レポート

アルメニアにて「聖アララト山を眺めて」

公開日 : 2007年06月18日
最終更新 :

7泊10日の日程でアルメニア旅行に行ってきました。

本当は6泊9日の予定でしたが、モスクワで足止めを喰らってしまって一日増えてしまいました。

コーカサスの一国、アルメニアは映画「天地創造」でも有名な、旧約聖書のノアの箱舟伝説で有名なアララト山をシンボルとする旧ソ連の国です。

アゼルバイジャン、グルジアを含むコーカサス3国はどの国も、もともと行ってみたい地域ではありましたが、それぞれの国に見所が多い地域であり、最終決断としてどこか一国に絞って旅行することにしました。


昨年旅行したノルウェーにおいて、世界遺産ウルネスのスターヴ教会を始めとする北欧の木造建築教会を訪れて感動したため、石造建築の最高傑作がある国を前々から探していました。

西ヨーロッパのゴシック建築、バロック建築の大聖堂、教会などはいくつか見てきたのですが、何かちょっと違う。

ここアルメニアは「石の国」といわれ、首都エレヴァンや地方都市の建物にいたるまで、ほとんどの建築が方形に切り出された石で建てられています。

事実は単に国内における木材資源が少なく、石で建物を建てるしかなかった、という事情もあったようですが、そういった限られた資源状況から建てられたアルメニア石造教会群を見に行く、というのが今回のアルメニア旅行の主なテーマ。

僕がアルメニアで何を見てきたのか、どんな体験をしたのかはこれからボチボチ書いていきます。


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  • セヴァン湖とタヴシュ地方の2つの修道院②

    セヴァン湖観光を終え、タヴシュ地方へ向かう途中の湖畔に立つ女性の銅像「アフ・タマル」を見た。

    セヴァン湖の半島が島だった時代、島に住む女性タマルと陸に住む若者が恋に落ち、男はタマルに会うため毎日小船で島に渡り、タマルは松明の灯を掲げて湖畔で待っていたそうだ。

    ところがある日、湖が悪天候に見舞われ小船は転覆。男は、

    「あぁ、タマル・・・」

    と言って湖に沈んでいったそうだ。
    こうして一つの恋物語が終わってしまった。

    「あぁ、タマル」の言葉が「アフタマルの像」の語源だそうだ。
    伝説なのに、あってもおかしくなさそうな妙にリアルな話である。


    今も女性像は両手を高く掲げ、若者を待ち続けている。
    (なぜか陸側で)
    その合わせた両手からは、ソビエト時代には本当に炎が出ていたそうだ。
    今は炎はない。


    タヴシュ地方はアルメニアにおいて唯一ともいえる、森林が豊富な地方であり、サナトリウムなども楽しめるアルメニアでも貴重な保養地である。

    アルメニア国内はごつごつした岩肌むき出しの荒野が多く、木々はまばらでわずかに草が生えているような景観がほとんどであるのに対照的な地方だ。

    アルメニアには今も昔も木材資源がほとんどない。

    アルメニア全土の建築において、一般の民家なども含め木造建築というのは非常に少ない。首都においてもまず見かけない。
    現代においても木造の家屋を建てるには、シベリアなどから木材を輸入買い付けしなければならず、非常にコストがかかるらしい。

    この為、アルメニアで見かけるのは石造建築がほとんどだが、タヴシュ地方ではほぼ例外とも言うべき、木造の民家がチラホラ見られる。


    「森の修道院」ともいわれる、ハガルツィン修道院はアルメニアで唯一、森の奥に建てられた修道院である。院内も木々が生い茂り、秋の紅葉シーズンには観光客も山と訪れるそうだ。


    10世紀から13世紀にかけて建築が進んだ、中心となる大きな聖アストヴァツァツイン教会、隣の聖グリゴル教会、僧院、食堂などから修道院が形成されており、しかも保存状態も良好。

    観光客も少なく静か。森の木々のさわやかな香りと鳥のさえずりが心地よい。

    ガイドの話によれば、グルジアからアルメニア入りするツアーなどの観光客が世界遺産ハフパット、サナーヒン両修道院を見た後、エレヴァンに向かう「ついでに」立ち寄ることが多い修道院なのだそうだ。


    エレヴァンからの一日ツアーも多く催行されているものの、多くの観光客は世界遺産で有名なエチミアジンやゲガルド、ハフパット修道院などに行ってしまうようで、いわば穴場地域らしい。


