Re: フランクフルト大聖堂の

第二次世界大戦でフランクフルトのローマ辺りは大聖堂くらいしか残らず、1959年に復興に当たっているときにローマ人の浴場とカロリング王朝遺跡が見つかったそうです。

http://www.deutschland-panorama.de/staedte/frankfurt_am_main/ps/1_143_02.php

http://www.taunus-wetterau-limes.de/index2.htm?frankfur.htm

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2件のコメント

  • 神聖ローマ帝国時代

    >1959年に復興に当たっているときにローマ人の浴場とカロリング王朝遺跡が
    >見つかったそうです。

    なるほど~。復興中の発見だったのですか。
    じゃあ"WKⅡ"の単語は全くの読み間違いではなかったのですね。

    神聖ローマ帝国時代にはドイツも帝国に含まれていたことをもっと解って
    欲しいです(←誰に?)!

    このサイト、すごーい。ちょっと旅の余韻に浸れます。

    どうもありがとうございます。

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    Re: 神聖ローマ帝国時代

    (プリンセスぴあ)さま。ぐーてんもるげん!

    何時も、(プリンセスぴあ)さまの興味深い視点に感心させられています。私の方はドイツに長く住んでいると、見るものに対して新鮮さがなくなってだめですね。^^;

    >神聖ローマ帝国時代にはドイツも帝国に含まれていたことをもっと解って
    欲しいです(←誰に?)!

    アストリックス&オーバーリックスという漫画をご存知ですか?
    紀元前50年の現在フランス=Gallienのお話で当時の生活やローマ軍隊とのかかわりが面白おかしく書かれています。(ドイツでラテン語を習い始めるとき、この漫画はヨーロッパにローマの軍隊が駐屯していた頃の雰囲気を知るのにとても役立ちます。)http://www.comedix.de/lexikon/special/kurzgeschichten.php
    *Gallienはケルト人で今の西ヨーロッパ(スカンジナビアを含まない)のほとんどの地域にいたのですが、漫画の中はフランス地域のGallienの話です。

    もしかして、おいしいワインもBaden-Badenの温泉も神聖ローマ帝国が築かれなかったら、無かったかもしれませんね。

    ところでドイツ語の約40%がラテン語の派生語だそうです。
    ちなみに「Furt」は西ゲルマン語とのことです。

    話はもっと時代をさかのぼりますが、
    今度、ドイツのモーゼル地方のブドウ畑でも行かれたら、なるべく山の上の「石ころ」に注意してみてください。時々、アンモナイトの化石など転がっていることがあります。

    私も、色々勉強になりました。
    ありがとうございます。


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  • Frankfurt名前の由来

    紀元1世紀の頃、フランクフルトのDomhügel(マイン川の中洲の低い丘
    の上にDomがあった)の近くにローマ軍の駐屯地があり、その後フランケン王国の城が造られたそうです。

    Furtは浅瀬の意味で、中世以前のまだ橋が簡単に造られなかったころ、川を渡れる浅瀬は「何何Furt」と呼ばれ、川の重要拠点で、名前をつけられて呼ばれました。

    794年には”Franconofurt"と呼ばれたと記載があるそうです。
    意味は”Fankenfurt"「フランケン人が渡る(た)浅瀬」これがFrankfurtの語源だそうです。

    ドイツの町には「何々フルト」と言う地名がよくあります。Ochsenfurt(「雄牛の渡る浅瀬」の意味で英語ではOxfordと言いますね)やSchweinfurt(「豚の渡る浅瀬」の意味)

    また、ドイツにはケルンの大聖堂の地下にもローマの遺跡(壁)が見られます。

    Limes(リーメス)ローマ人が築いた壁の遺跡はドイツの世界遺産にもなっています。

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