続・銀川から寧夏回族自治区を走り抜ける -大黄河をめぐる旅3 銀川長途汽車站の中。 時間は朝8時前。 售票処の窓口のうえには大きな時刻表。 蘭州の文字がある。時間は8時半。 おっと、と窓口に。 窓口の女性も8時半といったが、100元札を差し出す。 で、出てきたチケットは9時発。 両方ともおやっと思ったが、彼女も時間を訂正したようだ。 まずまず成功だ。 時間がまだ十分あるので、外に出てあたりを探検する。 といっても、初めての土地なので、下手に遠出は出来ない。 ロータリーの公園を歩いて、鼓楼をもう一度見、人の流れに沿って歩いてみる。 比較的高そうな賓館があったので中に入ってトイレを拝借する。 そのあとは、何気ない顔をしてロビーで一服するのだ。 冷房が効いていて涼むにはいいところだ。 ドアボーイやメイドが不審な顔をする時もあるが、その時はさりげなく英語の単語を発して、外国人だと言うことをアピールしておく。 これで、無問題だ。(笑) しばらく休んで、今度は、汽車站の出口から駐車場へ何食わない顔をしてはいる。 朝食用に食べ物を買う。 すると、どうも蘭州行きのバスがある。 新しそうなバスだ。 少々安心する。 さて次は侯車室へ。 ここで土産物を冷やかしたり、自分用のお茶を入れたりして時間を潰す。 乗客の様子も観察する。 ずいぶん、乗客の様子も違う。 中国系もモンゴル系も少なくて、やはりウイグル系の良く日焼けした人々が多かったように思った。 次に、どんなバスか偵察することにする。 時間は早かったが、改札のベテラン女性にチケットを見せ聞いてみる。 この辺は、お上りさん風に(ここは中国の砂漠のど真ん中の田舎だが)甘えてみるのだ。 彼女たちは鉄道の女車掌と同じで疳に障るとこわい女性に変身するのだが、 とても親切に、わざわざ離れた場所のバスの前まで連れていってくれた。 ありがたい。 予想通り、バスはヒョウのマークの付いた新型の中国製大型バス。 トイレ付きだ。 しかし、たぶんこのトイレは使用はしないだろう。(?) 回りの中国の地方の主流のイベコバスやマイクロバスと比べるとずいぶん目立つ。 他にも数台このバスが見られるが、少数派だ。 運転手に、チケットを見せてアピールしておく。 チケットをよく見ると座席指定だ。 (チケットの「快客」は高速バスまたは上級バスの意味のようだ。) あとで、ミネラルウォーターを1本サービスでもらったのには驚いた。 時間と共に、乗客が集まりだし、満員となった。 よく考えると、中国のバスは満員になるとチケットは売ってくれない。 窓口で「没有!」の声が返ってくるだけだ。 早く、チケットを購入していて良かったとあとで思った。 蘭州行き快客バスは銀州長途汽車站を出発した。 まさに、未知の土地への出発である。 少々緊張と興奮を覚えた。
銀川から甘粛省蘭州まで快客バスの旅 -大黄河をめぐる旅4 『中国公路管運里程地図冊』によると、銀川~蘭州はちょうど500㎞。 どこまで高速道路があるのかは不明。 すでに何度か旅行記で触れたが、中国の高速公路(高速道路)の建設スピードは速い。 計画目標を超えているところも何度か経験した。 しかし、突然高速公路が切れることもしばしば。 こればかりは、運を天に任せるしかない。 銀川を出発した快客バスは、すぐに高速公路にはいる。 高速公路は、乾燥砂漠地帯の中を快調に飛ばす。 とにかく、道路は真っ直ぐ荒野の中を・・・・。 とにかくずっと遠方まで何もないのだ。 何とも言えない感動的な景色。(表現力のないことにご容赦を) 通行量が少ないので、それでも時々トラックを追い越す時はスピードがおちるが。 何度かこれまで書いたが、中国のトラックは、旧式のものが多い。 そのトラックに荷物を満載して高速道路を走る。 そのトラックは、追い抜き車線を走っていても決して後続の車に道を譲らない。 これは現代中国らしい風景だ。 しかし、絶対交通量が少ないのでバスは、クラクションを鳴らしながらトラックの列を追い越していく。 2時間半を経過したところでバスはトイレ休憩。6時間あまりの行程のうち、トイレ休憩は、もう一回だけだった。 このサービスエリアもまだ建設中。 当分このままかと。 