Re:景色が変らないんじゃ・・・ アメリカではフロリダでちょこっと、それにカナダのバンフで・・・の経験しかありません。 それなりに楽しめる・・・という触れ込みでしたがやはり同じ景色の連続です。 知り合いのアメリカ人、少しヘンなヤツですが 日本のデンシャ・・・そういうんです、は額縁が走ってる・・ って言ってます。 東京のデンシャもだそうです。 そういえば ユーロスターでロンドンから乗るとドーバーを越えたトタン車窓の風景画面白くもなんともなくなります。 山も見えなきゃ川もない。広い畑と高圧線の鉄塔ばかり。 ツマンネエと思っていたイギリスはドーバーまでの風景画懐かしくなりました。 昔 カルガリータワーのテッペンから下を通る硫黄を積んだ貨物列車が 見下ろす視界をはみ出しているのにビックリした覚えがあります。 またカナダの有名なループトンネルで長大な貨物車が 頭と尻尾を 二つのループの両端にだしている空中写真を見た覚えがありますが・・・。 あれじゃあ 車窓の楽しさにはなりませんな。 もちろん 駅弁なんて ・・。
Re: Re:景色が変らないんじゃ・・・ 住んでいながらアメリカの鉄道には縁遠い内蔵介です、 > アメリカではフロリダでちょこっと、それにカナダのバンフで・・・の経験しかありません。 それなりに楽しめる・・・という触れ込みでしたがやはり同じ景色の連続です。 容易に想像できますねえ。車で走っても同じです。 知人からはロッキー越えの写真を撮影してこいと指令が出ていますが、そこまでたどり着くのに時間が・・・ >またカナダの有名なループトンネルで長大な貨物車が 頭と尻尾を 二つのループの両端にだしている空中写真を見た覚えがありますが・・・。 そういう姿は見てみたいですね。 時々目前を通り過ぎる貨物列車の編成は・・・無茶苦茶な長さですね。 >あれじゃあ 車窓の楽しさにはなりませんな。 もちろん 駅弁なんて ・・。 頭を空っぽにして汽車に乗るのも悪くはないですが、退屈は苦痛ですね。 シベリア鉄道に触手が伸びないのも・・・。
Re^2: Re:景色が変らないんじゃ・・・ 内蔵介さん、どうも 私はアメリカ、カナダ、オーストラリア、シベリアと全部横断鉄道に乗りましたが、 アメリカやカナダは余り日本人は多く無かったですね。 しかし食堂車で外を眺めたり旅行気分はやはり良いです。 ロッキー超えは一番です。コロラド河に平行して自動車が見え隠れします。 シベリアは好奇心のある若い人たちが結構乗っていますが、他の国と違って余り贅沢な気分は味わえません。 いずれにしても飽きるのではないかと心配する人は多いですが、私のようにいい加減な英語だけのものでも、話し相手は何処でも見つかりますので飽きることはありません。 せっかちな私でも一旦乗ってしまえばのんびりした気分になります。 ヨーロッパの忙しい鉄道も有名列車は殆ど乗りましたが、横断鉄道は 余り時間などを気にしないで別の良さがあります。 ただ日本ではグリーン車は乗りませんが、外国では横断鉄道は全部、個室寝台など1等が多いです。 うるさくなく英語を話す人がたいてい乗っています。ローカル列車の場合は2等車のときもあります。 外国は何時も一人ですが、話し相手に困ったことはありません。 英語もちょっと複雑な話になるとすぐぼろが出ます。他愛ない話でも 飽きたことはありません。 もっとも時々超小型の短波受信機で日本からの放送を聴いているのも飽きないでいられるのかもしれません。
鉄道の旅 内蔵介さん、おはようございます。 私は来春に初めてアメリカの鉄道に乗ろうと思って、数日前にガイドブック「北米大陸鉄道の旅」を買いました。 大まかに考えているルートは、メイン州ポートランドを出発して東海岸の数都市で途中下車しながらヴァージニア州リッチモンドに行きます。 そこからは飛行機でアイオワ、ネブラスカ、ワイオミング辺りを経由してオレゴン州ポートランドに行き、カリフォルニア州オークランドまでまた鉄道で行くというものです。 東海岸と西海岸では車窓からの風景は随分違うらしいですね。私は鉄道マニアではありませんが、初めての鉄道の旅は楽しみ8割不安2割といったところです。 何にもしないでボーっとしているのは得意ですから、耐え切れないほど退屈はしないと思うのですが。
Re:シベリア鉄道・・・聞き書きですが 私の兄がシベリア抑留経験者です。 その話で 貨車に載せられて西に運ばれていく際帰国ではないと観念したのがバイカル湖を見たときだとか・・・。 もちろんウワサでどうも帰国ではないらしい・・・とほとんどが承知していても なかには信じない人がいて・・・。 バイカル湖が見え始めるとみんなが争って貨車のすきまから湖面を眺めたそうです。 そしてそれから1週間 来る日も来る日も湖畔を走りつづけ・・・、だれも外を見ない日が続いたとか・・・。 8月15日が近くなっています。 ちなみに兄は80歳で健在ですが5年ほど のシベリア抑留帰国、その後2-3年はシベリアの話をしていましたが その後ぷっつりしなくなりました。 たまたま 旅先で世界の車窓からを見ながら こんな話になりました。