    教会内の見学後、教会裏手にある昔のアルメニアの王族の墓を見に行く。アルメニアの王家の墓というものは、異国からの侵略を受けまくった影響で、ほとんど破壊されたりしたそうで、ほとんど国内には残っていないらしい。

    彫刻された石が地面に敷かれ、風化した祠の跡が残っているだけの粗末な墓。盗掘を恐れたため、遺骸や副葬品などは別の場所に埋葬されたそうで、中には何もないそうだ。

    ちなみにどこに埋葬されたかは現在も不明だそうだ。


    ハガルツィン修道院の食堂は非常に保存状態がよく、丸太のテーブルと椅子が並んでいる。
    僧たちが食事するだけの場所ではなく、付近の住民たちが施しを受けるための場所でもあったそうで、昔は椅子、テーブルなどはなかったそうだ。観光客が利用するために後から作ったらしい。

    元の入り口も施しを与えるように縦に二ヶ所あったが、今はふさがれ、横に一ヶ所あけられている。

    今では訪れるツアー客が昼食のために食堂を利用している。


    この修道院では昔の製法、材料、昔の石釜を使って今でも昔と同じパンが焼かれている。

    割烹着を着たおばさん2人が次々パンを焼き上げていく。

    巨大デニッシュみたいな形をした丸くて平べったいパンを見せてもらう。

    今では観光客の昼食用らしいが、おいしいと評判らしく、僕にも少しだけ試食させてくれた。

    硬めのパンで、麦のいい匂いがする。これはうまい。


    雨が降るかもしれないとの事で、早めにハガルツィン修道院を出てしまった。もっと見たかったのだが、仕方ない。

    次なる目的地、ゴシャバンク修道院へ向かう。




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    退会ユーザ @*******
    07/07/24 00:53

    Re: さきほど放送大学で≪アルメニアの教会建築≫をやっていました。

    駱駝シァンズさん、
    先日はアララト山のお写真がこのページに掲載されていましたね!
    雪なんだ.......と驚きとともに拝見させていただいたものでしたが、先ほどはCATVの放送大学でも同じような景色を見ることができました。
    神々しい山容ですよね。


    たまたまチャンネルを切り替えていましたら、荒れ果てた素朴な教会が次々出てくるので何処かしらと思っていると、アルメニアだったのです。
    これまででしたら(何せ地味な番組ですから)そのまま通り過ぎたかも知れないのですが、駱駝シァンズさんのレポートを拝読していましたので、つい興味がわき、ひきこまれてしまいました。
    ........こういうふうなご縁が、この掲示板の嬉しいところです。


    講師の話によると、アルメニアは地震の多発地帯だけれども、その教会建築は、現代の建物よりも頑丈にできているのだとか。おそらく、駱駝シァンズさんが書かれていたような、方形の石を積み重ねていく工法の故でしょうか?

    また、非常に重要ないくつかの遺跡が、現在はトルコとの国境の軍事境界地域内にあるため、保存が危惧されていることも知りました。


    それにしても、昨年いらした北の果てスウェーデンの教会といい、東方アルメニアといい、キリスト教の伝播力のものすごさを感じます。
    往時のひとびとのどのような思いが、このような地まで教会を建てさせたのかと思うと、感慨深いです。

    いつか、自分のこの目で見るチャンスがあるかどうかはわかりませんが、これまで関心の薄かった地域(空間的にも時間的にも)に目を開かせてくださったことに対し、心からお礼を申し上げます。
    引き続き、レポート楽しみにしております。

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  • セヴァン湖とタヴシュ地方の2つの修道院①

    丸一日かけてアルメニア唯一最大の淡水湖、セヴァン湖とタヴシュ地方にある2つの個性的な修道院をプライベートツアーで見に行った。

    総面積1300平方キロ、海抜2000メートルにある、青い湖面が美しいセヴァン湖は、アルメニア屈指のリゾート地。
    アルメニアには海がない為、多くの人が夏はここに泳ぎに来るのだそうだ。

    水が透き通って深い青色のきれいなセヴァン湖で育った鱒は、旧ソ連では非常に有名な食材だそうで、一般の人たちによる釣り、漁などの捕獲は禁止。
    近郊で養殖されている鱒は1キロ約10ドルなのに対し、セヴァン湖の鱒はなんと10倍の相場で取引されるのだそうだ。

    アルメニア人の平均月収が100ドルだから、鱒一キロと1ヶ月の労働対価が同じだということになる。

    養殖ものと食べ比べると、素人でもわかるというくらい味が違うのだそうだが、多くのアルメニア人にとっては高嶺の花となっており、現在ではほとんどが輸出にまわされ、貧乏国アルメニアにとっては貴重な外貨獲得の商品になっている。

