レポート

フランスへ行ってきました

公開日 : 2007年05月20日
最終更新 :

5月の連休を挟んで、フランスへ旅行に行きました。
フランス到着後、パリ南部郊外Essonne県の知り合いのフランス人の家庭に投宿し、滞在中に、南仏、及びノルマンディー地方を旅行しました。

最初の数日 パリ散歩
前半の旅行 パリ→ トゥールーズ→ カルカッソンヌ→ ニーム→ アヴィニョン→ パリ
中間の数日 パリ近辺散歩
後半の旅行 パリ→ エトルタ→ ルアーブル→ オンフルール→ カン→ モンサンミシェル→ サンマロ→ パリ
最後の数日 パリ散歩及び昼寝

旅行中に見聞したことなど、以下にレスの形で続けます。

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15件のコメント

  • 07/05/26 16:15

    15) カスレ(料理名)のお焦げ

    カルカッソンヌで郷土料理カスレを食べようと思って、あるレストランに入った。

    店の入り口には、カスレと、カスレ・カルカッソンヌ風の2種類の表示があるので、違いは何かと聞くと、カスレは鶏肉だけ、カスレ・カルカッソンヌ風は鶏肉とマトンが入っているとの説明だった。
    それで、カルカッソンヌ風の方を注文した。

    鉄の平鍋に、料理が入っていて天火で焼いたらしく、表面は、かなり黒こげである。
    大きな平皿の上に、出して食べる。
    一番上に、サラミソーセージのような物で2倍ぐらいの大型のソーセージ薄切りが乗っているが、焼かれたので、反って周りが半分炭になっている。中心だけを切って食べてみたが、乾燥していて、別に、何の変哲もない。3枚あったが、試食は、一枚だけにして、後は、皿の縁へゴミとして、移動した。

    鍋は、白インゲン豆で満たされているが、これも、豆の表面が黒こげの状態になっているので、表面の焦げた豆を全部さらえ取って、大皿のゴミの一角へ移動。
    ゴミの山が大きくなる。

    ぎっしり詰まった豆の中をフォークで探ると、鶏のもも肉1本が出てきた。次いで、マトンの固まり。どちらも味を付けて煮てから、この鍋で豆と一緒に天火にかけるらしい。味はいい。

    鍋の中には、野菜少しと、大量の白インゲン豆が残った。白インゲン豆の食感は、うずら豆を煮た物のような感じだった。
    火は、上からだけらしく、鍋の底の方は、焦げていなかった。ぎっしり入っている。すくっては、皿の上に出し、食べるが、とても食べきれない。

    それにしても、ソーセージの黒こげは、味をしみ出すためにそうしているので、食べるための物ではないのか、料理人がよそ見をしていて取り出す時機を失したので、黒こげになったのか、どちらなのだろうか。
    量が多すぎて残したので、ソーセージを食べられなかったことは別にかまわないが、どうであるのが正解なのか、気になった。

    周りを見渡してみたが、私の周りのテーブルで、カスレを食べていたのは、私だけだった。

    給仕人に聞こうかと思ったけど、ここの給仕人は、せかせか歩き回って、落ち着いて話をする雰囲気ではないので、代金を払って席を立った。
    出口付近では、店主とおぼしき人が、満面の笑顔で「メルシー、ムシュー、良い夕べを」なんて挨拶して送り出してくれたので、気後れして、聞きそびれてしまった。

    カスレとワインしか取っていないので、あまり売り上げには貢献していないが、あの笑顔はレストランが客を歓迎した印象になる。
    食べ過ぎの感はあったが、気持ちいい夜風に吹かれて帰途についた。

    後に残った疑問です。
    料理に詳しい方がいたら、
    カスレのソーセージは黒こげで食べられないのが普通なのか、料理人のよそ見のせいなのか、教えていただけると、ありがたいです。

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  • 07/05/26 15:35

    14) オヴェール・シュル・オワーズ Auvers-sur-Oise

    今年の5月1日は、祝日と火曜日が重なっているので、ほとんどの美術館は閉まっているようで、郊外の村 Auvers-sur-Oise へ散策に行くことにした。

    (Auvers のカタカナ表記は、オーヴェルと、オヴェールの両方あるようですけど、現地で聞いた感じでは、後ろの方のヴェの方を少し長くオヴェールと発音する感じでした。)

