Re^3: Re:シベリア鉄道・・・聞き書きですが

EAVOさん 

ソ連のとんでもない行為は確かに腹が立ちますが 兄の話によると当時のソ連の民衆レベルでも一部では抑留兵士よりひどい食べ物でひどい衣料(特に・・衣料はひどかったようです)で合ったようです。

そのなかで触れ合ったロシア人たちについては 決して悪く言いません 。栄養失調や飢え、寒さでバタバタ死んでいった仲間については いまは 酷かった・・・としかいいませんが。

でも近年伝え聞いた話では関東軍(旧満州地域を統括していた日本軍)の幹部が大規模な戦闘をさけるために 降伏した日本軍兵士のシベリア開発への投入に同意した・・・この人たちを日本に返すだけの国力が
当時の日本にはない・・・との理由もあってらしいですが・・・。

あの抑留はけっしてソ連だけの責任ではないとしたら・・・この憤りを
どこに持っていけばいいのでしょう。 いえ 兄は ありそうなことだな・・・としか言いません。

兄の会社員生活中 ほとんど怒らなかった・・・そうです。 子供たちもそういいます。 そういえば 兄弟姉妹の相談ごとにも最終的に異論をとなえた事がありません。 たぶん 中国での戦争と シベリアでの
死を間近に見てきたせいではないでしょうか・・・。

なんか 話題が8月15日にちなんだオハナシに・・・

* 国という 愚かしきもの横たわる・・・。

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2件のコメント

  • 国と国

    歴史的に解明すべき内容がまだまだあるようですね。

    >兄の話によると当時のソ連の民衆レベルでも一部では抑留兵士よりひどい食べ物でひどい衣料(特に・・衣料はひどかったようです)で合ったようです。

    収容所で一緒だったロシア人とは政治犯なのでしょうか?
    ロシア(ソ連?)は第二次大戦で死者が2000万人。戦った国々では一番多いとか・・・でもスターリンの悪行も色々耳にしますので、戦争の犠牲者だけとは言えないかもしれませんね。

    >そのなかで触れ合ったロシア人たちについては 決して悪く言いません。

    普通人間ならそうですよね。
    でも国家を預かる人がその感覚では問題になる場合もあると思います。
    EAVOさんも書かれていますが、(別の意味で)人と国はまったく違うもの、また違うべきだと思います。

    >あの抑留はけっしてソ連だけの責任ではないとしたら・・・この憤りを
    >どこに持っていけばいいのでしょう。 いえ 兄は ありそうなことだな・・・としか言いません。

    何ともやるせないですね。
    後世の者は「実際はどうだったのか」「それを教訓として今からをどうすべきか」を考える他無いと思います。

    どの時代を見ても個人の人生が押しつぶされる歴史ばかりです。
    自分の国に(堂々と)愛想をつかすことができる人は幸せかもしれません。
    でもそれが出来ないゆえ、ぼうふらおじさんの兄上の様な・・・悟りなのか、虚無なのか、何と言って良いのか判りませんが・・境地になられるのではないかと思います。

    アメリカに来て感じるのは皆自分のルーツを意識して誇りを持っている点です。
    ユーゴ出身者はストイコビッチの話をすると大喜びですし、トルコ出身者の母を持つ知人はオスマントルコの話を自慢げに話します。
    誰しも母国に誇りを持ちたいのです。

    私もそうありたいです。
    戦争は心底怖いし嫌ですが、せざるを得なくなったときは戦わねばならない・・・スミソニアンの航空博物館で海戦史を見てそう感じました。
    第二次大戦の海戦史は日本、アメリカ、イギリスとちょっとだけドイツ。
    アメリカと戦争になった原因や負けたこと以上に感じたのは・・・アメリカと戦えるパワーと知恵があったのは日本だけだった・・。私には感涙物でした。

    願わくば戦争の博物館でない場所で涙を流したいですね。

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  • 05/08/04 11:11

    Re^4: Re:シベリア鉄道・・・聞き書きですが

    昨夜の放送では、日ソ中立条約を信じていた軍部が南方戦線へ関東軍の殆どを移動させた為民間人が徴兵されたと言っていました。

    私も5年早く生まれていたら、満蒙開拓義勇団に志願していたかもしれません。
    理由は馬鹿馬鹿しいですが、国語の教科書に載っていた作業が終わった後の饅頭がうまかったと言うことです。
    饅頭が食べられるなら私も行こうと思っていました。

    ぼうふらおじさん同様私も未だにサツマイモやかぼちゃは余り食べる気がしません。

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    Re^5: Re:シベリア鉄道・・・聞き書きですが

    この満蒙開拓義勇団そのものが 初めは満鉄の路線防衛のための屯田兵的位置づけだったとか。 そのため鉄道沿線の肥沃?な土地を強制的に取り上げて初期の開拓移民に渡したとか・・・。 それを宣伝材料にして日本国内の小作農たちをたぶらかして入植させたところが 高冷地の
    ソ連国境に近いところで 結局この地域にいた人たちが一方的なしわ寄せを食ったという事のようです。

    周辺の土民が開拓村を襲った・・・といわれていますが 彼らに言わせると敗戦と同時に取り返した・・のだとか・・。

    こうして命からがら帰ってきた日本で割り当てられた新たな開拓地のひとつが 成田の三里塚周辺・・・。 水のほとんどない牧場として平安時代から使われてきた土地に 栗を育て果樹を植え 南京豆を名産にして・・やっとメドが着き始めた時に・・・。 成田闘争の根っこは・・ ・。

    ほんとにほんのわずかなところで明暗を分けてきたみたいです。

    そんなことを言っても始まりませんが 心のどこかで それ違うんじゃないの・・・って声がしている不幸な世代です。  

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