    ガイドも食べたことがないそうだ。

    セヴァン湖に突き出た小高い半島のてっぺんに、9世紀創建のセヴァナヴァンク修道院がある。

    半島というか、元々は島だったのだそうだ。

    ソビエト時代、お偉い人が「あまり深く考えずに?」セヴァン湖につながる川という川に9つものダムを建設。水位が極端に下がってしまい、島が半島になってしまったのだそうだ。

    おかげさまで?今では教会まで車で行くことができる。

    ボートが並ぶ湖畔を見下ろす観光客用展望レストランが面している道から、一気に屹立した急高配の階段をみやげ物売りを横目に登りきり、辿り着いた修道院の2つの教会と足下に広がる広大な青いセヴァン湖。

    こういう景色を目にした時、あらためて「世界は広いな」としみじみ感じる。

    ここで見たのは聖母教会と聖12使徒教会。
    2つ並んだ教会の前には食堂などの建物の遺構があり、現在修復中だそうだ。

    聖母教会はうす黒い石積みで建てられた、年代を感じさせる教会。
    聖12使徒教会は、それぞれ大きさの違う石を漆喰で無理矢理塗り固めて形にしたような教会。破壊された教会を破片から組み直したためだそうだ。

    この修道院で珍しいのは2つあるそうで、1つは今も現役の修道院はこことエチミアジンの2ヶ所のみだそうな。。。
    今現在の修道士達は、付近の何の特徴もない普通の建物内で生活しているそうだが、お祈りなど宗教活動はもちろんこちらでするらしい。

    もう一つは聖母教会内部にある1つのハチュカル。
    十字架しか彫られていないはずのハチュカルに、キリストなどの聖書の物語が十字架を囲むようにして彫られているという、アルメニア唯一の珍しいハチュカルが現存している。


    修道院見学後、麓の観光客用レストランでセヴァン湖を眺めながら養殖鱒の塩焼きでの昼食。

    セヴァン湖を眺めながら、ご当地の名物での食事は最高。
    昼食を終え、今回の観光のハイライトであるタヴシュ地方の2つの修道院を見に行った。


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  • ホル・ヴィラップ修道院&ノラヴァンク修道院②

    ホル・ヴィラップ修道院から1時間半ほどの道程を経て、辿り着いた周りに民家も何も見当たらない急峻な渓谷の奥深く、崖の上に建てられたノラヴァンク修道院。

    自動車もない時代、こんな難所とも呼べるような辺鄙な場所まで巡礼に来ていた昔の人たちは大変だっただろう。

    数年前から自然、文化両方を兼ね添えたユネスコ世界複合遺産での登録を目指していたが、今年に世界文化遺産にのみ、ようやく登録されたそうだ。


    「ノラ」は新しい、「ヴァンク」は教会という意味であり、直訳すれば新しい教会という意味である。
    新しいといっても12世紀の創建であり、そこから2~3世紀かけて現在の修道院に増築させられていったそうだ。

    修道院は主にアストヴァツァツィン教会、カラペト教会の二つの教会によって形成されている。

    今回見てきたアルメニア教会群の中でも、アストヴァツァツィン教会は一種独特の変わった外観を持っていた。
    スマートなフォルムを持ち、1階がこの修道院を建設したこの地の貴族の墓と祭壇があり、2階が鐘楼という2階建ての教会、2階に上る階段が外壁にあるのだが、1階出入り口を覆うようにして形作られている。

