瀋陽で市内バスを乗り回す。北陵・東陵はお薦め-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その5

瀋陽には早朝に着いた。
同行の彼王さんが瀋陽で降りるというので一緒に降りることにした。
彼は、そののまま家路についた。
早朝ということで、火車站前の客引きも少ない。
瀋陽は、位置的には、中国東部にあたり、緯度では箱館、軽度では石垣島になる。時差が1時間あり、夜が開けるのは早い。
後で行った甘粛省蘭州は、同じ中国時間でも経度で20度も違い、夜明けが遅かった。
火車站前の食堂に明かりがともっており、客も入っていたので食事を取った。
そのあと、ネオンサインがついた瀋陽火車站 のレトロな姿を写真に撮った。
まだ、市内バスも走っていないので、とりあえずメイン通り中華路を歩いてみることに。すでに、あたりは明るくなっていた。
この通りの周囲も、新しいビルの建設ラッシュだ。
途中、手頃なホテルを探そうと1軒に入ってみた。
金杯賓館(HOTEL JINBEI)でフロントで名刺をもらう。
手頃な値段だ。
外に出るとしないバスが動き始めていた。
近くのバス停に行くと、路線図が書いてあり、比較的わかりやすい。
中心駅の瀋陽北火車站を目指す。
乗ったバスは3けた番号。
バスに乗る時に、料金を運転手に確かめる。
1元だ。これは慣れない街を市内バスで歩くには助かると思った。
バスは、無事瀋陽北火車站 に着く。
さっそく、次の山西省大同までの火車の切符を購入に集票処にいく。
電光掲示板を見ると、何と大同の文字が。
おまけに、硬臥 「有」の文字。
とりあえず、窓口に並ぶ。
内心、切符がなくなりませんようにと願う。
順番が来た。
緊張した声で、「ジンティン・今天」「タートン大同」「インウォー硬臥」と告げる。
いつも聞く「没有!」の声はない。
やったー!!ついている。
すぐに値段がかえってくる。
金額は正確に聞き取れないが、とりあえず、100元札を2枚差し出す。
切符とお釣りがかえってくる。

窓口を離れてゆっくり列車の日付と時間と金額を確かめる。
2180次8月○日 15:03開(発)硬座普快臥 14車06号下舗
153元とある。
空調なしなので最低価格だ。
どうも最後の方の切符のようだ。
列車の大同到着時間もまだわかっていない。
これから列車時刻表を買って確かめよう。
しかし、明朝には確実につく。
これで、このあとの日程が決まった。

今回の中国旅行は昨年、行けなかった大同の雲崗石窟のリベンジが今回の最高の目的だった。
これで、中国入国後3日にして実現することが決まった。
そのあとのことは、これから考えることにする。

発車時間まで、瀋陽観光をすることに。
とりあえず、清朝第2代ホンタイジの墓である北陵へ行くことにする。

集票処は大体火車站の右側にある。
「トイプーチー」と、ちょうど、止まっていたミニパトカーの公安に北陵公園行きバス停はどこかと聞く。
すると、そのままパトカーに乗せられた。(笑)
説明するより、連れていったほうが早いと判断したらしい。
海外、初パトカー乗車である。
不思議な気分だった。
外国人の強みだ。逆にならないように気をつけなければならないが。
北陵公園行きバスに乗り、やはり運転手に「イークァイ?1元?」と確かめることは忘れなかった。
時間はまだ早朝6時過ぎだった。

















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  • 広大な北陵公園・そして東陵-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その6

    北陵(現地ではベイリンと発音していたように聞こえた)は広大な公園だった。
    市内バスに乗っていて、ふと気づくと北陵公園入口をすでに通過してしまっていた。
    次のバス停で降りて引き返す。
    中国の朝は早い。
    たくさんの人が、公園へ向かって歩いている。
    そして、おもしろいことに、いろんな人が道ばたで店開きしている。
    靴下が5足10元というのもある。
    ちょうど、靴下を切らしていたので(少々説明が必要だが今回は割愛)、少し気が向いて、声をかけてみたが、ここで買うのを止めた。
    しかし、帰りにはきれいに店はなくなっていた。
    買っておけば良かったとあとで後悔した。

    北陵公園は6時から開いていた。
    市民が三々五々入っていく。

    そのまま無料ではいっていけるかと思ったが、さすがに入りぐちでチェックが入った。
    入場料は、36元。(2003年発行昭文社『個人旅行中国』では、入場料3元、昭陵10元とある。入場料は超インフレである)
    公園入園料が6元。
    早朝の散歩の市民は無料だ。