    パリ北駅のtransilienと書いてある国鉄近郊線窓口で、Auvers-sur-Oise へ往復の切符を下さい、と言うと、窓口のお姉さんが、余暇で行くのですか、と聞くので、おやおや何でそんなこと聞くのかと思いながら、そうです、と答えた。
    すると、続いて、Auvers城を見学されますか、と聞くので、多分入るだろうと思い、はい、見学します、と答えると、国鉄のホームページにあるフォルフェ・ロワジール Forfait Loisirs のページを印刷した紙を見せ、これで行くと安いですから、これをお勧めします、と言われた。
    http://www.transilien.com/web/site/accueil/citylien/forfaits-loisirs/Chateau-Auvers-sur-Oise
    料金は16ユーロだった。切符と、城の入場券を別々に買うと、19.4ユーロなので、ちょっと安くなっている。
    切符は、普通の地下鉄の切符と同じ様式に、一枚は、Auvers-sur-Oise往復、もう一枚は、オヴェール城入場券と書いてある。

    パリからの電車は、ポントワーズで一旦乗り換えになる。
    ポントワーズで駅構内の時刻表を見ようと思い、この切符を改札機に通したら、ピーと音がして、ホールの方へは出られなかった。この切符は、途中出場できないらしい。
    そばに駅員がいて、どこへ行くのですか、と聞くので、切符を見せて、駅で時刻表を見たい、と言うと、駅の時刻表を調べに行って、Auvers-sur-Oise行きの時刻とホーム番号を教えてくれた。
    ホームでよく見ると、ホームにも時刻表が表示してあった。

    村に着くと、村の中の道の分岐点には、観光用の行き先表示板がよく整備されていて、分かりやすかった。
    Auvers城の中は、印象派の出来はじめの頃の説明や、当時の市井の人々の生活など、当時の世相中心の展示で、なかなか良くできた展示で、楽しめた。

    ゴッホの眠っている墓地は、村に近い方の入り口には、墓の配置図がなくて、どうやってゴッホの墓を探そうかと思ったが、遠い方の入り口が正門らしく、そこには、有名な人の墓の配置図が掲げられていて、それを見てゴッホの墓を探した。

    5月1日は、誰でもスズランの花を売っていい日だそうで、何カ所か、村の辻に親子連れが小さな机を出してスズランを売っていた。1本1ユーロもしない程度で、子供の小遣い稼ぎのようだった。
    フランスでは、この日にスズランをもらうと、もらった人にいいことがあるとの言い伝えがあるそうだ。

    ガシェ医師の家とか、その他閉まっているところもあったが、晴れていたこともあり、村の雰囲気は良く、観光ポイントは適当に散らばっていて、散策するにはいい村だった。

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    早速のご回答有難うございます。

     とても参考になりました。パリのメトロは乗ったことがありまうが、国鉄はまだ乗ったことがありませんので少し不安です。しかし、オランダやイタリヤでは乗れたので、まあどうにかなるかなと思っています。有難うございます。

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  • 07/05/20 20:15

    13) 大統領選挙(開票風景)

    宿泊している家の人が、今年は選挙のお世話をする番に当たっているそうで、「開票は公開であり、誰が見に来てもいいので、もし興味があったら、8時の投票締め切りの後、体育館に見に来てはどうですか」と言われたので、見に行った。

    行くと、体育館は開けっ放しで、見に来ている人が何人かいた。
    ちょっと早かったらしく、開票の準備中で、開票テーブルから少し離れた位置に突っ立っていると、責任者が「あなたは、お手伝いに来てくれた方ですか」と尋ねたので、「いえ、見に来ただけです」というと、「ああ、見に来た方ね、どうぞ」と言って、もとの方に戻って行ってしまった。

    そのうち、開票が始まると、少し見に来る人が増えたが、ここの開票区では、見に来た人は20~30人程度だった。
    母親が、子供連れで来ているのもいた。多分、夫が世話をする役になったので、家族で見に来たのだろうと思う。

    見るのは、テーブルに近づいてもいいし、おもしろい無効票があると、開票作業者は椅子に座って開票作業をしているが、その後ろから覆い被さるようにして、見ている人もいる。

    投票は、封筒に入れる方式なので、封筒を開けて、無効票だと、そのテーブル4名全員が、投票封筒にサインして、無効用の大封筒に入れる。

    私は、自国で開票の参観に行ったことはないが、多分、参観人の席が決まっていて、こんなに近づいたり出来ないんじゃないかと思う。インターネットによると、一般参観者席と、記者席を分けると書かれているものや、自分の選挙区以外の開票所には参観できないとか決まっているようだ。
    第一、名称が「参観人」で、お上のすることを見学させていただくと言うニュアンスがある。