    ガイドは1階、2階出入り口の上部に彫られた彫刻に注目するように促し、

    「あれはキリスト、ペテロ、パウロの彫刻です。アルメニアの教会において、外壁に神の像が彫刻されている教会はここだけです。大変貴重なものです」

    だそうだ。


    カラペト教会は建てて早々、異教徒の侵略や地震などで何度か壊れてしまったらしく、何度か再建されているそうだ。

    教会脇には石積みの遺構が広がっているが、元の建物はこちらに建っていたそうである。
    この教会にも彫刻が多く施され、出入り口上部にある聖母子の彫刻は必見。

    ツアーは、この教会の食堂で遅めの昼食に入った。

    修道院は僧侶の生活の場なので、食堂はある。
    ただ、ノラヴァンク修道院の食堂は大分新しい時代に改築されたようで、古きよき味はない。

    出された食事はパンやサラダ等に、メインのアルメニアの郷土料理の定番、「ホロヴァツ」
    串に刺して焼いた羊の挽肉で、トルコでいうところのキョフテ。

    羊肉のハンバーグみたいなものか。隠し味というかスパイスが効いていて、キョフテよりもうまい、と思う。


    ツアーはエレヴァンへの帰り道、アレニという場所に立ち寄る。

    アルメニアはプラムや桃、アプリコットなど果物がよく育つが、良質のブドウの産地でもあり、有名なアルメニアコニャックだけでなくワインの生産も各地で行われている。

    アレニは有名なワイン生産地の一つで、村の幹線道路沿いには大小様々なガラス瓶や細長い陶製の瓶に詰められた、赤ワインが直射日光を浴びながら露店で売られている。

    ガイドによると自家製ワインだそうだ。
    うまそうだ。飲みたい。買いたい。車停めてほしい。
    こういうとき、団体ツアーに参加したことを悔やむ。

    しかし白ワインが見当たらない。
    アルメニアでは白ワインはあまり飲まれないのだろうか。
    しかしエレヴァンでは普通に白ワインは飲めるし・・・

    ガイドに質問しようとすると、アレニでの目的地に到着した。

    アレニの教会を遠望するワイン工場だ。
    工場見学の時間は無いそうで、試飲のみ。

    セミスイート、ドライ、2ドライの3種類の赤ワインを頂く。

    どれも舌の奥にまで響き渡るような鮮烈なおいしさ。
    何の抵抗もなく喉に通っていく。ドライとはいえ、不思議と甘さを感じる。

    モルドヴァといいアルメニアといい、何でこんなにおいしいワインが造れるのだろう。フランスよりもおいしいワインが多いのではないだろうか。

    お土産に2ドライとセミスイートの2本を購入し、エレヴァンに帰ったが結局日本帰国まで持たず、アルメニア滞在中に全部飲んでしまった。

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    07/07/13 18:32

    駱駝シアンズさん

    アルメニアに関してはもう私の及ぶ所ではないですね。

    私は自己紹介の通り元酒屋です。
    アルメニアワインが気に入られた様で何よりです。
    しかし少し異論がありますので気に入らないでしょうが聞いてください。

    ワインは雰囲気で味が違います。現地で現地の良い雰囲気で飲まれたワインと日本で同じものを飲んだ場合は多分味が違うと思ます。

    私が現役の頃外国帰りのお客さんから聞いた事も無い銘柄のローカルワインが無いか聞かれた事は何回かありました。

    ローカルワインを飲むときの雰囲気は現地で飲むのが一番だと思います。悪しからず。

  • ホル・ヴィラップ修道院&ノラヴァンク修道院①

    エレヴァンからの一日ツアーに参加し、ホル・ヴィラップ、ノラヴァンクの2つの修道院を見に行った。

    エレヴァンから南へ向かうコースで、ツアー参加者はイタリア人、アメリカ人、フランス人、アルメニア人と様々な人種が参加している。

    エレヴァンから車で1時間ちょっと。

    アララト山が目の前に迫る、小高い丘の上にホル・ヴィラップ修道院がある。

    この日は(この日だけは)本当に運がよかった。
    アルメニア滞在中、ほとんど雲に隠れていたアララト山がこの日だけ雲が晴れていて、大小のアララト山がしっかりと見えた。

    ちなみにアララト山を見るのは、夏が一番晴れる確率が高いそうだ。
    ホル・ヴィラップ修道院とバックにそびえる雪化粧したアララト山。

    ここでは世界屈指の美しい風景を見ることが出来る。


    修道院からアララト山までは40キロほどしか離れておらず、歩いていけるのではないかとも思ったくらい、近くにある。

    アララト山は国章にもなっているくらい、アルメニアのシンボル的存在。
    ガイドは「現在はトルコ領」ということを強調しているように、心なしか聞こえた。

    日本で言えば、富士山だけを日本人が最も嫌う国の領土にされてしまったようなものか。


    修道院入り口付近では鳩を売っていた。
    ガイドに「食べるんですか?」と聞いたら笑って否定される。

    「修道院で鳩を離し、鳩と修道院の写真を撮るのです」

    とのこと。

    食べる、ってそんなに変かな?いや、僕は鳩食べられないけど。

    紀元6世紀、キリスト教以前にアルメニアで信仰されていた異教の神殿を取り壊し、その上に建てられた修道院で、現在見られる建築は17世紀の建築であり、アルメニア正教総本山のエチミアジンに次ぐ、正教の聖地なのだそうだ。

