金門島政府は・・ 最前線の島から脱却して、観光に力を入れようとしています。 昨年から、民家を借り上げ、水回りを整え、経営者を公募し 民宿として営業を始めています。 ↓ http://tour.kinmen.gov.tw/Hotel/Hotel.aspx?doctag=58 水頭村の民宿に5月の初めに泊まってきましたが、民宿として 営業を始めている家は、外壁もきれいに修復されています。 そのまわりの道は、手を入れているところ、修復前のところが はっきり分かれています。 これには、台湾政府から多額の援助があり、大陸を向いている 金門の人々に何故自分たちの税金から援助をするのだという 声もあります。 ○○遊客中心の設備や展示方法にはかなりのお金をかけている ことがうかがえました。観光局長からも、どうすればもっと 日本人にきてもらえるのだろうかと聞かれました。 大陸からの観光客よりもお金になる日本人をよびたいようです。 いずれ、日本からのパックツアーも行くようになるのでしょうね。 余談ですが、民宿の中では携帯は大陸につながり、 民宿の前の道では台北につながりました。
民宿は何故か鍵が掛かっていました 水頭に2件ある民宿だけは綺麗に手入れがされていました。 でも訪れる旅人がいないのでしょうか鍵が掛かったままで 無人でした。 水頭村の中を歩き回わり出会ったのは黄氏西堂の住民とその 近くにあった金?寺のお坊さん、この寺も一棟は屋根が落下し 対策がとられないままでした・・・もったいないですね。 台湾本島からはフライトが結構あるのですが台湾の人はそのまま フェリーに乗り換えて中国のアモイに向かってしまい金門には お金が落ちないような感じでした。 観光客を呼び込むにはインフラがまったくできておらず日本人は 不満を持つかも、でもこの掲示板を見ている皆さんにとっては バックパッカーの原点を楽しめる所ですね。 旅に出てお土産を買うことはありませんでしたが、大砲の弾で 作った包丁を買ってしまいました。 中国本土からプレゼントされた貴重な物資の有効活用でしょうか?
民宿は・・ 普段は、人が住んでいないそうです。 経営者は、ほとんどが以前の住人で 家を民宿にするために別のところに 住み替えたそうです。 そのため、夕食は外で食べ、朝食だけ事前に リクエストしておいたものを用意してくれます。 私は、広東粥をお願いしたのですが、とてもおいしかったですよ。 現在資料館として活用されている旧金水小学校へ行かれましたか? 洋風建築だったので驚きました。日中戦争時は、日本が占領し、 野戦病院として使われていたそうです。 観光客を呼ぶためのインフラは、まだまだですね。 でも、金門政府公認の金門縣政府観光特約解説員・観光解説計程車 服務團隊成員の資格を持つタクシードライバーの方は、本当に 金門の歴史に詳しく、また、よく勉強されていました。 5月は、台北からの観光客が多く、金門でも小金門でも団体に何度か 会いましたよ。 マエストロ・ウーの包丁、原料が大陸から空を飛んでくる加工貿易ね と、冗談を言ってしまいました。砲弾を利用するという発想が すごいですね。 製造過程も見せてくださったのですが、本当に砲弾を切断して作って いました。 山后・民俗文化村へ行かれましたか? 一族のためにあれだけの土地を購入し家を建てるという考え方、 華僑の原点なのでしょうか。驚きました。