退会ユーザ @*******
06/09/26 12:22

Re^2: 2度と乗りたくない、シベリア鉄道。

> 日本も60年以上前には類似の列車が運行されていたのは事実ですが、半世紀以上も昔のこと。時代が全く異なります。

 ううっ、これはないです(涙)。
 私は、実際の運行を、はっきり覚えています。
 でも、誕生は60年以上前ではないです!!!

 (内蔵介さんの、鉄粉が消臭剤の役目を果たすというトリビアは、へえ!!!です。さすが、鉄道博士。)


 いずれにしても、貴重な情報だと思いますよ。
 (ポットン方式うんぬんより、駅の前後で1時間以上の閉鎖という部分)
 今まで、話題になっていなかったのが不思議ですね。

 ロシア人は緊急用容器持参という話は、本当なのかしら。
 少し前に、ロシアの飛行機に子供用のおまるを持参する乗客の話がありましたから、本当かもしれませんね。


 友人でシベリア鉄道の旅をツアーで体験した人がいます。
 参加者はみな、シベリア鉄道という名に憧れていた人ばかりで、初めのうちはうきうきしているが、やがて変わらぬ車窓の風景にうんざりし始め、終わり頃には疲れ切っていた、と申しておりました。

 そう聞いても、私自身は、ちょっとまだ興味を持っています(^^)。

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2件のコメント

  • 体験して初めて言えるんですよね。

    >やがて変わらぬ車窓の風景にうんざりし始め、終わり頃には疲れ切っていた、と申しておりました。

    宮脇俊三さんの本を読んで以来、シベリア鉄道にはそれほど触手が伸びないのですが・・・

    >そう聞いても、私自身は、ちょっとまだ興味を持っています(^^)。

    やはり実際に行かれた方だけが「二度と・・・」と言えるので、興味をもたれているのであれば、是非。

    恥ずかしながら、私はこの数年本格的鉄道旅行をやっていません。
    鉄道書も増えるので専ら立ち読み。

    それどころかちょっとばかり心奪われる車があり、何とか買えないか画策している・・・鉄道ファンと言う自称を返上しないといけない状況ですので、博士なんてとんでもない。
    せいぜい高学年の生徒レベルです。

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  • 06/09/26 18:58

    Re^3: 2度と乗りたくない、シベリア鉄道。

    私は昭和一桁生まれですから日本の戦前汽車にも乗りました。
    私の家は線路から50メートルは離れていますので、そんな事は無いですが、線路際の家では洗濯物が汚れると警戒していました。

    それでも戦時中は線路に避難中の機関車を狙った米海軍の艦載機の機銃掃射で私の家の上の電線は全部切断してしまいました。

    シベリア鉄道のことは乗る前に出来るだけ情報を集めてから乗りましたので、ポットン式というのは何処かの本で見ました。
    私は変わり者ですから、ウラジオ発と北京発満州里経由の2回乗りました。
    未だモンゴル経由を乗っていませんし、又第2シベリア鉄道も一番寒い時に行きたいと希望は持っています。
    以下は一部シベリア鉄道のAMIGO写真です。

    http://www.c-player.com/ac45785/message/200606?page=4&format=time

    1等寝台にしている為7日間下手な英語同士の客で飽きることは無かったです。
    最も私は何時も長期旅行は超小型の短波受信機を持って行きNHKの海外放送を聴いています。

    http://www.c-player.com/ac45785/thread/1100031391550

    勿論ロシアの 事ですからサービスなどは全く期待していません。
    ウクライナ、ベラルーシの寝台にも乗りましたが同じ型の車両でしたがずっと新しく見えました。

    北京発の中国車両は綺麗ですが私が北京から乗ったのはロシア車両でした。

    5時間遅れのウラジオストック発車前に2等寝台で行く10人以上の日本のバックパッカーとホームで集まって話していましたが皆覚悟して乗るつもりのようでした。

    急ぐ人は飛行機で行けばよいのでシベリア鉄道はある種のロマンです。
    人一倍せっかちな私も郷に入れば郷に従えです。

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    Re^4: 2度と乗りたくない、シベリア鉄道。おはようございます、ちょっとここに付けさせてもらいます


    タイ国鉄さーん、早くタイのこと何か一言。

    タイ国鉄を全線走破した方にぜひ聞かなくっちゃ。

    EABEさんこんにちは、私は子供の頃家族とアジア号に乗り奉天に入った

    はずですが記憶は全全ありません、今、奉天引揚者の機関紙で機関車の

    勇姿を見るだけです、当時でも時速100kで走っていたそうですね。

    そして奉天駅(現瀋陽駅)が東京駅をまねて作ったと云われていましたが

    実際に作られたのが東京駅より4年前だそうです。1度は行って来たいで

    すが何も無い所だそうで、でもチャンスがあれば死ぬまでに。

    それで貴方に負けないよう体力作りに17日、ウオーキングの会で16000

    歩、歩きました、45人で後半、最後尾に気が付きやっと最後尾集団から

    抜け出しましたが2日ばかり足がパンパンで大変でした。

    相変わらず貴方もジムで昔のお嬢さんにモテモテでしょうね、がんばっ

    て下さい。