    ガイドの説明を僕の渾身の英語力で訳すと、どうやらこういうことらしい。

    「昔、聖ゲリゴールというキリスト教の聖人が、アルメニアの王によって地下牢に13年閉じ込められました。食事等は一切与えられませんでしたが、13年後、王の娘が病気になり王は嘆き悲しみました。そんな折王は神のお告げを夢で見たのです。」

    「ゲリゴールを解放しなさい。キリスト教を信じなさい、と」

    「王は急いでゲリゴールを地下牢から解放しました。13年間食事を与えられていなかったにもかかわらず、彼は生きていました。この為彼は聖人として崇められ、王もキリスト教を国教としたのです。以降王の娘の病気は治りました。」

    「実は信仰心の厚い老女が13年間、毎日地下牢に水とパンを投げ込んでいたのです。だからゲリゴールは生きていたんですね。」


    で、この修道院にはその地下牢が教会脇の礼拝堂地下に残されています。

    しかし、この日はアルメニアの小学生たちの遠足ツアーとかち合ってしまう。2つある地下室のうち、伝承の地下牢のほうは数十人の子供たちで埋め尽くされる。

    結局、この嵐のような小学生たちの群れはなくなることはなく、内部見学はできなかった。

    ガイドによれば、中には特に何もないそうだ。


    修道院の中心に立つ聖アストヴァツァツィン教会前では、修道士たちが
    大勢の観光客の前で聖歌を披露し、拍手喝采を浴びていた。

    どことなく、ロシア正教の聖歌とも西洋カトリックの聖歌とも違う、不思議な音階だ。


    外部は入り口上部の鐘楼一つ、中心部の尖塔一つの典型的な、かつごく普通のアルメニア教会。
    多くのアルメニア教会は、独特の赤茶色の方形の石積みによって建てられており、アルメニア正教の十字架、ハチュカルが石に浮き彫りにされた独自の外観は非常に見ごたえがあるのだが、総じて内部は物足りない。


    僕個人の感想で申し訳ないが、ここに限らずほとんどの教会の内部にあるのはハチュカル、あまり年代を感じさせない祭壇画、わずかに施された浮き彫り、昔の司祭たちの墓くらいで、壁画もほとんど存在せず暗くて地味だった。

    内部見学していると、別のツアーのガイドがツアー客に配っていたチョコレートを、なぜか僕にくれた。

    なんでだろう?

    そもそも「修道院内部でチョコ」の意味がわからなかった。


    修道院から雄大な姿を見せるアララト山を眺めつつ、僕たちのツアーは
    次なる目的地、ノラヴァンク修道院へと向かった。

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  • アルメニア旅行における写真

    旅行において、観光地の写真を撮り始めたのはいつ頃からだったか。

    人生初めての外国滞在だった中国、初めての海外旅行だったエジプト、僕を欧州文化のとりこにした初欧州旅行のフランス等々。

    それらの旅行の写真は写真は一枚もありません。そもそも「観光地で写真を撮る」という行為を、当時全く理解してませんでした。

    この目で見たものが全て。写真を撮るヒマがあったら一分一秒でもこの場の風景を記憶に焼き付けたい。という考えを持っていたため、カメラは防犯用に持ち歩きこそすれ、旅行中はほとんどカメラを持つことはなありませんでした。

    昨年夏のノルウェー旅行前に、知人から安くで買えたデジカメを入手してから、ちょっと写真が面白くなってきたりしまして・・・

    如何にしたらきれいに撮れるか、どの角度が対象を一番美しく見せるか、などを考えたり。旅行中に撮った写真のベストショットがあったら自分のパソコンのスクリーンセーバーにしたりとか、今では旅行の楽しみの一つになりつつあります。

    僕の今回のアルメニア旅行における写真を公開します。

    まだ全部にコメント付けられていませんが、近いうちに整理します。

    http://photos.yahoo.co.jp/ph/luotou1/lst?.dir=/324f&.src=ph


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  • 退会ユーザ @*******
    07/06/23 02:14

    Re: アルメニアにて「聖アララト山を眺めて」/そうか、ノアの箔舟のところなんですね!

