Re: 交換留学試験における”成績”について

高校留学を終えて戻ってきた生徒に、何らかの成果や効果が現れるなら、例えば学力偏差で55~60位は欲しいとおもいます。殊に、今の時代はゆとり教育弊害で、教育全体が下がっているので、なおさらだとおもいます。それを翻って、団体が応募条件にあいまいに「中程度」と表現しているじゃないかと私は理解しました。

それ以下の学力の子供が、スポーツ・音楽・舞踊などの特殊技能の修練目的に外国留学するのではなく、単身で外国生活を漫然と1年生活をおくっても、コミュニケーション能力があまりに低すぎて、与えられた環境から何かを吸収する能力もなく、日々ぼーっとすごして物見遊山、または、頭が混乱して精神的にきてしまったり、悪い道にひきずられたり、つまり、行かない方がよかった方向に崩れてしまうケースもあります。

AFSに合格したような、いわば優秀な子(感覚的にAFSの子は上位校で成績も悪くない)でも、昔は「AFSくずれ」とか言われた、ドラッグにはまって強制帰国させられた子もいますし、これとは別に、金満家庭の子供が悪の道に走ってしまった時、ちょっとセンスのある親は、悪い友達から切り離すために、アメリカ(全寮制または身元保証人の地域の学校に入るなど)にやったりします。そこで、更正する子もいるし、そうじゃない子もいます。

留学団体の受験のために格下高校に転校するなど本末転倒。高校時代に必要なのは、現在の学校で、今与えられた勉強を100%こなして基礎知識を増やす努力(=最低でも、現在の学校で上位にいてほしい)を優先すべきであり、基礎学力も十分じゃない、母国語さえ十分じゃない状態で、無理に単身留学するべきじゃありませんし、それが目的でもありません。

子供に経験として何かが与えられるだろう好イメージを、親が過大に抱くほどのメリットは、高校留学レベルでは得られません。それが欲しいならば、1ヶ月2ヶ月の短期滞在コースで十分です。逆いえば、これって、学業を十分にこなした子供への、プラスαの課外教育にすぎません。また、単なる洋行で経歴にハクが付いたのは明治時代の話で、現代日本では、留学して世界的な有名校を卒業した(未来の著名人とのコネができる)とか、または、大学大学院レベルでよほどの高学位を取らないかぎり、単なる「留学」した事実だけでは、全く評価されてません。自己PRの材料には成り得えるでしょうけど。

私は、長期滞在型の、いわゆる「高校留学」は、学術的(学位、研究)または技能的の、それらしい明らかなものが何も得られないので、本質的に留学と呼ぶには別物とおもってます。また、単純会話能力でみれば、外国に行ったことがない、六本木や横須賀などで米兵相手に遊んでる中卒コギャルだって案外高かったりします。なので、子供の満足を満たすために高校留学を与えるのは、ちょっと高級なお遊び道具を簡単に与えてるのとおなじようなものにみえます。

今の学校でがんばって上位をとり、まともな大学に入ってから、学内推薦で、1年2年を留学してすごす(しかも留学先単位が卒業単位に通算される)というのが、今ある選択肢として、一番、美しい道ですよ。

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