    フランスでは、誰が見に来てもいいと言っても、私のような外国人が名前も記録せずに自由にすぐ傍まで行くなんて、自由にさせておいても妨害する人なんていないと言うことらしい。
    または、お世話する人や見に来た人が、選挙の秩序を守っていると言うことか。

    フランス革命以来、紆余曲折あったけれど、選挙を始めて200年は経っているわけだから、ほっといても秩序ある行動がとれると言うことかと思いました。

    (ヨーロッパの他の国や米国でもそうなんでしょうかね。)

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  • 07/05/20 20:10

    12) サンドイッチ

    私は、前歯の歯茎があまり強くないので、バゲットのサンドイッチがちょっと苦手です。
    モンサンミシェルに着いたとき、あまり重いものは食べたくなかったので、サンドイッチ屋の前で、三角のサンドイッチがないか物色していました。

    店のおばさんが、「ムシュー、何をお探しですか」と聞くので、「サンドイッチを探しているのだけれど、歯が悪いから、バゲットじゃない柔らかいのを探しているんです」というと、「これどうですか、柔らかいですよ」と言って、ショーケースの端の方にあったのを出してきて、指で押して見せて、「柔らかいでしょう」と言いました。

    私も押してみて、確かに柔らかそうなので、それを買って食べましたが、味は、悪くはなかったです。

    使われているパンは、パンというより、インドのナンみたいな様子で、20cmぐらいの円形を真半分にしたものでした。
    パンには、直径3mmくらいの貫通穴がいくつもあって、それまで見たことはなかったです。

    このパンみたいなのは、何というのでしょうか。
    そういえば、食料品店に行くと、インドのナンみたいなものを、売っているものがあり、めちゃ安ですが、これと同類なのでしょうか。(貫通穴はない)

    ご存じの方がいたら、お教え願いたいです。

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    フォークで刺したような穴でしょうか?

    mamoruさん、こんにちは。またフランスへ行かれたんですね。
    いいなぁ。

    >パンには、直径3mmくらいの貫通穴がいくつもあって、それまで見たことはなかったです。
    このパンみたいなのは、何というのでしょうか。

    イタリア・リグーリア地方の「フォカッチャ」とは違いますか?
    写真を見れば分かるかもしれませんが。


    そういえば、食料品店に行くと、インドのナンみたいなものを、売っているものがあり、めちゃ安ですが、これと同類なのでしょうか。(貫通穴はない)

    うーん、どうでしょうねぇ。私はそのインドのナンみたいなものをフランスの食料品店で見たことないです。

  • 07/05/20 20:08

    11) パリ国鉄駅の荷物一時預かり

    パリ・リヨン駅に行ったとき一時預かりの前を通ったので、客もあまり来ないようなので、係の人に少し聞いてみた。
    係の人は、大柄の黒人で、発音は、ちょっとアフリカの仏語っぽい。

    私: 日本では、フランスの一時預かりは、時々閉まると聞いているけど、そんなことがあるのですか ?
    係: 時々って、夜は閉まるけど、昼は月火水木金土日、毎日開いているよ。
    私: でも、vigipirate (テロ対策)が発動されると閉まるのではないのですか ?
    係: vigipirate が出ても、この機械(X線装置)があるから、閉まることはないよ。
       でも、銃、爆薬、その他危険物(パネルに書いてある)は預からないけどね。
    私: それじゃあ、この機械が出来てから、今まで閉まったことはないのですか ?
    係: 俺の知っている限り閉まったことはないよ。
    私: そうですか、それじゃ今度来るとき、そのつもりにしています。
    係: 是非どうぞ。良い一日を !