    駱駝シァンズさん、旅のレポート拝読しております。
    今回も、焦点をしぼって用意周到、個性的なご旅行をされたのですね!
    いつも感嘆の気持ちで読ませていただいています。


    さて、読みつつ頭に浮かんだ雑感.....
    『そうだ、アフラ・マズダって、マツダランプの名づけ元だったっけ......』
    『え~っ、ノアの箱舟ってあんなところだったのか!もっと死海に近いと思っていたけど、そう言えばあれはあのあたり一帯によく似た伝説がいくつかあると聞いたような気が.....?』
    『アルメニア.....う~ん、今ちょうど読んでいる塩野さんの≪ローマ人・カエサル編≫のところにアルメニアが出て来ている。古い国なんだな.....確かトルコとの間に問題が?』
    『そう言えば子どもにすすめられて≪アララトの聖母≫とかいう映画を見たことがあったっけ。』
    『合衆国等への移民も多いと聞いたような気がする......』

    等々、アルメニアといっても甚だ頼りない断片的記憶しか出てきません。
    (そもそも首都が出てこなかった。)
    そうか、石の建造物の町なのですね。
    いろいろ伺いたいことがいっぱいあるような気がします。

    このあとも楽しみにいたしております。

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    アルメニアについての雑感

    アルメニア人は自らの国をハイアスタンと呼び、2000年以上の歴史を持つ古い国です。

    大昔からペルシャなど近隣諸国の侵略を受け続け、世界各地に散り散りになっていったユダヤ人みたいな民族です。

    おかげで世界各地にアルメニア人のネットワークが出来ているそうですが、日本はもっとも在住アルメニア人の少ない国で、50人位しかいないそうです。

    トルコによって行われたアルメニア人に対するジェノサイド、さらにアルメニアのシンボルであるアララト山を奪われたことなどで、アルメニアの人たちはトルコを毛嫌いしているそうです。

    今回僕が出会ったアルメニア人はいずれも感情的に動かない知識人ばかりでしたが、言葉の節々にトルコに対する微妙な感情が出てきていました。


    現在はトルコ領のアララト山ですが、アルメニアほどこの聖なる山が美しく見える国はないと思っています。

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  • ガルニ神殿とゲガルド修道院②

    ゲガルド修道院は岩山をくり貫いて造られたいわゆる岩窟修道院。

    ガルニの村から車で丘を登り、渓谷を走りぬける途中にある。

    ゲガルト修道院入り口の駐車スペース近辺には商店やら屋台が並び、僕を手招きして「買っていけ」とうるさい。

    修道院の周りを覆う岩山にもポコポコ穴が掘られていて、書庫や礼拝所などがあった。

    ゲガルト修道院は岩山を掘りぬいた洞窟の修道院を教会建築でフタをしたような造りの修道院。

    入り口上部には豹(架空の動物?)2頭が争っている見事な彫刻レリーフがある。


    内部は洞窟なのでもちろん灯りはなく、内部に入るとまず暗闇。

    天井屋根部分にある穴や縦長の窓から一応外光は入るのだが、それでも最初は目が慣れるのに時間がかかると思われる。


    僕は懐中電灯を持ってきていたため、暗闇に困ることはなかった。

    ガルニ神殿の観光客は僕を含めて4人くらいしかいなかったが、なぜかこの修道院は団体や小学生のツアー、観光客が多く賑わっている。


    ガイドがいないため、修道院のあらましとかがよくわからない。
    わずかに知っていた予備知識では、洞窟を覆う教会建築は13世紀の建築。
    「ゲガルド」とは「槍」という意味で、キリストの右脇腹を貫いたとされるロンギヌスの槍を収めていた修道院だったとか。

