中国で乗ったフェリーと出会い-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その3

乗船の改札が始まった。
そのままフェリーターミナルを出て、階段を下りて岸壁へ。
タラップを昇って、少し古いフェリーに乗る。
船名は「誠海輪渡(フェリー)」。
船内に入ってみるとあとでわかったのだが、この船は関西汽船の旧生駒丸。
そこら中に日本語と船名のパネルが残る。
第一、トイレの便器がTOTOだ。
船室は3等Bが大部屋の二段ベッド。で、3等のAはその下の階。
一部屋二人の2段ベット。個室だ。
他に、座席のみチケットもある。
それから、「散席」が一番安かったが、これは自由席というか甲板にシートを敷いて適当に座る席のようだ。
さすがに、これにしなくて良かった。

船内は、満員だ。
いよいよ出航だ。
6時間の予定。
船は、煙台港をあとにして湾外に出た。
穏やかな海を見ながら、これからの未知の中国旅行に感慨はひとしおだった。

船室に戻ると、相部屋のの男性と自然に会話が生まれた。
お互い片言の英語だ。
彼は工業用ロボットの高級エンジニアで出張の帰りでこれから瀋陽に戻ると云うことだった。普通の人である。
やはり、3等A席はそれなりの人が乗るようだ。
それで、大連から瀋陽まで列車に乗るので一緒に駅まで行こうと言うことになった。
たぶん。(十分な会話力がないので、結果から想像して・・・)

それから、この船のことだが、初めて乗った船だがなぜか安心できた。
それは、旧日本のフェリーということで、改装はしてあるが、構造はそのまま。
不思議に、安心できるのだ。おもしろいものである。
乗船者は、さすがに千差万別。
今の中国社会の縮図のような面も見えた。

黄海の航行は、さすがにしばらくは陸地が見えない時間が続いた。
日清戦争の時の黄海海戦のことをイメージに刷り込んだ。
外も暗くなり、大連の街明かりが見えた頃にはすでに
夜9時を回っていた。
所要時間は約7時間。現地時間10時。
着いたところは、普通の工業用資材の陸揚げ用岸壁。
ターミナルなど全くない。
さてどうなるのか。
下船のための乗客の列に並んだ。
背の高い同乗の警官が列を乱しがちなマナーの悪い乗客に盛んに並べと指示を出していた。
この1時間遅れは、このあとの意外な展開が待っていた。







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  • 大連駅は改装中、大連発最終列車に乗る-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その4

    大連駅は改装中だった。

    フェリーを下りると、そこには乗り合いバス。
    同室の中国人に連れられてバスに乗る。
    地図での大連港からの大連駅までは、以外と近かったのだが、このバスは結構の距離を走った。
    途中、集票処の看板があったが、大連から逆コースの乗船は中国語ができなければ至難の業と感じた。
    そして、バスが止まった。その先には、暗い大きな建物。右手には、高架の新交通システムらしきもの。まだ開業していない。中国人の彼も迷ったようだ。
    みなみやま的には、直感として、大連駅の裏側に着いたと感じた。
    正解だった。地下道をくぐると古い駅舎。
    おそらく、近々駅前再開発と共に新駅が開業するのだろう。
     そのあとが、奇々怪々の連続。中国人の彼は、そんなに親しくないにもかかわらず、最後まで面倒を見てくれた。
    まず、切符を買う。それも、10時過ぎだ。時間が過ぎている。とにかく、彼の云うままに切符を瀋陽北まで買った。たった28元。無座(自由席)である。ただし、赤いはんこが押してある。これがあとで威力を発揮するのだ。

    元々、心では、大連での1泊を準備していた。いくら何でも常識的判断。
    しかし、流れだ。決して他人を全て信じているわけではない。
    そこは、自己責任の範囲。
    彼に任せた。
    大連駅の盲点。始発駅である。従って、深夜便はない。
    始発は朝まで待たねばならない。
    しかし我々が乗った列車は10時過ぎの列車。
    彼は、予約した列車には間に合わなかったと行っていた。
    臨時列車か、列車の遅れかかのようだ。
    従って切符の表示とは違う。
    ただ記憶がすでに曖昧なので、定かではないが。