    まだ、観光客が来る時間でないので、係員が、入場券に開けるパンチの道具をあわてて事務所に取りに行った。
    みなみやま的にはこんな些細なことに遭遇するのが好きだ。
    普通観光客が早朝荷物一つで、観光地をうろうろするかというのだ。
    そういう観光が好きだ。

    しかし、清朝のホンタイジの墓所のある公園は、中途半端な大きさではなかった。
    とにかく、まっすぐな道が、2㎞近く続く。
    池があり、道の左右にガイドブックに出てくる動物の石像があり、肝心の昭陵にはたどり着かない。
    旅行の最初にしてこのスケールの違いをまざまざと感じた。

    道路では、市民が踊ったり、運動をしたり、散歩をしたり、パホーマンスもある。
    一番目を引いたのが、中国だこだ。
    はやりらしく、かなり高い空までたこが揚がっていた。
    自慢のたこを見てもらうためにあげているのがよくわかる。

    やっとの事で、昭陵入り口までついた。
    ところが門には鍵がかかったまま。
    隙間から中を見たが果たしてどんな構造物なのかもわからない。
    写真屋のおばさんに、民族衣装を着て写真をとらいかと聞かれてことわったあと、いい加減あきらめて、帰ろうかと思っていた。
    ぶらぶらしていると、写真屋のおばさんがかわいそうにおもったのか、7時30分に開門すると云うことを教えてくれた。

    何せ、来る時間が異常に早かったのである。
    それでも、三々五々に、観光客だとわかる中国人家族が数組やってきた。
    いつもの癖で、すぐにあきらめて帰らずに良かったと、広大な昭陵を見学してあとで胸をなで下ろした。


































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    昭陵そして広大な東陵-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その7

    今日「歩き方中国」新版を書店で見てきたが、北陵・東陵の入場料は新料金に改定されていた。
    ところで、昭陵だが、中に入ってその大きさに驚いた。
    全体は城壁で囲まれており、建物は北京の故宮と同じ瑠璃色の瓦が使われている。中門を通るとさらにその奥に建物が続くといった構造。
    具体的には写真のできあがりを待つことにする。

    北陵は、驚きの大きさなのは良かったが、ここで歩くのにすでにへばってしまった。しかし、まだ時間はある。東陵に挑戦しようと思った。
    公園入口までの帰りの道のりはさすがにきつかった。
    すでに、8時半は回っていたと思うが、公園入口の門には、しっかり、観光用の電気自動車がスタンバイをしていた。
    早く訪問するのも、考え物かも知れない。


    ひとまず瀋陽北火車站 まで戻ることにした。
    次は東陵。ガイドブックの218路バスがくせ者だった。
    とりあえずその方向のバスに乗ったが、218路バスの始発は大東門バス停。
    駅からかなり、離れたところ。最初に乗ったバスは、そこを通ったのだが見落とし、みなみやま的いい加減さで終点まで乗ってしまった。団地のど真ん中の終点だった。
    再度戻りながら、リベンジしたが発見できず。
    バスを降りて、繁華街のホテルのフロントに行き、大東門までのバスを聞いて再度挑戦した。
    正解である。
    そこからが大変だった。ドンリン・東陵前バス停までは、1元だが、4車線の立派な道をひた走る。イスが固いので振動もすごい。
    タクシーだとかなりの額になると思われる。

    終点についた。何の標識もない。
    同乗の家族連れが歩く方へしばらく歩くと東陵の入り口があった。
    とにかく中国の観光地はアバウトで歩くことが多い。
    しっかり入場料30元を払って中にはいると、しばらく林の中を歩く。
    しっかり石づくりの坂道の上りがあるのだ。
    東陵は北陵をしのいで規模が大きかった。
    東陵は」、清の初代皇帝ヌルハチの墓である。

    途中で一息入れる。
    途中であったフランス人と会話をする。
    とにかく、これらの世界遺産では、個人旅行のヨーロッパ人と多く遭遇する。
    彼らとの会話はそれなりに楽しいのだ。
    へたくそなみなみやまの英語でもそれなりにつきあってくれる。
    やはり、中国は、彼らにとっては東洋そのものとして興味をそそるもののようだ。

    帰りも大変だった。
    281路バスは本数も多く、駐車場には多くの大気バスが駐車していた。
    そこまで行ったのだが、やはりバス停は4車線道路沿い。
    目の前でバスが出て行ったのはショックだった。
    しかし疲れは残ったものの、東陵は瀋陽では見るべき値打ちのあるものだと思う。
    ただ、時間的余裕と根性がないと、ここまではたどり着けないのも事実だろう。
    いい思いでになった。