07/01/14 09:36

Re: ん?

山学同志会は斉藤さんという方が他の山岳会にあき足らず岩登りのベテランの人達と作りよく錦糸町で集まりました。

私は創立1年後に入りましたが、家業の関係で数年で止めさせてもらいました。

三つ峠や鹿沼など基礎から訓練をしていきなり難しい山へは行かせませんでした。
私の寒さ記録はその頃の富士山でー25度でしたが2年前にグリーンランド内陸でー31度になり漸く記録を破りました。
その後何年もたってある人に会いましたら、私の時よりかなり厳しくはいっても抜けてしまう人がいると言っていました。

私はその時の訓練が平地の旅行でも役立っていて、今70歳を過ぎても毎朝シャツとジャンパーだけの2枚で氷点下になった今日も5時頃起きて歩いてきました。
習慣にしないと駄目で1枚余分に着だすと多分元へ戻らないと思います。

先日憧れのスイスアルプスを乗り物でゆっくり見てきましたが、今は危険な事はやりません。
私の後から入ってきた人の中にアルプス3大北壁やヒマラヤ登山で有名になった人もおります。皆私より10歳くらい若いです。

私と同期で冬の後立山連峰で遭難した人の顔が思い浮かびます。
あの頃は毎年穂高や谷川で遭難者が多かったです。
その頃に比べれば設備もよくなって遭難も少なくなったように見えます。

今は山へは行きませんが今着ているシャツは冬山用の遠赤外線のもので暖かいです。これも秋葉原の昔からあるニッピンで買いました。

去年もそうでしたが、上着2枚で今年の冬も越せそうです。お陰で南極圏へ行った2000年正月以来風邪は引きません。
しかし鼻炎は慢性になってちり紙だけは必需品です。

私が寒いのが平気なのは若いときの鍛錬と商売柄重たいものを持ち続けていた為だとおもいます。
それで無ければ階段の多いヨーロッパの駅を重い荷物で動き回るのはとても出来ません。

矢張り若い時に怠けなかったのが今生きています。
私は場所提供も再開しましたが皆さんは私が疲れているだろうと心配して遠慮気味です。
全く疲れは無くストレッチは続けていて明日が脳のMRIです。長生きのために予防には特に気を使っています。
戦時中は学校で遠足は無く嫌でも行軍として歩かされていました。
あの頃に比べれば今は天国です。

唯私がアルツハイマーになっても子供が安心して側にいないのでわからないかもしれません。
私もそのうち弱るので考えるように言っていますが、未だ安心しきっていて電話も掛けてよこさないので平均寿命が近づくにつれ最近は少し気になります。

私も南極圏へは行きました。しかしパタゴニアを含む南米縦断にお金を使うつもりでいましたが、
今回のAMIGO旅行で予算が大幅にオーバーでスッカラカンになり子供から借金までする始末で当分出られません。
私の分まで頑張ってきてください。

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