東京が トーケイだったころ

さすけねえ殿 plein air殿 おはようございます。

中国の地名の読み方も時代でころころ変わるみたいですね。

ペキン・ナンキン・トンキン(東京のことではないですよ)という読み方は たぶん清朝のころかもしれません。

そういえば わが東京も 明治の初めは気取って トウケイ といってたらしい・・・。 もっとも 江戸っ子のナマリともとれますが。 たしか勝海舟のお話にでてきました。

京都なんて呼び方はもっと後の話で モトモトはキョウだったのが 天子様が 日本平定?のためしばらく江戸にとどまる・・・はずが 長い滞在になったらしいから。

大阪も オオザカだったというし。

インドの都市名もここへきて次々現地読みに・・・。 

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1件のコメント

  • Re: 東京が トーケイだったころ

     ぼうふらおじさん、こんにちは。

     >インドの都市名も現地読みに

     そうですね。インドの都市名は確かインド政府が声明を出したような
    記憶があります。我が国外務省はいち早く反応しましたね。総領事館の
    名前もコルコタ(カルカッタ)総領事館、ムンバイ(ボンベイ)総領事
    館、チェンナイ(マドラス)総領事館など。

     ワシはあまりインドの方へは行かないので、他の都市の呼び方がどう変
    わったのかしりません。何か面白い変化があった都市名をご教授頂けれ
    ば、幸甚です。

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