Re: Re:シベリア鉄道・・・聞き書きですが

> 私の兄がシベリア抑留経験者です。

大変ご苦労されたんですね。日本人の奥ゆかしさが、ロシアに文句も言わず・・・。
戦後、日本人抑留強制労働を「非常に良い案である」褒めた日本人知識人がいる事を本で読み絶句しました。

>ちなみに兄は80歳で健在ですが5年ほどのシベリア抑留帰国、その後2-3年はシベリアの話をしていましたが その後ぷっつりしなくなりました。 
当時は・・私の生まれる前でしょうね・・。
ですからこれは想像ですが、当時は左翼思想が当たり前でソ連の悪口を言うのもはばかられたのではないでしょうか?
ご存知の通り私の小中学生の頃、学校で、Chaina、北朝鮮やソ連は素晴らしい国であると「嘘」を教えられていた時代でしたからそれ以前なら推して知るべし・・・と思っているのですが・・・。
映画「キューポラのある街」でもそうでしたしね。

>たまたま 旅先で世界の車窓からを見ながら こんな話になりました。

ご存知のように歴史的に鉄道は軍事とニアリーイコールです。
青函トンネルは自衛隊の戦車を輸送できる幅を持たせている・・・と記憶しています。
こんなクイズもあります。
「単線の線路上で、機関車が先頭になった貨物列車の向きを変えるのに最低必要な複線部分の長さは?」

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1件のコメント

  • 05/08/04 10:25

    Re^2: Re:シベリア鉄道・・・聞き書きですが

    私はシベリア鉄道の途中でバイカル湖畔のリストビヤンカと言う小さな村にある、日本人墓地に行きました。
    友よ安らかに眠れと書かれた木柱が立っていました。

    昨夜もNHKでシベリア抑留者のことを放送していましたが、私の年代のものは、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破り原爆を落とされ
    敗戦が決定的になった時の隙間に攻めてきて北方領土も掠め取り多くの捕虜をシベリアで働かせたので、ずるい国として印象に残っています。

    それに比べてアメリカは血を流して占領した沖縄や硫黄島も返してよこしたので、基地だらけの日本と文句を言われていますが、
    結果的にはソ連ではなくアメリカに占領されて良かったと思っています。

    ロシア人もアメリカ人もおおらかな点では似ていますが国となると大違いです。
    抑留者もー35度になると漸く作業中止になったと現地で聞きました。

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    Re^3: Re:シベリア鉄道・・・聞き書きですが

    EAVOさん 

    ソ連のとんでもない行為は確かに腹が立ちますが 兄の話によると当時のソ連の民衆レベルでも一部では抑留兵士よりひどい食べ物でひどい衣料(特に・・衣料はひどかったようです)で合ったようです。

    そのなかで触れ合ったロシア人たちについては 決して悪く言いません 。栄養失調や飢え、寒さでバタバタ死んでいった仲間については いまは 酷かった・・・としかいいませんが。

    でも近年伝え聞いた話では関東軍(旧満州地域を統括していた日本軍)の幹部が大規模な戦闘をさけるために 降伏した日本軍兵士のシベリア開発への投入に同意した・・・この人たちを日本に返すだけの国力が
    当時の日本にはない・・・との理由もあってらしいですが・・・。

    あの抑留はけっしてソ連だけの責任ではないとしたら・・・この憤りを
    どこに持っていけばいいのでしょう。 いえ 兄は ありそうなことだな・・・としか言いません。

    兄の会社員生活中 ほとんど怒らなかった・・・そうです。 子供たちもそういいます。 そういえば 兄弟姉妹の相談ごとにも最終的に異論をとなえた事がありません。 たぶん 中国での戦争と シベリアでの
    死を間近に見てきたせいではないでしょうか・・・。

    なんか 話題が8月15日にちなんだオハナシに・・・

    * 国という 愚かしきもの横たわる・・・。