4.いちばん幸せでいちばん不幸だった日PartⅠ さて、シチリア3日目。この日は最高に幸せな思いと、 最高にしんどいことがありました。 幸せだったのは、パラッツォ・アドリアーノ。 アグリジェントから北上して、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の舞台になった広場の村です。 4人のうち2人は2年前に1度訪れているのですが、それでもまた行きたい思いがあり、 映画の音楽を準備して、広場で聞こうということになったのです。 広場に着き、「ニュー・シネマ・パラダイス」の博物館(小さな展示場)を訪れたら、 開館は水曜と金曜のみ。しかも14時~18時(16時だっかな?)。 今日は火曜日、また駄目だ…と思ってガラス窓から中を覗き込んでいたら、1人の男性登場。 「中を見たいの?」と。 そしてすでに鍵を手にしているではありませんか。 中に入ると、撮影当時の写真がたくさん展示してあります。 用意した曲を聴きながら、それらをつぶさに見ていたら、 自然に涙がでてきてしまいました。 彼(中学の音楽教師で、名はフランチェスコ)が、それを見てこんなので泣くようだったら、奥の博物館を見たらもっと感動するよ、 とそちらも開けて案内してくれたのです。(はじめに開けてくれたところは博物館ではなかったらしい。) 博物館もたいして大きなところではありませんがもっと興味深い写真がたくさん展示してありました。 写真の写真を夢中になって撮っていると、 今度は、ずっと前にダイアモンド・ビッグ社で出していた雑誌「トラベル・フロンティア」創刊号に出ていた この村の村長さんがやってきました。 ひとしきりお話を伺った後、みんなで写真を一緒に撮り、 日本に帰ったら、多くの人にこの村のことを伝えてくださいねと、 A3サイズの映画ニューシネマ・パラダイスの広場の絵や、 本当のパラッツォ・アドリアーノの絵、カレンダーなどをセットにして大きな封筒に入れたものを 全員にプレゼントしてくださいました。 それだけでも感動だったのに、フランチェスコが、村を案内して歩いてくれ、 ここがアルフレードが階段に腰掛けていた場面を撮影した階段、 ここが、マンマがトトのお尻を叩いた場面を撮影した小路、と教えてくれたのです。 最後に、お昼を食べるなら、僕の兄のやっているレストランがあるから、そこがいいよと 連れて行ってくれました。 後でそこで食べる約束をし、お礼を言って彼とも別れた後、広場に戻って大撮影会。 その後、バールでビールを飲んで一息ついていたら、 バールのオバチャンが、あななたち、お昼はどこで食べるの? ・・・・がこの村ではいちばん美味しいのよ、と教えてくれたのが、 さっき、フランチェスコが案内してくれた店だったので、 安心して、食べに行きました。 明るく小ぎれいで、本当に美味しい店で、 私たちのテーブルの給仕をしてくれたのが、16歳の息子リコ君。 彼は、好奇心旺盛で人懐こい子で、自己紹介から始まり、 いろいろなことを私たちに話したり、聞いたりしてきました。 お腹一杯になり、ドルチェは食べないと言おうとしたら、 小サイズのカンノーリ(リコッタチーズのクリームを詰めた焼き菓子)を 「僕からのプレゼント」と言って、サービスしてくれたのでした。 午前中で切り上げるつもりだったのに、もう4時近くになってしまいました。 予想以上に充実したパラッツォ・アドリアーノを後にし、 予定していた「ゴッド・ファザー」縁の地コルレオーネ村へ。 こちらには、たいした思い入れもなく、比較的近いのでついでに寄っただけなのですが、 はっきり行って、見るべきものはなにもありませんでした。