私も入れて 蚤の前に 最強痒 ダニ⇒南京虫⇒⇒虱⇒ノミ⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒蚊 約50年前、第2次世界大戦が終わり海外から引き上げてくる日本人に入港 した港で 占領軍のGIが虱退治用のDDT(粉末の薬)を噴霧器で吹きつけ黒 髪の大和撫子が1瞬のうちに白髪、袖口からも吹込まれコソバイー。 あの時のDDT代、アメリカに払ったのかナァ。 追加、その少し後、 叔母のうちで叔父と従兄弟、私の男5人の洗濯物を必ず大きな釜で熱湯消 毒するのだが、何処に隠れているのか又出てくる、しぶとい虱に叔母も お手上げ、でも知らないうちにいなくなってた。 今では想像もできないので誰も信じられないお話、でもほんとの話。
最強痒 ダニ⇒南京虫⇒⇒虱⇒ノミ⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒蚊に賛成 はっつさん、はじめまして。 シラミ忘れてましたね。私は小学生でキャンディーズを見てた世代 なので、戦後の話は知らないのですが、とある事情でイランでシラミ にやられた事があります。パンツの縫い目にいたあの白い物体Xは 最初何か分かりませんでしたが、すぐに、アーこれがシラミかぁと 変に納得してしまいました。 そうですよねぇ、シラミも痒いんですよね。
そして 毛→→→ →→じらみ と続く。 上も下にも、 それで、上や下やの大騒ぎ、と言う言葉が出来たか出来なかったとか。 お下がよろしいようで。 お次は真打登場。
集団疎開で・・・これなあーに 10才で集団疎開で静岡のお寺に・・・。 冬のある日 痒いので下着の中に手を入れてかいていると白い虫が手に・・・。 保母のオネーさん(当時20歳だったとか)に<これなーあに・・・> ときいたら その後でお寺のお施餓鬼用の大ガマを庭に持ち出して全員の衣服が煮られました。 これがシラミの初見参でした。持ち込まれた経路は多分 町で優先的に入れてくれた銭湯の脱衣籠だったみたいです。 何しろ当時の衣服はツギハギが多く その縫い目が彼等の住処で産卵場でしたから・・・。 栄養の悪いカラダの血が彼等は好きなのか その後みんなの栄養がよくなったら?自然にシラミが身辺からいなくなりました。 シベリアがえりの兄の話では・・・瀕死の病人がいよいよダメだというときに 話すことが故郷の事になり、そのうちそのカラダからシラミがぞろぞろ退去し始めるそうです。 そういえばゴキブリが重要な蛋白源であるところもあるとか・・・。 あんまり嫌うとその内・・・必要な時に向こうに嫌われるカモ・・・。 まあ そんな時がこない事を祈りましょう。
昔話に花咲かせ ぼうふらおじさんさん、こんにちは ーーいーー ニューPCからイを入れる、そして一時入っていましたが。 私も新PCで(はっつあん)から(はっつ)にして昔のハンドルネームでは保 存メールにアクセス出来ず不自由しました、自分で設定したのであきら めました。 ぼうふらおじさんは、又もとに戻りましたがどんな手を使いましたか。 最初はここでの敬称のつけ方を理解していなかったので、はちと付けれ ばはっつあんになると思いましたが、コンピュータが自動的にサンを付 けるように設定して有るのですね。不便なものです。 お互いに虱が逃げ出さないよう健康に気をつけましょう。 虱の話は数々あれど(頭から足の先まで)リクエストのみに答えましょ。