退会ユーザ @*******
06/09/28 11:23

日本も昔は、....

記憶は定かではありませんが、私が「かに族」をやっていた昭和40年頃は垂れ流し列車トイレは未だたくさんありました。その頃は、C62が平-仙台間を未だ走っていた頃です。田舎の駅に行くと現物がよく線路脇に見られました。

その頃は東京入線車両にはもうタンク式があったと思いますが? 最初のタンク式は東京-大阪間の電車特急「こだま」ではなかったかと思います? それ以前は保線係員のご苦労以外にも上野-大宮間では、住宅も密集していて線路端に洗濯物を干すと黄色い飛まつがかかるとかで、社会問題となり、上野-大宮間はトイレ使用禁止だったと思います。

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1件のコメント

  • 完全タンク式化はなんと2002年頃??

    サンフランさん、こんにちわ。

    私はそんなに昔ではない時期(感覚的には数年前)、ローカル線のトイレで「垂れ流し式」を見た記憶がありましたので、調べてみました。

    公式資料ではなくウキペディアですが、垂れ流し式が無くなったのは2002年頃、他の個人Webでも2001年とあります。

    それでも垂れ流し列車0と言うのは「世界で初」だそうです。(ホント?)
    やっぱりこれは快挙です。

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    退会ユーザ @*******
    06/09/28 13:34

    Re: 完全タンク式化はなんと2002年頃??

     再び、へえ!!!です。

     実際に自分で利用した記憶があるのは数十年前ですが、設備そのものはもっと最近まであったように、私も感じていました。
     それにしても、二十一世紀のお話でしたか。

     サンフランさんがお書きの「上野ー大宮間使用禁止」のニュースも、なんとなく思い出しました。
     筒井康隆さんの短編にも、この問題を扱ったものがあったと思います。

     となると、「駅の前後(つまり、人家のある地域)トイレ閉鎖」というシベリア鉄道の方式も、かなり理由があるということになりますね。
     もしかしたら、シベリアでも駅周辺の人家が郊外に延び、トイレ閉鎖時間も長くなってきている、というような事情でもあるのかもしれませんね。
     それで、トピ主さん以前の利用者は、この問題をあまり意識せずにすんだのだったりして・・・。

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