退会ユーザ @*******
06/09/25 13:06

お墓2

明治以前は墓石の制限令があったため、誰でも造って良いわけはなかったのですが、享保年間以降庶民も結構建立しております。(私は掃苔家ではありませんが、過去日本各地のお墓を見ました結果です)

「○○家之墓」は火葬の普及と明治以降東京や大阪など都市部の人口集中による墓地不足が原因で石材業者が考案したものです。土葬をしていた時代や地域では霊魂に対する考えが異なるので、このようなお墓は発生しませんでした。

霊魂はお骨に宿ると考えている方がふえましたが、お骨にこだわるのは、火葬が普及した日本人だけの考えです。土葬の時代にはそのような考えはありませんでした。

もしお骨に霊魂があるなら、関東のように総骨にすべきで、関西以西は部分骨のみ収骨します。収骨されなかった大部分の骨は火葬場で処理されます。またのど仏を本山に納骨する場合もありますが、これもしかりです。

土葬の時代に首だけもぎって、本山に収めるようなことはありませんでした。これも火葬が普及したことによる寺院の収入源の政策の一つです。

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1件のコメント

  • 川原の死体?

    ハオ・チーさん、いい時代に生まれてホッとしました。

    源氏物語(現代語訳)を読むと、時折、ウゲゲ~っとくる情景を、
    描いてますよね。自分の家の側の溝に、疫病死体が捨てられていたり、
    それを野犬が漁っていたら、たまりません。

    東アジア「墓場」文化圏を渡り歩いているハオ・チーさんに質問です。
    つい近代まで個人墓は許されなかったということですが、例えば武士が
    自刃した場合は、個人墓に「刀」マークが入っています。よく、鎌倉の
    切り通しの、へ?こんな所におひとりさま?、という感じで見ました。
    これは、死因が原因で、別扱いになった特例処置なのでしょうか?

    霊魂は、推測するに、「執着したい場所」に「居る」んですね。
    波長とタイミングが遭うと、憑かれてしまうので、小心小心。
    お墓あたりに居る場合もあるし、私の肩に乗ってきたのは、木の上
    から飛び乗ってきた感じでした。お山の一つに憑いている場合も
    あります。よく、ホテルの部屋というのも、その一つでしょう。

    しかし、生首って10kgs近いのに、中世の武士は大したもんだった。

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    退会ユーザ @*******
    06/09/27 16:36

    刀マーク

    確かに自刃した方の戒名・法名(浄土真宗は戒名とは言わず法名と言います。)には「刀」や「刃」の文字が着いていますね。高輪泉岳寺の赤穂義士のお墓には、全員「刃」の文字が付けられております。戒名については岡部泰寛著「戒名は生きている」・「良い戒名・悪い戒名」を参照くだされ。

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