    現在はアルメニア正教の総本山、エチミアジンの聖堂に収められているというが、ロンギヌスの槍と呼ばれる槍は、確か昔にウィーンの博物館でみたような気がする。

    アルメニアは世界で一番最初にキリスト教を国教とした、という国だから、アルメニアにあるロンギヌスが本物なのかもしれない。

    内部はひんやり涼しく、天井を支えるためか太い石柱が4本立てられていた。内部はいくつか部屋があり、礼拝所や広々としたホールがある。

    洞窟内部は想像していたより随分と広い。いったい何人の人たちが何年くらいかけて掘ったのだろう。

    書庫のような部屋には、お互いの首をロープでつながれた丸顔の豹(架空の動物?)と、中央に羽を広げた鳥の大きな浮き彫り彫刻レリーフがあった。

    いつの時代に、またどういった意味をもって彫られたものか不明だが、迫力を感じさせるリアルなレリーフだ。

    アルメニア正教においては、ロシア正教のようなイコンやビザンチンのようなモザイクなどは存在せず、カトリックのように聖母などを描いた祭壇画が礼拝所に1枚あるのみ。


    ゲガルト修道院の脇には渓流が流れる日本の山奥と似たような風景が見られる。橋が架けられていて、ゲガルト修道院を離れたところから眺められるパノラマポイントがある。

    一応写真を撮ってみたが、修道院の全景はうまく撮影することができなかった。


    1時間くらいかけてゲガルド修道院に滞在、のんびり観光してエレヴァンに帰る。


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  • ガルニ神殿とゲガルト修道院①

    アルメニアにある世界文化遺産のひとつ。

    神殿と修道院はまったくの別物ですが、比較的近い場所同士にあるため一緒に登録されてしまったようです。

    この2箇所は車とドライバーをチャーターし、エレヴァンから約4時間ほどの旅程でした。ガイドはなし。

    先に訪れたガルニ神殿は入場料1000ドラム。
    国内に唯一残るヘレニズム文化の神殿、というのがこの神殿だそうだ。

    テーブル状の切り立った崖の上にポツンと建っている、パルテノン神殿みたいな列柱を持つ小さい神殿。

    はじめに見たとき、

    「何コレ?」

    と思った。


    神殿自体が小さいし、内部の石室は祭壇みたいな所はあるものの、がらんどうで何もなし。

    ショボい!
    これがホントに世界遺産か?と、正直思った。


    どこかに面白い発見はないか?と、神殿をくまなく見てみようとしていると、入場券売り場のおじさんが寄ってきた。

    「お前に見せたいものがある。ビザンチンのモザイクだ。これはすごいぞ!」(英語)

    どうやらおじさんがガイドをしてくれるようだ。


    「神殿を組み上げている、この石を見たまえ。凄いだろう、この石の間にはカミソリ一枚入る隙間もない。もっと凄いのはこの神殿の石の80%が創建当時の石のオリジナルで残っているということなんだ。見てごらん、石の色が違うだろう?」

    あ、確かに・・・

    列柱の上部天井には壁画彫刻が施してあり、

    「あれがアルメニアの神の像だ。この神殿はミトラの神殿なんだ」

    ミトラ?ミトラってどっかで聞いたことがあるような。

    「キリスト教の前は、どんな神がいたの?」

    尋ねると、

    「いっぱいいたよ!アラ・マズダとか」

    アフラ・マズダのことかな?

    「ゾロアスターですか?」

    「何ソレ?」


    まぁいいや。


    神殿の石と石を繋ぐ鉄も見せてもらう。
    これもオリジナルだそうだ。

    おじさんは神殿の脇の赤い石が組まれた廃墟を指差し、

    「見たまえ、これは教会の跡さ。神殿の横に建てられたのだ。あっちのグレーの廃墟は古い王の住居だったんだ。近くに行ってみようか」


    なるほど、おじさんの話聞かなかったら、そんなに古い遺構だとは思わなかっただろう。このおじさんのガイド、面白い。

    王の住居から見える崖下の景色は圧巻。眺めのいい所に住んでたんだな。


    「あの崖の岩が見えるかい?爪で引っ掻いたような削れ方をしてるだろう?神殿と王の家はあの石を切り出して運んだんだ!今たっている歩道の石もその時代に舗装されたまま残ってるんだぞ」

    本当か??だって崖下200メートル以上はあるぞ。川まで挟んでるし。


    ここでいよいよビザンチンのモザイクタイルを見に行く。

    小さな小屋に案内される。

    円筒形の筒のようなものがタケノコのように地面から何本も立っていて、昔の床が少し残っている。

    「昔のセントラルヒーティングだよ」

    なるほど、ローマ・ビザンチンの影響だ。

    その奥に青がよく残っているモザイクタイルの床があった。

    なるほど、これは確かにすごいものを見せてもらった。


    ガイドが終わるとお約束、お金頂戴、だ。

    相場がわからなかったけど、とりあえず入場料と同じ1000ドラムを渡した。僕としては1000ドラム以上の価値がある、面白いガイドだった。


    やがて僕一人だった客も、大勢の小学生たちのツアー客がワンサと押し寄せてきた。

    「次はあっちのガイドだよ」

    と、おじさん。

    「忙しいね」

    と返し、僕もゲガルト修道院に向かった。

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    退会ユーザ @*******
    07/06/22 10:17

    あるめにあ

    駱駝シァンズさん、こんにちは!