    このおじさんの話からすると、かなりの確率で開いていると見なして良さそうです。
    北駅にも行ったけど、一時預かりは客で忙しそうだったので、話は聞かずに前を通っただけでした。

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  • 07/05/20 20:06

    10) モンサンミシェル(その3 対岸のホテル)

    工事現場は、対岸のホテルのある地区のすぐ隣です。

    ここの掲示板で、ホテルの客室からモンサンミシェルが見えるホテルはどこか、などの質問があるので、ついでにこの辺も散策してみました。

    モンサンミシェルに向かって道路の右側はモンサンミシェルに一番近いホテルが、Relais Saint Michel スーパーマーケットやカフェレストランを挟んで Hotel Vert 、Hotel Saint Aubertの順で、その先は畑と牧草地です。

    Relais Saint Michelには、MSMの方を向いた方向の2階に客室の窓が多くあるので、ここのホテルには、MSMが見える部屋があると言えます。
    後のホテルは、多分、立木や、前方のホテルがあるので、見えないだろうと推定します。

    道路の左側は、MSMに一番近いのが、Hotel de la Digue、次いで Le Relais du Roi 、駐車場を取り囲むおみやげ屋さんの屋台の集団を挟んで、Hotel Formule Verte、次いで Hotel Mercure となっています。
    (中間のその他のレストラン等は省略)

    こちら側では、一番近いHotel de la Digue ですが、一階のMSMを向いた面は壁だけ、その上の2階は、大きなガラス窓になっているので、食堂かホールかでしょう。
    客室は、川の方に面していて、身を乗り出せば、右側にMSMが見えるかも知れないし、窓が引っ込んだ取り付けになっているので無理かも知れません。
    ただし、現在は、裏の道路を挟んで工事現場の正面で、宿泊するにはちょっと無粋、と言うところでしょうか。

    Hotel Mercure は最も遠いのですが、建物が他とは少し高いので、最上階の部屋から屋根越しに見えるかも知れないし、遮られて見えないかも知れない、という感じです。

    (以上、今後行かれる方への参考です。)

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    07/05/24 08:08

    参考にさせて頂きます

    来月23日過ぎから数日間フランスに行きます。
    ロンドンで車を借り、ポーツマスからフェリーで行き、フランス北部を4日間程あちこち見て回ろうと思ってますのでこのレポートがとても参考になります。

    モンサンミッシェルには是非寄ろうと思ってますがホテルはご案内のホテルの中から選ぶ事になると思います。
    或いはそこから離れた場所になるかも知れませんが。

    他にどこかお勧めの街や村は有りますでしょうか?
    是非お教え下さい。
    尚、自前のナビを持参しますので迷う事無く何処にでも行けます。
    宜しくお願いします。

  • 07/05/20 20:02

    9) モンサンミシェル(その2 工事現場)

    朝、カンを列車で発ってポントルソンに着き、バスでモンサンミシェルに向かった。バスの所要時間は、15分ぐらいです。

    帰りは、サンマロに向かったのですが、モンサンミシェルから直接サンマロに行くバスはなくて、一旦ポントルソンまで行き、ポントルソン始発のサンマロ行きのバスに乗るようになっていました。

    時間に余裕があったので、2km土手を歩いて、対岸のクエノン川のダムを造る工事現場を見に行きました。

    その日は、土曜日だったので、工事はお休みで、工事の概要を説明した大きなパネルが掲げてありました。

    ダム工事は、2012年まで、あと5年かかるようです。
    満潮になったらダムの中に水をため、干潮の時に水を放流して、沈殿物を沖の方まで流すということだそうです。
    このあたりの土は、粘土のような超微粒子で、おそらく上流から大量に流されてくるのじゃないかと思います。

    作動させる堰板の形もユニークで、それなりの工夫はあるようでした。
    (そんなにうまく、絵に描いたように、砂が流れてくれるかどうか、素人ながら、疑問もあります。)

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  • 07/05/20 19:57

    8) モンサンミシェル(その1 騒ぐのは誰 ? )

    モンサンミシェルの修道院の一番上階の礼拝堂へ行ったら、ちょうどミサの最中だった。
    女性のコーラスで讃美歌を歌っていたが、澄んだ声で特別上手な人たちが歌っているっていう感じですばらしかった。

    ミサを受ける人と見学だけの人の椅子席は、床の高さステップ一段差が付けてあるが、その境に簡単な手すりがあって、注意書きが左右2箇所に貼り付けてある。
    仏語で、「ここは厳粛な宗教的区域に着き、お静かにお願いします」という内容だったと思う。
    (書き写さなかったけど、この程度の仏文なら、私にも理解できる。)
    すぐその下に、中国語で、同じことが書いてあるようだ。
    中国語は分からないが、漢字をたどれば、上の仏文と同じ意味ととれる。

    書いてあるのは、2カ国語のみで、仏語で書くのは自国語だから当然として、英語がないのは書く必要がないってことでしょう。

    中国語だけあるってことは、中国人は場所をわきまえず騒がしいってことを、ここの修道院は思っているってこと ?

