おられる

こんばんは、昨日で終わりにしようかと思っていたのですが、
PP&Mさんの誤解がどの辺りにあるのか分かってきましたので
コメントさせていただきます。

> 「おる」に拘っていてはダメです。問題は「おられる」で
> どういう意味があるか、つまり少なくとも謙譲語なのか丁寧語
> なのかなのです。

「おる」と「おられる」の関係は単に「おる」とういう動詞の
語尾を変化させて「おられる」にしたに過ぎません。

敬語の教科書的な表現を使うと、「おる」という謙譲語に
「られる」という尊敬をあらわす語尾変化をさせてしまうと
前半分と後半分で相反する意味を持たせることとなってしまい、
敬語表現として矛盾を来たすという事です。

このことから、辞書に「おられる」の見出し語がないのは、
いたって当然のことなのです。

「敬語 おる」の検索を
PP&Mさんが、拘っていらっしゃる「おられる」に切り替えて
「敬語 おられる」に変えてみたところで
やはり山の様に敬語の誤用例を解説するサイトが引っかかってきます。

また、参考までに、「おる」という表現は一部の地方では
「いる」の方言として使われており、一部の方言という意味では
否定されるべきものではありませんが、他の方に正しい敬語表現の
例として提示されるべきものでないことは言うまでもありません。

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1件のコメント

  • 05/09/04 18:49

    「山の様な誤用例」?! どういう調べ方をなさったのでしょうね?

    >「敬語 おられる」に変えてみたところで
    >やはり山の様に敬語の誤用例を解説するサイトが引っかかってきます。

    あらっと思って、念のためわたしももう一度googleで検索してみました。見出し語は「おられる」。まだ1ページ目しか目を通していませんが、一義的に丁寧語としての「おられる」を誤用としたサイトは皆無でした。西日本から東日本に来た人は注意して使った方が良いとするサイトが一つあったきりです。

    最初に指摘しましたように広辞苑でも新明解国語辞典でも「おる」あるいは「ております」が丁寧な表現だと明記されています。ですから仮に出張ダイバーさんの「単に動詞の語尾を変化させに過ぎない」という語義を個々の語ないしは形態素の語義の足し算として捉える考え方が正しいと仮定しても、「前半分と後半分で相反する意味を持たせることとなり敬語表現として矛盾を来たす」ことにはなりません。

    >否定されるべきものではありませんが、他の方に正しい敬語表現の
    >例として提示されるべきものでないことは言うまでもありません。

    これはわたしに言わせると、出張ダイバーさんのように個人的にひっかかりを感じるのは自由ですが、その誤った基準を他の方に強制するべきではありませんと言うことです。

    と指摘しても出張ダイバーさんは考えを改めることはないでしょうし、その必要もありません。出張ダイバーさんが個人として間違った基準をお持ちになるのは自由です。

    しかし「おられる」が本当に誤用であるかどうかについて、関心、興味をお持ちの方が「おられました」ら、ぜひご自分でYahooなりGoogleで検索をしてその結果で判断していただきたいと思います。

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