    あぁ、またどっかあまり知られざるところにいらっしゃったんだ。
    内容も細かそうだし、もぅついていけないと思っていましたが、ちょっと拝見するとまた面白そうでした♪
    宗教の話も絡んでくるんですね。
    また、どのようにして行ったか、どういう思いで行ったかというようなこだわりがあって面白いです。

    石造建築の最高傑作がアルメニアにあるのですね!?
    「石と石の間にカミソリ一枚入る隙間もない」ような造り。
    これはカンボジアのアンコールワットの建造がそのようだったと見聞していますが、何か関係があるのでしょうか?

    現地で現れたガイドさんの説明の話は臨場感がありました。
    私もエジプトの遺跡でそのような経験をしてきましたが、教えてもらわなければわからないような要点を教えてくれるのでありがたかったです。
    チップ(料金)も上手く渡せた時はうれしいですが、私は一度はこれっぽっち!?という素振りをされたことがあり。(でも演技だったかもという疑いも...?)

    タケノコのようなセントラルヒーティングってどんな様子なのでしょう。
    レポートも続きを楽しみにしています。

    文章だけではわかりにくいところもあり、出来れば写真も希望♪

  • 現地ツアー会社

    アルメニアの古い教会、修道院は首都エレヴァン郊外に散在するため、今回は世界遺産のハフパット修道院など、ほとんどの見所を現地ツアーに参加して周ってきました。

    今回利用した旅行会社は3社。


    「SATI TOURS」

    エレヴァンの目抜き通り、メスロプ・マシュトツ通りにあるツアー会社です。

    日替わりで行き先の違うツアーを催行しており、英語ガイド付きで値段もまぁまぁリーズナブル。


    ハフパット、サナーヒン修道院方面が12時間の行程で12000ドラム。
    ホルヴィラップ修道院、ノラヴァンク修道院方面行きのツアーは8時間の旅程で9000ドラム。

    2~3泊かけてタテフ修道院方面を旅行するツアーもあります。

    ツアーは大体朝の10時から。近場のツアー以外は食事つき。建物2階にあるオフィスは朝の9時前くらいから開いており、当日参加も可能のようでした。

    メスロプ・マシュトツ通りに英語看板が多く立っています。

    レンタカー会社のハーツもまた、レギュラーツアーと称して日替わりツアーを催行していました。利用はしませんでしたが、こちらも市内のあちこちに看板を立てて宣伝しています。

    SATI TOURSよりも安いのではないか、とも思いましたが。



    「ホテル・シラク付属のツアー会社」

    ホテル・シラク脇の床屋の隣りにあるツアー会社。

    一人からの参加が可能ですが、一人で行く場合、値段が非常に高いです。

    ガルニ神殿、ゲガルト修道院に行くのに13000ドラムもかかりました。

    先述のSATI TOURSだと昼食抜き、4時間の行程で一人4500ドラム。

    ただ、車とドライバーのみの手配でガイドがつかないため、気楽に観光できて自分としては満足でしたが。



    「EUR ASIA TRAVEL」

    アポヴィヤン通りにある旅行会社。
    コストパフォーマンスとしてはこの会社が最も高かったです。

    ただし行き先に対してココが一番融通が利きました。
    英語ガイドのほかに日本語ガイドまで手配できます。

    ハガルツィン修道院、ゴシャバンク修道院、セヴァン湖を眺めながらの昼食、セヴァン湖のセヴァナヴァンク教会を日本語ガイド付きで観光して100ドル。

    ナゴルノ・カラバフ方面観光も、相談にのるそうです。



    いずれのツアー会社の人たちも、

    「もっと日本からアルメニアにいっぱいツアー客が来て欲しい」

    と、おっしゃっていました。

    いつか、そういう日が来るのを待ちましょう。


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  • 参考にしたガイドブック

    「地球の歩き方ロシア」

    簡単なジェネラルインフォメーション、及び首都エレヴァンの情報のみ載っています。その他の地方の情報はほとんど掲載されていません。

    これだけで旅行するのは難しいです。



    「ロンリープラネット」

    英語のガイドブック。情報量は流石に多く、ナゴルノ・カラバフ方面の情報まで載っています。この本で一番役に立ったのは地名等がアルメニアの文字で書かれていること。

    バスやマルシルートカの行き先表示は、ほぼすべてアルメニア文字で表示されているため、これは役に立ちました。

    教会等の歴史公証に細かく間違いがあるらしいですが。


    「旅行人 シルクロード編」

    アルメニアに関して、日本語のガイドブックではおそらく一番詳しく書かれていると思われます。

    なんだかロンリープラネットを日本語に訳したような印象を受けましたが。

    ロンリープラネットに比べると、やや情報量が薄そうです。

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