トピ主は、どこからでも失礼ではないかも? よ~く見てみれば、ハオ・チーさんの、トピックではないですか。 韓国女子の話から、大きく「教育的な題材」になりました。 ところで、韓国男子について、言及はないのでしょうか? 糖水は大好きですが、風水は方向がわかりません。 香港の建物は、見ていて面白いですが、あそこに住みたいかは別問題。 図書館で、「朝鮮の風水」を検索してみます。 ところで、私が寺で見るお位牌には、おひとりさまの戒名しか書かれて いないので、あの世は夫婦は別人なんだ、と考えていました。 夫婦同じお位牌って、よくあるパターンなのでしょうか? 墓石には、『犬神家之墓』というように掘ってあるので、夫婦の生前の 名前が刻まれているパターンを見た事がありません。 お位牌も、墓石も、あの世まで一緒・・・ と考えていたら、段々肩が縮こまってきました。 (ほら、段々ぞぞぞ~っとしてきませんか?) 肩回しをしながら、ハオ・チーさんに質問です。 実は体質的に興味本位で、墓場に行かれないのですが、「血まみれの歴史 京都の変遷」を辿るためには、”プラッと京都”で京都の古い古い、 いかにも丑三つ時に枕元に立たれそうな墓地に行かないと、見られない のでしょうか? あの世まで、「おふたりさま」を続ける、山ノ内一豊& 千代夫婦みたいな墓石ならば、チョロっと見てもいいかも? それにしても、ハオ・チーさんは、お強いですねぇ~。 アジアの下町をぶらぶら歩いていて、あっちに墓地があるって、わかる上、 アジアの宿に絵画がかかっていると、必ず封じ札が貼ってないかどうか、 確認する私には、どーも無理だなぁ。 ・・・というわけで、教えてください。 一体、韓国のどこを見れば、表裏・左右・上下が逆って、一発でわかるの でしょうか?
お墓の話は・・・ 旅クマおねえさま ハオ・チー旦那どの 日本の右左の順位は意外といい加減で つい最近までお雛様のお内裏様をどっちに置くかが 上方と関東で逆だったとか・・。 昭和になって 講談社かどこかが絵入りで飾り方を紹介したら いつの間にか今の形になったとか。 明治の時代は京都で天皇さんがどう並んだかを実際に見ていた人が結構いたのに・・・。 さてお墓の話。墓石を立てるのは割りと近年になってからで 日本でも陶然個人名義・・・のお墓が主流だったそうです。 いわゆる顕彰碑を自分用に立てさせた・・・または自分の親のを立てた。つまり自己顕示欲の変形なんだそうです。 明治以降になって 平民でも偉そうな家の概念を持ち込んだ社会制度の中でこれも顕示欲の表れでみんなが安く?作るようになったのが・・・家の墓。 その証拠に 忠臣蔵のお話だって殿様の個人墓で浅野家代々とはなってない。 お位牌は いわゆる戒名・・つまりあの世用の名前札だから原則個人用ですが 近頃は連名位牌が結構はやっています。 戒名を生きているうちにもらうと死んでドサクサにつけてもらうより 7割がとこ安いのだとか。 もちろん坊さんの真似事の修行はしなければいけない・・つまり 資格試験の修行代はいるようですが・・。 カアチャンが長生きするようになって ふとわれに返って? あんな人と一緒のお墓は考えてみれば・・・見ればいや、もっと早く気がついてたかもしれませんが、と今流行の個人墓を買ってそちらに入る人が・ ・・増えているとか・・・。 おかしいのが この風潮は韓国にも飛び火して お墓先進国?日本への視察団がぞくぞくとか・・・。
お墓先進国 ☆NIPPON☆ ぼうふらおぢさま、前々からお聞きしたかったのですが、どうして PCが2台あると、別のHNになってしまうのでしょうか? 訪韓歴 30余年の岡山おっぱさまも、岡山&岡山1で、ご自分でどちらの 場所で書き込まれたか、識別しているそうですが・・・ 旅クマはどっちでやろうが、日本語入力出来るソウルからやろうが、 登録電脳住所と登録PWDが同じなので、どこでも旅クマになります。 以前、谷中墓地のふらふら迷い込んだ、徳川家代々の墓をたまたま 見たのですが(成仏しているようで、鳥肌は立たなかったです)、 確か個人名でした。不思議と正妻と側室のお墓が、わかりにくかった のですが、どうなっているんだろうなぁ? 韓国はふらついていても、ゾゾッとしないのですが、台北の下町 はいけないですねぇ。というわけで、墓地の中までは見てきません でした。 まぁ、どちらにしても、ぼうふらおぢさまが、ぼうふらでいるため には、マダム ぼうふらが更に元気に長生きをされ、ぼうふらおぢさま を尻に敷きまくる事が、幸福につながりますねぇ(ニヤ~) 親~祖父母の世代は、戒名なんぞ要らない、本名でいいから、 墓参り程度は、1年に1度は来るように、と元気に生きている 今から言います。未来のNIPPON、「墓参り、彼岸、お盆」 って何だっけ?、にならないといいですね。 そういえば、人口が多い中国は、土葬だったのが火葬になり、更に 墓不足で海に散骨が増えているそうですね。お墓を作る人と、散骨 する人と、2つに分かれていくのでしょうか?