    日本人はここで騒いだりする気にはとてもならないと思うけど、この注意書きは、なんだか軽蔑されているみたいで、日本語がなかったので、胸をなで下ろした。

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  • 07/05/20 19:55

    7) エトルタ(その2 アルセーヌ・ルパン Arsène Lupin)

    (日本のアニメ、ルパンⅢ世とは違います。念のため。)

    ここエトルタは、怪盗アルセーヌ・ルパンの小説「奇巌城」の舞台となった場所で、小説に出てくる海の上に突き出た岩峰が鋭い。

    ガイドブックには、岩のアーチだけが写っている写真が多いけど、アーチと岩峰の両方写った写真を出してほしいと願うものです。

    近くに、作者モーリス・ルブランの家をルパンの家として内部を秘密めいた感じに改造して公開しているのがあって、それなりに楽しめました。
    ルパンものは20弱ほどのシリーズがあるようで、今でも本は絶版ではないらしく、ルパンの家では1冊5ユーロで各巻販売されていました。

    「奇巌城」は、シリーズの中でも、良くできた作品の一つだと思います。

    「青空文庫」というところが著作権の切れた小説をネット上で公開しているので、もう一度読んでみようと思われる方は、以下で読んでみてはいかがでしょうか。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/001121/files/46187_23055.html

    菊池寛が子供向けに抄訳したもので、現代語に変換されていて、短時間で読めます。中に出てくる17歳の中学生というのは、戦前、旧制中学のつもりで訳したのでしょう。
    今なら、高校生で、原文を見ていないけど、フランスではリセの生徒 lycéen だろうと思います。

    菊池寛は、英文科出身で、使った底本は英訳されたものだろうと言われています。
    仏語では、ルパンは、リュパンになるのですが、現在は訳本の影響か、ルパンと言うのが本家の言い方だと信じている人がほとんどでしょう。
    英語直読みでルピンにならなかっただけでも、せめてもの慰めでしょうか。

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  • 07/05/20 19:51

    6) エトルタ(その1 行き方)

    行き方は以下のルートを取った。

    パリ・サンラザール駅から、ルアーブル行きの特急列車に乗り、Bréauté-Beuzeville ブレオテ-ブーズビルで降りる。
    次いで、国鉄連絡バスで Fécamp フェカン駅まで行き、フェカンからルアーブルまで行くバスで、途中のエトルタで降りた。

    (ブレオテ-ブーズビルからエトルタへ直接行くバスは、夏休み以外は、曜日が限られるし、朝と夜の片道1本のみで、利用できるのは限られる。)

    フェカンとルアーブル間のバスの時刻表は、以下 ↓ 24番です。
    http://www.seinemaritime.net/upload/medias/guidepart1.pdf

    フェカンのバス乗り場は、始発がガンベッタというバス停で、このあたり海岸段丘になっていて、国鉄駅は下、バス停は上の教会の真後ろにある。バス停のところの建物の一角に小さなバス事務所もある。
    降りたのは、エトルタのバス停 mairie 市役所です。

    (以上、今後行く人のために)

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    退会ユーザ @*******
    07/05/22 01:00

    Re: 6) エトルタ(その1 行き方)

    こんにちは!

    旅行記、読ませていただいています。
    実はまだ飛び飛びなのですが.........何せエトルタへの行き方を詳しく書いてくださっていましたので、これは要チェック!さっそく控えさせていただきました。
    ありがとうございました。


    アルセーヌ・ルパン、懐かしいです。
    中学生のころ熱中していました。今振り返りますと、新潮文庫の堀口大學さんの訳はセンチメンタルで、実に甘くて魅力的な人物像になっていましたね~。
    後日、他の人の訳で読むと、だいぶんイメージが違ってがっかりしたりしたものです。
    (ところで、大學さんの訳では≪リュ≫じゃなくて≪ル≫でしたね。)


    ルアン、ルアーブル、ディエップ、などなど、ルパンの本拠地?として度々出てくる地名、いつかぶらりと行ってみたいものです。


    ところで、旅クマさんからお酒の話が出ていますが、確か、カルヴァドスもノルマンディーのお酒ではなかったでしょうか?
    こちらはだいぶん強そう.......お飲みになりませんでした?