    そのあとが、奇々怪々の展開だった。
    改札が始まり、ホームへ。
    しかし、彼は硬座には行かず、硬臥車に。
    切符がなければ乗車できないが、我々は難なく硬臥車に乗車。
    例の切符のはんこが効いたのか。
    列車は無事発車したが、しばらくは、座席はない。
    彼と車掌のやりとりが続く。
    そして、最後は女性の列車長が最終判断。
    めでたく、列車寝台中段をゲット。
    追加料金44元を払う。

    しかし、みなみやまは冷静だ。
    おそらくこうなると踏んでいたのだ。
    さい先のいいスタートだった。
    大連観光はいつでもできる。すぐにあきらめがついた。
    さい先のいい前触れを感じていた。
    中国最初の夜は暑いながらもぐっすり眠ることができた。
    早朝、5時前後に瀋陽へ着くはずである。



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    瀋陽で市内バスを乗り回す。北陵・東陵はお薦め-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その5

    瀋陽には早朝に着いた。
    同行の彼王さんが瀋陽で降りるというので一緒に降りることにした。
    彼は、そののまま家路についた。
    早朝ということで、火車站前の客引きも少ない。
    瀋陽は、位置的には、中国東部にあたり、緯度では箱館、軽度では石垣島になる。時差が1時間あり、夜が開けるのは早い。
    後で行った甘粛省蘭州は、同じ中国時間でも経度で20度も違い、夜明けが遅かった。
    火車站前の食堂に明かりがともっており、客も入っていたので食事を取った。
    そのあと、ネオンサインがついた瀋陽火車站 のレトロな姿を写真に撮った。
    まだ、市内バスも走っていないので、とりあえずメイン通り中華路を歩いてみることに。すでに、あたりは明るくなっていた。
    この通りの周囲も、新しいビルの建設ラッシュだ。
    途中、手頃なホテルを探そうと1軒に入ってみた。
    金杯賓館(HOTEL JINBEI)でフロントで名刺をもらう。
    手頃な値段だ。
    外に出るとしないバスが動き始めていた。
    近くのバス停に行くと、路線図が書いてあり、比較的わかりやすい。
    中心駅の瀋陽北火車站を目指す。
    乗ったバスは3けた番号。
    バスに乗る時に、料金を運転手に確かめる。
    1元だ。これは慣れない街を市内バスで歩くには助かると思った。
    バスは、無事瀋陽北火車站 に着く。
    さっそく、次の山西省大同までの火車の切符を購入に集票処にいく。
    電光掲示板を見ると、何と大同の文字が。
    おまけに、硬臥 「有」の文字。
    とりあえず、窓口に並ぶ。
    内心、切符がなくなりませんようにと願う。
    順番が来た。
    緊張した声で、「ジンティン・今天」「タートン大同」「インウォー硬臥」と告げる。
    いつも聞く「没有!」の声はない。
    やったー!!ついている。
    すぐに値段がかえってくる。
    金額は正確に聞き取れないが、とりあえず、100元札を2枚差し出す。
    切符とお釣りがかえってくる。

    窓口を離れてゆっくり列車の日付と時間と金額を確かめる。
    2180次8月○日 15:03開(発)硬座普快臥 14車06号下舗
    153元とある。
    空調なしなので最低価格だ。
    どうも最後の方の切符のようだ。
    列車の大同到着時間もまだわかっていない。
    これから列車時刻表を買って確かめよう。
    しかし、明朝には確実につく。
    これで、このあとの日程が決まった。

    今回の中国旅行は昨年、行けなかった大同の雲崗石窟のリベンジが今回の最高の目的だった。
    これで、中国入国後3日にして実現することが決まった。
    そのあとのことは、これから考えることにする。

    発車時間まで、瀋陽観光をすることに。
    とりあえず、清朝第2代ホンタイジの墓である北陵へ行くことにする。

    集票処は大体火車站の右側にある。
    「トイプーチー」と、ちょうど、止まっていたミニパトカーの公安に北陵公園行きバス停はどこかと聞く。
    すると、そのままパトカーに乗せられた。(笑)
    説明するより、連れていったほうが早いと判断したらしい。
    海外、初パトカー乗車である。
    不思議な気分だった。
    外国人の強みだ。逆にならないように気をつけなければならないが。
    北陵公園行きバスに乗り、やはり運転手に「イークァイ?1元?」と確かめることは忘れなかった。
    時間はまだ早朝6時過ぎだった。