいだの北朝鮮戦の後なんて)。