    “もなか”みたいにチーズをパクつく、というのは笑ってしまいました。私は、薄切りをパンにのせて上品にいただくより、こちらかな。

  • 07/05/20 19:49

    5) 運河と水門(その2続き、雨宿り、長文)

    セーヌ川の船の行き来を見ていて、夕方になって、雷とともに夕立がやって来て、大変な土砂降りになった。
    コントロールタワーのひさしの下で雨宿りをしていると、水門の担当者が、そこじゃ濡れるから、中に入れば、と言うので中に入れてもらった。

    コントロールタワーの中で、どこから来たのかとか、話をしながら、雨が上がるのを待っていたけど、やみそうもなく、6時半になったら水門は閉めるので、その後車で送って行ってあげる、と言ってくれた。

    6時半になって、コントロールタワーを出ると、水門のすぐ近くに従業員の家があって、入るように促された。
    そこでは、もう一人の年配の従業員がすでに戻っていて、カシスのリキュールと白ワインを出して、3人で、雑談になった。
    このカシスと白ワインを混ぜる飲み物は、キールと言って、食前酒である。

    若い方が曰く、日本人は、外国人に親切だと聞くが、フランス人もひけは取らない、もっと飲んでくれ、と言った調子で、話が弾んだ。(ただし、食前酒だから、つまみはなし。)

    年配の方は、ノルマンデイー地方の出身だと言ったが、私は彼のアクセントに慣れていないので、7割ほどしか聞き取れない。私が分からないというと、若い方が、標準のフランス語に翻訳してくれる。

    若い方は、名前をセドリックと言った。年配の方は聞いたことのない名前で、覚えられない。彼らも、私の下の名前を聞くと、難しい、なんていって笑っている。

    7時半頃、若い方の奥さんから、大雨と帰りが遅いので心配して、携帯電話がかかった。
    「今、日本人の知り合いが出来て、○○の家で日本について話し中だ。日本人、ヤ、マ、モ、ト、なんかそんな名前の男だ。もう少ししたら、彼を家まで送っていって帰る。」なんてやっている。
    私は、全く山本なんかじゃないが、奥さんに問われて、彼の口からとっさに出てきた日本人の姓に大笑いだった。

    話の成り行きで、私が、ノルマンディー地方に旅行に行くと言うと、年配の方が、デバックマン(ノルマンジー上陸作戦)の地点に見学に行くのか、と聞いた。
    私がそちらへは行かない、と答えると、若い方が、日本はアメリカと戦争していたのにあんな所には行かないだろう、と言いながら、銃座で重機関銃を撃つ格好をして、ダダダダ、ダダダダ、なんてやっている。
    (多分、兵役で訓練を受けたのだろう。)

    年配の方が、そうだろうな、広島と長崎に原爆落とされたし、原爆で25万人ぐらい死んだから、アメリカ好きな日本人は少ないかもね、なんて言っている。

    私が、若い人の中には、昔のことはあまり気にしない人もいるから、アメリカ好きな人もいる、と言うと、年配の方は、なぜ好きなのか理解できないという表情だった。

    ちょうど雨がやんだ頃、年配の方の奥さんが帰ってきたので、食前酒キールでの雑談は終わり、若い方は、近くの自分の家に帰ることになった。

    送って行くと言われたが、雨も上がったし、みんな相当飲んだようなので断り、またてくてくと歩いて帰った。

    それにしても、年配の方は、原爆を落とされたのが広島と長崎で、犠牲者が25万人だなんて、当事国じゃないのに、よく覚えているもんだ。
    私は、何人犠牲者がいたのかなんて、数字は知らなかった。
    確かに deux cents cinquante mille 25万と言う話題になった。
    後で調べると、そんなに大違いの数値ではない。

    宿泊している家に帰り着いたら、8時半を回っていた。
    この日は、考えさせられた。

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  • 07/05/20 19:44

    4) 運河と水門(その1)

    パリのサンマルタン運河のあたりを散策した。

    河岸で見ていたけど、一隻も船が通らないので水門の開け閉めもなく、Essonne県の投宿先に戻ってから、一隻も船が通らなかった、と言ったら、セーヌ川にも水門はあり、そんなに遠くないから、興味があれば見に行ける、と教えてもらった。

    明くる日の午後、てくてく歩いて、セーヌ川の水門のあるところへ見に行った。
    パリより南に位置していて、パリからいうと上流の地点である。
    水門は、仏語で écluse エクリューズ と言う。