高速道路の建設スピードの速さが推し量れるだろう。 利用者にサービスを提供するという発想はまだここにはない。 仮設トイレだけが、形ばかりに。 しかし、バス交通は、高速道路の建設にあわせて、路線を拡大していく。 料金も鉄道に比べ高く設定できる。 山東から始まったという高速バスのサービス競争は、福建の高速でも経験した。内陸の、この地域にも早くも広がっている。 例のミネラルウオーターサービスだ。 一人の女性が桃を売りに来る。 小粒の桃。 それを買う中国人もいれば触ってみて一言二言言って買わない客もいる。 また、桃の籠のあるところまで行ってやりとりしている人もいる。 そんな彼らの様子をしばらく眺めていた。 快客バスは時々インターを料金を払って外へ出る。 そこで、乗客を降ろし、そして新しい乗客を乗せる。 客はバイタクやタクシーでインターまでこなければならない。 そして、再びバスは、インター入り口から高速道路へ戻る。 ところが、3時間を過ぎてバスは、インターを出たまま高速へは戻らなかった。 振り返ってよく見ると高速道路はこの先は工事中でここまでだったのだ。 高速公路がすでに開通している蘭州の手前の白銀市まで、国道109号線を ひたすらバスは走った。 しかし、この間の道路周辺の風景が今でも忘れられない。 「寧夏回族自治区」「回族 回 huí 人口 人口約860万人。 唐の時代に移住したアラビア人、ペルシア人が源流。 http://www.allchinainfo.com/ethnic/hui.html」『中国まるごと百科事典』から引用。 (サイト内の文章などを引用・利用された場合は、情報ソースとして『中国まるごと百科事典』の名前とURL:http://www.allchinainfo.com/ をお入れ下さい。) 国道は普通の農村地帯の中を突き抜けて行く。 灌漑によって出来た村々。 バスは時々、スピードを落としてクラクションを鳴らす。 追い越すのは、決まってスピードの遅いトラックターだ。 運転は、男。 決まって荷台には女性。 赤銅色に焼けた肌だが、それなりに女性は美しい。 回族の人たちだ。 あちこちで市が開かれている。 快客バスと一クラスうえのバス乗客。 明らかに、ギャップがあるのだが、そこには回族の人たちの生活の場があった。
再び広大な黄土高原の姿に驚く -大黄河をめぐる旅5 寧夏回族自治区まで乾燥砂漠だった景色が、甘粛省にはいると突然、これまたはじめてみる景色に変わったのだ。 これまた、表現が出来ない景色。 なだらかな山のような起伏が突然現れてくる。 それが前方に延々続くのだ。 写真にとってもその臨場感は出ないと思う。 それが実は蘭州まで続く黄土高原の西端だった。 それはすごい景色。(笑) みなさんは、黄土緑化計画というのを聞いたことがあるだろうか。 毎年、春になると偏西風に乗ってやってくる黄砂、黄河の色を決める黄土、これの流出防止策だ。 いつはじまったかはさだかではない。 目の前には、黄土高原の草木のないはずの黄土が広がっているのだが、延々とその表面に緑の筋が着いているのだ。 それも遙か彼方まで。 よく見ると、黄土の斜面に平行に人が歩けるほどの道が無数に造られ、それに沿って緑の草がわずかだが生えているのだ。 その緑の強弱は場所によって異なるのだが。その風景が、黄土高原の南の端にある蘭州に着くまで延々と続いたのには参った。 全て人海戦術による結果に他ならない。 この黄土緑化が実現するのは不思議と可能なような気がしたが、その実現までにどれくらいの年月がかかるのかは想像が出来なかった。 快客バスも黄土地帯にはいると、道路の周囲の人々の姿も変化をはじめた。 黄土地帯は乾燥地であるにかかわらず、始皇帝の秦の時代から人々が住み続けてきた歴史がある。 そんな変化を感じた。 白銀の町からは再び蘭州までの高速道路にバスは入った。 そして、黄河を渡るとそこは蘭州の町だった。 バスは、蘭州汽車東站に到着した。 正確な時間は、覚えていないが、午後になっていた。 ついに、中国5日目にして到達した蘭州。 さて、これからどうするのか。 それは、まず、次の鉄路の切符を買うことだった。 そのためには、蘭州火車站 を探さなければならない。