お墓2 明治以前は墓石の制限令があったため、誰でも造って良いわけはなかったのですが、享保年間以降庶民も結構建立しております。(私は掃苔家ではありませんが、過去日本各地のお墓を見ました結果です) 「○○家之墓」は火葬の普及と明治以降東京や大阪など都市部の人口集中による墓地不足が原因で石材業者が考案したものです。土葬をしていた時代や地域では霊魂に対する考えが異なるので、このようなお墓は発生しませんでした。 霊魂はお骨に宿ると考えている方がふえましたが、お骨にこだわるのは、火葬が普及した日本人だけの考えです。土葬の時代にはそのような考えはありませんでした。 もしお骨に霊魂があるなら、関東のように総骨にすべきで、関西以西は部分骨のみ収骨します。収骨されなかった大部分の骨は火葬場で処理されます。またのど仏を本山に納骨する場合もありますが、これもしかりです。 土葬の時代に首だけもぎって、本山に収めるようなことはありませんでした。これも火葬が普及したことによる寺院の収入源の政策の一つです。
お墓 旅クマさま 今日は彼岸の中日、秋期皇霊祭ですからお墓のことちょこっと書きます。私たちがよく目にする「○○家之墓」は主に明治以降に造られましたので、それ以前は戒名(法名)墓です。単独で祀られている場合もありますが、夫婦墓は結構見かけます。近代的な霊園では少ないでしょうが、寺院墓地や古い公園墓地(青山霊園など)にいけば見れます。お天気のいい日中に出かけてください。中国は文革以前は個人の墓が多かったように思います。「李○○公之墓」などです。広州・越秀公園の石の階段はこのようなお墓を再利用してます。怖くて踏めませんでした。韓国は「本貫・氏・諱」形式か「顕考学生府君・氏・諱神位」(例、顕考学生府君金海金同植神位)などで祀られています。これは儒教式の霊名で、昔の科挙制度の名残があります。ソウルのような都会ではこのようなお墓は見つけにくいのですが、郊外にいけば発見できます。そういえば、もうすぐチュソクです。一族郎党こぞって墓参りに行くのが韓国の風習です。
墓場 ハオ・チーさま、おはようございます。 それにしても、「マシッソヲ~」という意味なんですね。 実は、真昼間の墓「見物」も、危ないのです。 体質の事はわかっていたので、17世紀の中世フランス墓地を、 真昼間に見に行きました。これは、New Orleansの事です。 New Orleansはご存知の通り、海抜すれすれの元々沼沢地を開拓 しているので、地下に納骨しないのが、特徴とのことで、興味 一杯に行きました。同じようなアメリカ人観光客も多数いたので 安心したのですが、急にそのグループが出てってしまうので、 タイミングを合わせ、出口に向かったら、出口まで10m程度の 所で、急に右肩に乗っかられ、半日しがみつかれ、痛かったです。 波長が合ってしまうと、どこでもなるんですね。 午前中の、スペイン・ガリシア地方の田舎の墓地でも、取り囲まれ ました。 というわけで、台湾の洗骨する前の骨が取り出してあったり、 韓国のお墓だの、興味はあるのですが、この好奇心に波長が合うと、 憑いて来られるので、さて、どうしようかなぁ。? 墓を見れば、 文化が大体わかるので、いい場所なんですが。 韓国人の法事は3日間が短い方ですね。「法事があるので、中座する」 というのも、立派な理由ですし・・・島国日本は、吹き溜まりだけ あって、大分省略化されたものです。