近世支配階層の薬と寝床の相関図 ぼうふらおぢさま、グリュースゴット(lll) スペインでドイツ語圏のデッカイ人々と喋ると、Hola♪になっちゃいますが。 初めてアメリカ東部に行って、お茶・レモネードを飲もうと思った時、 その手に握られていたものを見て、「不可解なり」でした。 元来、巣穴では「茶葉で入れる=お茶」なので、派手で原色の袋から サラサラと入れた粉末を、ピッチャーの中でガシガシかき回し、 「ハイ、レモネード・レモンティー出来上がりよ!」 には仰天しました。おまけに、舌がしびれるほど、甘すぎました。 アメリカン超薄珈琲の洗礼も受け、外出時に飲むものには気を遣いました。 お陰で未だに冬になると、ココア(50%)+珈琲(50%)=モカジャバ、 を上司同僚の気味悪げな視線を物ともせず、飲んでおります。 おぢさまもどうぞ、お試しあれ! 砂糖は入れない、珈琲はストレート、 そのままの味を半々にして楽しむのがコツでござる==33 おぢさまの経験からするに、ヨーロッパでは高めのホテルには、泊まった 事は無いです。そんな、ココアが寝床に用意されていたことは無い! 宝くじに大きく当選したら、考えましょう。 そ~いや~、瑞西BesoBeso~♪のおぢさま、所謂王宮見学はいらした 事はありましょうか? ベルサイユ宮殿は、装飾煌びやか、まこと 目線がギラギラして、幻惑されそうになったのですが、あの変なベッドは 覚えていらっしゃいますか? 長さよりも幅がデカイのであります。 聞けば、あのデカ枕に上半身横たえ、蝦のように丸まって寝ていたから、 内臓疾患が多かったそうですね。まぁ、ココア程度飲む羽目になりますにゃ! ベッドと行けば、印象に残っているのが、トルコのドルマバフチェ宮殿。 スルタンの華麗なる妻達?のベッドも、やけに質素で涙が出そうになり ました。ケマル君のDeath Bed もカバーがかかっていたから、まだまし ですが、意外に小さいベッドでしたね。 イギリスとお茶⇒お茶会事件 これはインド紅茶が、独立戦争の発端でしたにゃ~。 中国は、中国茶より、アヘン戦争(1840-42?)が、非常に西大后を 見たのもあり、印象的です。 そ~言えば、紫禁城の皇帝の寝床も、小さかったです。 茶卓ならぬ小卓はあったかなぁ?マグはさすがに展示してはなかった。 寝床が質素だと、薬代わりの珈琲、チョコレート・お茶が必要 になるのかも?、という断層ずれのレスであります。 ささ、午後のMoca Javaを作るか!
ココアでねんだ、チョオコレートだべ。 ま 似た様なもんだけんどチョコレートのことだ。もっとも はじめはココアみたいな形での飲み物風だったとかいうけんど・・・。 ああ メンド。 いい宿屋でココアの出てきたのは ザースフェーのベルギー人夫妻の経営するホテルで一度だけ・・・。 でもこれが絶妙でした。 閑話休題。 中国からお茶を輸入するのに安くあげようとしてインドでアヘンを栽培して それを中国に持ち込んで売上でお茶を買った・・・のが アヘン戦争の始まり。 ヨーロッパでは何しろ水が悪いから なんかしらの味か香りをつけて水分補給をしている所へ お茶の味をしったから爆発的に広がったとか。 で 高価なお茶の補給が戦火で停まった所へ新興国の南米産コーヒーが取って代わったけど 彼の地に植民地を持たないイギリスだけにお茶の習慣が残った・・・とか。 そういえば ドイツも南米進出は遅いんですね。 ベッドの話では ホントに連中は丸まって寝てたんですね。 もっとも ヨーロッパのお城が豪華・・・だといってもアレは近世のお話で 寒くて暗くて あんまり住み心地はよくなさそう。 まずい?チョコレート(ココア)でもカラダが温まれば・・・文句ないかも。 そういえば ヨーロッパって各地でお茶代わりのヘンな飲み物?がイッパイあって オネエチャマ方や オバハン達がうれしそうにハーブティーだナンテ賞味してますが、 あれって お茶・コヒー以前の飲み物が 形を変えて(変えないで?)生き残っただけかも・・・。 ナツマケには ゲンノショウコ茶・・・あれ カビてる。 こりゃだめだ。