    セーヌ川をせき止めて、堰の端に、巾20m長さ200mぐらいの水槽を作り、川上と川下に水門を設けて、一度に何艘もの船を入れ、高低差を水で平準化して、船の通行を容易にする。

    この上に歩道橋があって、真上から船が見られるし、コントロールタワーへ行く通路にもなっている。

    数多くのレジャーボートの他にオランダなど外国の貨物船も通り、セーヌ川を遡っていくと、ディジョンの上の方で運河によりローヌ川につながり、フランスを横切って、マルセーユ近くの地中海に出られるようになっている由。

    後で聞いたが、通行料は有料で、船の番号を確認してパイロットと交信し、コンピューターに打ち込み、後で請求するそうだ。

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  • 07/05/20 19:40

    3) アヴィニョン橋(サンベネゼ橋)

    アヴィニョンの橋の上で踊るよ、踊るよ♪
    アヴィニョンの橋の上でみんな輪になって踊る♪
    立派なおじさんはこんな風に、そしてこんな風に♪
    きいれいな女の人はこんな風に、そしてこんな風に♪
    (有名な歌、私の拙訳です。仏語の元歌ではこの後、いくつかの職業の人が出てきます。日本で歌われている歌詞の後半に続く箇所は、少し違っていますが、日本の職業に合わせたものでしょう。)

    ガイドブックなどにも書かれていますが、この橋の上でみんなで一つの輪になって踊るほどの広さはありません。4~5人なら何とか輪になって踊れるでしょうけど。

    この橋の取っつき部分に接続していくつかの展示室があります。
    このメロディーについて説明した小展示室の椅子に座って見に来る人たちをぼんやり眺めていました。
    室内では、このメロディーが流れています。

    母親が、メロディーに合わせて、子供たちにこの歌を歌って聞かせます。

    中年のグループが来ると、いくつかのグループのうち、おじさんがこの歌を歌ったりします。

    ある若いカップルが手をつないで来たので見ていたら、男の方が、つないだ手を前後に揺すりながら、この歌をメロディーに合わせて、何回も歌っていました。

    どうも、フランス人は、このメロディーをご当地で聴くと、歌いたくなるらしいです。

    日本では、どの歌がこのような作用があるのか、などと思ってしまいました。

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  • 07/05/20 19:38

    2) カマルグへ行けなかったこと

    カルカッソンヌからニームに朝列車で着いたら、ニームからアルルへの電車がストでその日の夕方まで動かないことを駅で知った。幹線は動くけど、支線はストということがあるようだ。

    アヴィニョンからパリに戻るTGVの早割切符を購入しているので、全体の日程は変えられず、アルルは断念して、その日はニームを散策した。

    こちらへ来たのは、ポンデュガールを見学するのが主な目的だったので、アルルとカマルグを省略しても、まあ仕方ないか、と言う程度です。

    カマルグの現地ツアーのサイトなど、
    あらかじめ四輪駆動車のツアーを探しておきました。以下のサイト3社。
    どこも、2人以上集まらないと催行しないそうです。
    (結局カマルグには行かなかったので、実際の様子は分からず。)
    http://www.safari-4x4-gallon.camargue.fr/
    http://www.camargue-decouverte.camargue.fr/pagesuk/sommuk.html
    http://www.manade-safari.com/manade/camargue.htm

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  • 07/05/20 19:36

    1)建築家オーキュスト・ペレの作品

    パリ郊外の Le Raincy 市にあるオーギュスト・ペレが第一次大戦後に設計した教会を見に行った。

    構造はコンクリート造りで、インターネットなどで見る印象とそれほど変わらないが、中から見るステンドグラスが大きく、色のハーモニーがすばらしい。
    ステンドグラスに興味があれば、行ってみる価値はあると思う。
    (この教会の縮小したレプリカが東京女子大にあると、現地の説明書に書いてある。)

    旅の後半で行った、ルアーブルの第二次大戦後にオーギュスト・ペレが復興に関与した世界遺産に指定されている地区の中心にも、彼の設計した教会がある。
    両方の教会は建て方やイメージはよく似ている。

    それにしても、ルアーブルの世界遺産地区の建物は、1個の建物を見ると、このような建物は日本では、大学や公共の建物で見かけるような気がする。
    それらが集まった地区を世界遺産だとするのも、雰囲気はあるけど、何だかな~、という感じですね。

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