Re: ザルツカンマーグートとヘレンキムーゼまでの交通について

列車がザルツブルク近くになり、車窓に広がる美しい景色に心を打たれました。次の機会にザルツカンマーグートに行きたいと思っています。

さて、プリエン駅にはたしかコインロッカーありましたが、荷物が大きければ駅で訊いてみたらいいでしょう。
駅から桟橋(プリエンストック)までは路線バスがあります。保存鉄道もありますのでお好きな方を。DBの時刻検索でどちらも出てきます。
ここを歩くと50分くらい見ておきたいです。
桟橋からヘルンキームゼーへは定期船で移動します。島の桟橋からヘルンキームゼー城までは緑の中の散策コースです。城内見学は英語・ドイツ語それぞれ入場券売り場で時間を指定してくれます。そこに何時間位いたか記憶が曖昧です。プリエンには3泊くらいしました。
修道院のあるフラウエンキームゼーも水に囲まれた気持ちいい島です。

ザルツブルク→キームゼー→ミュンヘンで一日のよい行楽コースになるでしょう。6月初旬の気候はちょっとわかりません。

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2件のコメント

  • Re^2: ザルツカンマーグートとヘレンキムーゼまでの交通について

    ろっきーさん、さっそくお返事ありがとうございます。ガイドブックには城の紹介だけで行き方があまり詳しく載っていなかったので、様子が良く分かりとても参考になりました。歩くと50分もかかるんですね。DBの時刻表調べて見ます。

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  • Re^2: ザルツカンマーグートとヘレンキムーゼまでの交通について

    さくら!さん、ろっきーさん、こんばんは。

    ろっきーさんはプリーンに3泊程されたとの事、羨ましいです。私も、観光目的なら、そういうゆったりした日程が理想です。

    私がミュンヘンからキームゼーに日帰りしたのは、2002年の事なので情報は古くなりますが、プリーン駅からは蒸気機関の汽車とヘレン島迄の船の往復コンビチケットを購入しました。多分、今でもあるのではないでしょうか?

    又、当時(7月です)の汽車の運行頻度はそれ程多くはなく、帰りは船から降りてかなりの待ち時間があったので、帰りの乗車券はあったのですけれど、歩いてプリーン駅に向かいました。

    行きは汽車であっという間に着いた気がしていましたが、歩いてみると、遠い、遠い、、、50分は掛からなかったと思いますが、微妙な登りですし、途中の景色も殆んど住宅街ですので、長い時間歩きながら眺めていて楽しいという物でもありませんでした。

    お城の見学時間がどうなるか判らないので、帰りの時刻を精度良く見積もる事ができず、こういった事も起こり得るという事です。

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    ボーやさんからレスがついたので

    もう少し思い出しながら書きましょう。

    私の旅行は2004年の7月下旬から8月上旬でした。
    旅行のテーマが森鴎外と友達の画家原田直二郎、もう一つはエーリッヒ・ケストナーだったのでチェコは行程上のおまけです。
    この時ベルリンの森鴎外研究者のベアテ・ウエーバー先生にお会いしていくつかの問題を教えていただくことができました。
    ヘッセン州のフルダに2泊、ベルリンに2泊、ドレスデンに2泊、プラハに2泊、チェスキークルムロフに2泊、キームゼーに3泊、ミュンヘンに2泊というような日程だったと思います。

    プリエンの隣駅イーバーゼーから湖岸近くのフェルトヴィースへバスで行きました。ここのエクステル記念館にはエクステルの友人、当時の留学生原田直二郎の肖像画が残っているのです。フェルトヴィース周辺は河口湖のように、各地からやってきた旅行者向けの宿がたくさんあります。

    ヘルンキームゼー桟橋近くのシュロスホテル併設の建物にもエクステルの絵画館がありますから、余裕があれば見てもらうといいと思います。
    このシュロスホテルは、大戦後ドイツツ連邦共和国が誕生するとき各州首脳が集まって会談した場所です。

    キームゼーはケストナーの小説「二人のロッテ」の舞台で、夏の林間学校でお互いが姉妹と知らずに双子のルイーゼとロッテが出会う場所でもあります。二人はおそらくプリエンの写真館で記念写真を撮ってもらって別々の親の元に入れ替わって帰って行きます。

    プリエンの昔の様子は駅近くにあるインフォメーションセンター近くの資料館で知ることができます。最初の日、駅前の宿に一泊しました。ここの食堂はビジターも入れて美味しいレストランです。
    あとの二泊は湖岸のラインハルトさんのゴルフホテルでした。ハイシーズンでしたので湖岸のプロムナードには夕方夜店が出て、雰囲気のよいオープンレストランになっていました。

    ミュンヘンのことは別にレポートしたことがあります。今回はここまであとはまた別の機会に。