07/05/20 19:49

5) 運河と水門(その2続き、雨宿り、長文)

セーヌ川の船の行き来を見ていて、夕方になって、雷とともに夕立がやって来て、大変な土砂降りになった。
コントロールタワーのひさしの下で雨宿りをしていると、水門の担当者が、そこじゃ濡れるから、中に入れば、と言うので中に入れてもらった。

コントロールタワーの中で、どこから来たのかとか、話をしながら、雨が上がるのを待っていたけど、やみそうもなく、6時半になったら水門は閉めるので、その後車で送って行ってあげる、と言ってくれた。

6時半になって、コントロールタワーを出ると、水門のすぐ近くに従業員の家があって、入るように促された。
そこでは、もう一人の年配の従業員がすでに戻っていて、カシスのリキュールと白ワインを出して、3人で、雑談になった。
このカシスと白ワインを混ぜる飲み物は、キールと言って、食前酒である。

若い方が曰く、日本人は、外国人に親切だと聞くが、フランス人もひけは取らない、もっと飲んでくれ、と言った調子で、話が弾んだ。(ただし、食前酒だから、つまみはなし。)

年配の方は、ノルマンデイー地方の出身だと言ったが、私は彼のアクセントに慣れていないので、7割ほどしか聞き取れない。私が分からないというと、若い方が、標準のフランス語に翻訳してくれる。

若い方は、名前をセドリックと言った。年配の方は聞いたことのない名前で、覚えられない。彼らも、私の下の名前を聞くと、難しい、なんていって笑っている。

7時半頃、若い方の奥さんから、大雨と帰りが遅いので心配して、携帯電話がかかった。
「今、日本人の知り合いが出来て、○○の家で日本について話し中だ。日本人、ヤ、マ、モ、ト、なんかそんな名前の男だ。もう少ししたら、彼を家まで送っていって帰る。」なんてやっている。
私は、全く山本なんかじゃないが、奥さんに問われて、彼の口からとっさに出てきた日本人の姓に大笑いだった。

話の成り行きで、私が、ノルマンディー地方に旅行に行くと言うと、年配の方が、デバックマン(ノルマンジー上陸作戦)の地点に見学に行くのか、と聞いた。
私がそちらへは行かない、と答えると、若い方が、日本はアメリカと戦争していたのにあんな所には行かないだろう、と言いながら、銃座で重機関銃を撃つ格好をして、ダダダダ、ダダダダ、なんてやっている。
(多分、兵役で訓練を受けたのだろう。)

年配の方が、そうだろうな、広島と長崎に原爆落とされたし、原爆で25万人ぐらい死んだから、アメリカ好きな日本人は少ないかもね、なんて言っている。

私が、若い人の中には、昔のことはあまり気にしない人もいるから、アメリカ好きな人もいる、と言うと、年配の方は、なぜ好きなのか理解できないという表情だった。

ちょうど雨がやんだ頃、年配の方の奥さんが帰ってきたので、食前酒キールでの雑談は終わり、若い方は、近くの自分の家に帰ることになった。

送って行くと言われたが、雨も上がったし、みんな相当飲んだようなので断り、またてくてくと歩いて帰った。

それにしても、年配の方は、原爆を落とされたのが広島と長崎で、犠牲者が25万人だなんて、当事国じゃないのに、よく覚えているもんだ。
私は、何人犠牲者がいたのかなんて、数字は知らなかった。
確かに deux cents cinquante mille 25万と言う話題になった。
後で調べると、そんなに大違いの数値ではない。

宿泊している家に帰り着いたら、8時半を回っていた。
この日は、考えさせられた。

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