煙台港で大連行きのフェリーの切符を買う。-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その2

煙台港客站は古い天井の高い建物。
中は、省エネのため薄暗い。
奥の案内へとりあえず行く。
すると、窓口を教えてくれた。
それで、適当に、大連までの高速艇はないかというと「没有!」。
持参した、ネットで探した時刻表とは、全く違う。
他はないかと行くと「没有!」。
しかし、明天(明日)はどうかと聞いているうちに・・・・。
今天(今日)、フェリーがあるらしい。
何せ、中国語はわからないのだからしかたない。
エコノミーとか適当に言うと15時発の169元3等Aという切符をくれた。
少し高いと思ったが3等で納得。正解だった。
予定では夜9時には大連に着きそうだ。
切符は、鉄路と同じスタイルの切符。コンピューター打ち出しで少しほっとする。これで、大連は行ける。

煙台港客站の様子を見ようと、とりあえずターミナルの二階へ。
長い廊下を歩いて、荷物の赤外線チェックを受けて広いがらんとした待合室。
船が横付けしているのが様子がわかったので、また切符売り場まで戻って食事にする。

外に出ると食堂が数軒、スタイルは魚介が生かしてあって海鮮レストラン。
1軒に入る。
値段を聞くと高そうなのでいいというと、皿に卵に2個卵を載せてくる。
5元だという。
じゃあそれで。
ビールを昼間から注文。
すると店先の瓶ビールを数本くくったひもを切って持ってくる。
当然冷えていない。
郷に入ったら郷に従え。たぶん2.7元ぐらい。
相場だ。

料理が来た。ホンマに卵だけの炒飯。
味はする。正解か?(笑)
中国最初の料理だった。
炒飯となまぬるいビールで昼食となった。
ここで、時計を中国時間にあわせて、1時間遅らせた。
ここから、いよいよ未知の中国国内フェリーの旅が始まるのだ。
すべて、行きあたりばったりの旅行が始まった。








  • いいね! 0
  • コメント 1件

1件のコメント

  • 中国で乗ったフェリーと出会い-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その3

    乗船の改札が始まった。
    そのままフェリーターミナルを出て、階段を下りて岸壁へ。
    タラップを昇って、少し古いフェリーに乗る。
    船名は「誠海輪渡(フェリー)」。
    船内に入ってみるとあとでわかったのだが、この船は関西汽船の旧生駒丸。
    そこら中に日本語と船名のパネルが残る。
    第一、トイレの便器がTOTOだ。
    船室は3等Bが大部屋の二段ベッド。で、3等のAはその下の階。
    一部屋二人の2段ベット。個室だ。
    他に、座席のみチケットもある。
    それから、「散席」が一番安かったが、これは自由席というか甲板にシートを敷いて適当に座る席のようだ。
    さすがに、これにしなくて良かった。

    船内は、満員だ。
    いよいよ出航だ。
    6時間の予定。
    船は、煙台港をあとにして湾外に出た。
    穏やかな海を見ながら、これからの未知の中国旅行に感慨はひとしおだった。

    船室に戻ると、相部屋のの男性と自然に会話が生まれた。
    お互い片言の英語だ。
    彼は工業用ロボットの高級エンジニアで出張の帰りでこれから瀋陽に戻ると云うことだった。普通の人である。
    やはり、3等A席はそれなりの人が乗るようだ。
    それで、大連から瀋陽まで列車に乗るので一緒に駅まで行こうと言うことになった。
    たぶん。(十分な会話力がないので、結果から想像して・・・)

    それから、この船のことだが、初めて乗った船だがなぜか安心できた。
    それは、旧日本のフェリーということで、改装はしてあるが、構造はそのまま。
    不思議に、安心できるのだ。おもしろいものである。
    乗船者は、さすがに千差万別。
    今の中国社会の縮図のような面も見えた。

    黄海の航行は、さすがにしばらくは陸地が見えない時間が続いた。
    日清戦争の時の黄海海戦のことをイメージに刷り込んだ。
    外も暗くなり、大連の街明かりが見えた頃にはすでに
    夜9時を回っていた。
    所要時間は約7時間。現地時間10時。
    着いたところは、普通の工業用資材の陸揚げ用岸壁。
    ターミナルなど全くない。
    さてどうなるのか。
    下船のための乗客の列に並んだ。
    背の高い同乗の警官が列を乱しがちなマナーの悪い乗客に盛んに並べと指示を出していた。
    この1時間遅れは、このあとの意外な展開が待っていた。







    • いいね! 0
    • コメント 1件

    大連駅は改装中、大連発最終列車に乗る-みなみやま中国遼寧・大同・甘粛・山東旅行記その4

    大連駅は改装中だった。

    フェリーを下りると、そこには乗り合いバス。
    同室の中国人に連れられてバスに乗る。
    地図での大連港からの大連駅までは、以外と近かったのだが、このバスは結構の距離を走った。
    途中、集票処の看板があったが、大連から逆コースの乗船は中国語ができなければ至難の業と感じた。
    そして、バスが止まった。その先には、暗い大きな建物。右手には、高架の新交通システムらしきもの。まだ開業していない。中国人の彼も迷ったようだ。
    みなみやま的には、直感として、大連駅の裏側に着いたと感じた。
    正解だった。地下道をくぐると古い駅舎。
    おそらく、近々駅前再開発と共に新駅が開業するのだろう。
     そのあとが、奇々怪々の連続。中国人の彼は、そんなに親しくないにもかかわらず、最後まで面倒を見てくれた。
    まず、切符を買う。それも、10時過ぎだ。時間が過ぎている。とにかく、彼の云うままに切符を瀋陽北まで買った。たった28元。無座(自由席)である。ただし、赤いはんこが押してある。これがあとで威力を発揮するのだ。

    元々、心では、大連での1泊を準備していた。いくら何でも常識的判断。
    しかし、流れだ。決して他人を全て信じているわけではない。
    そこは、自己責任の範囲。
    彼に任せた。
    大連駅の盲点。始発駅である。従って、深夜便はない。
    始発は朝まで待たねばならない。
    しかし我々が乗った列車は10時過ぎの列車。
    彼は、予約した列車には間に合わなかったと行っていた。
    臨時列車か、列車の遅れかかのようだ。
    従って切符の表示とは違う。
    ただ記憶がすでに曖昧なので、定かではないが。

    そのあとが、奇々怪々の展開だった。
    改札が始まり、ホームへ。
    しかし、彼は硬座には行かず、硬臥車に。
    切符がなければ乗車できないが、我々は難なく硬臥車に乗車。
    例の切符のはんこが効いたのか。
    列車は無事発車したが、しばらくは、座席はない。
    彼と車掌のやりとりが続く。
    そして、最後は女性の列車長が最終判断。
    めでたく、列車寝台中段をゲット。
    追加料金44元を払う。

    しかし、みなみやまは冷静だ。
    おそらくこうなると踏んでいたのだ。
    さい先のいいスタートだった。
    大連観光はいつでもできる。すぐにあきらめがついた。
    さい先のいい前触れを感じていた。
    中国最初の夜は暑いながらもぐっすり眠ることができた。
    早朝、5時前後に瀋陽へ着くはずである。