そもそも、なぜそんなに陸路にこだわるのですか はっつさん お久しぶりです、こん○○は 発言ランキングに載りましたのでこのトピを拝見しました。 けど、正直なところ、またか…って印象なんですよ。だって同じ内容のトピでしょ。タイのNo.130220 ですよね。 それ以前にさかのぼったら幾つでも出てくるでしょうね。 で、はっつさんにお尋ねしたいのですが そもそも、なぜタイ (バンコク) から陸路にてシュムリアップを目指したがるのでしょうか、みんな。 たしかに国境を越えるときの気持ちの良さは分かります。 大昔、ヨーロッパを旅行してバスでも電車でも、越えたときの爽快感といいますか、何ともいえませんね。 あの当時は海外なんてツアーで行くものであって、ガイドブックを携帯していくといった習慣すらありませんでした。 で、団体行動は嫌いだし、どんな名所旧跡であれ丸ごと一本フィルムを使って写真を撮りきることなんてない。 で結局、ヨーロッパはもういい!! って早々に見切りを付けてしまいました。 すみません、話が脱線しました。 もし苦労を百も承知のうえで国境を越えることに、ひとつの意義を見いだしたいのなら チベットからネパールへと5000m 級の山越えをして、それこそ宿すらない、道と呼べる道すらない そういったルートを行く。それなら分かるんです。 高山病にかかったら命がけですから。 けど、しょせんどんな艱難辛苦が待ち受けていようが一泊二日もあれば通り過ぎてしまうボーダーでしょ。 ならば、タイからカンボジア、シュムリアップへ陸路で行ったにせよ、それほどのこともないではありませんか。 節約のためでしょうか。 それだったら、ケータイ使用料を減らすとか、遊興費を切りつめさえすれば、簡単に飛行機代くらい捻出できます。 そもそも本当に貧乏だったら海外へ行く余裕はありません。自称、貧乏旅行者なんて格好付けのポーズですよ。 通常なら飛行機で行くところをあえて陸路で行きつくことへの優越感でしょうか。 それにせよ取りたててこの国境が世界中のどこの国境よりも越えるのに困難を強いられるとはいえませんね。 そもそもアンコールワットを見物したいがために行くのでしょ。 だったら飛行機で渡り、現地にて見物 (滞在) する時間を多く取ったほうがはるかに有意義ではないですか。 私には「陸路」「陸路」と固執する人の気持ちがどうしても分かりません。 ただ自分が理解できないからといって軽蔑したりはしませんが。 そのへんのところですね、(どのへん? 笑) 宜しければ、分かりやすくご教示いただきたいのですが お願いできませんでしょうか。 きっと私と同じように疑問に感じている人はいると思いますよ。
そりゃ、海外旅行は、陸路で行くのがルールなんですから。 みなさん、どーも。 海外旅行では、 「陸路、海路でいけるところは、できるだけ飛行機を使わない」 これが、鉄則だからですよ。 飛行機を使ったら、海外旅行ではありません。 これは、海外旅行の基本です。 だから、中米から南米へ下るとき、 ダリエンギャップをどう越えるかが、大問題だったりするわけです。 僕が決めた、世界一周旅行の定義では、 「5)日本の出国または帰国の一方は船を利用すること。」 というのがあるくらいです。 http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/faq/faq2.htm#Q5 みどりのくつした
Re: そもそも、なぜそんなに陸路にこだわるのですか 陸路だろうが、空路だろうが、 それは旅行者の選択の自由だと思うのですが、 陸路を選択したすべての人はその手段に固執していたのでしょうか? それは少し偏りすぎた考え方だと思うのですが、いかがでしょうか? 通常なら飛行機で行くところ書いてありますが、 通常と言うのは、どーゆう場合の通常でしょうか? カオサンにいるバックパッカーにこのルートの交通手段を聞けば、 旅行経験が多い人であれば、ほとんどの方が陸路と言うと思います。 そう言うにはそれなりの理由があって、 以前に比べて道が整備されたことや、旅行者が増えたことによって バックパッカーが考える一般的な交通手段が陸路になってきているんですよね。 私も陸路を選択しましたが、別に固執していたわけではありません。 難関な国境越えを経験したいからといって、いきなりチベット-ネパールにチャレンジする人がいるかわかりませんが、 ブーバーさんのように国境越えをしたときの爽快感はタイーカンボジアでも味わえると思います。 ciaoatuttiさんも、もし変に陸路で行くことだけに固執をしているのならば、少し考えなおした方がいいかもしれません。 その上で自分で交通手段を選択し、リスクは自分がすべて受ける。 では、よい旅を。
久々の投稿です 今晩は。 私が思うには”冒険”の一種だと考えます。 とかく日本に限って言えば、この冒険、臭いもには蓋をしろ じゃないのですが、中々どうして認められる事が難しい。 特に、個人の場合ですと未だに、ほぼ絶望に近いのでは? ちなみに、ここで言う”認められる”との表現は、許可を得るとか そんな感じで取って下さい。 冒険をするには少々窮屈なお国柄ですから、取り敢えず著しく脱線 する事無く、”冒険に触れてみる”をする。 こう言う感覚では無いでしょうか? 1人で海外に出る事も、最初は誰でもある種の冒険。慣れてくれば、陸路で国境を超える冒険にチャレンジ。 更に慣れれば、いわゆるちょっと危険な場所も、冒険心を擽るという物。そして、旅の技術と言う観点に慣れ過ぎてしまえば、いわゆる 効率を求める方向へと変化して行く。 でも、”冒険”を求める方が増える事は、非常に喜ばしい事だと 思います。 確かに危険もありますし、レスにある通り、鼻が利かないとヤバイ 事もあるでしょう。 それでも、チャレンジしない事には、”冒険”ではありません。 TVゲームで”冒険ごっこ”をやっている事に比べれば、健康的でも ありましょう。 ただ、スポーツと同じで無理をした行動、実力が伴わない 行動は、私も”冒険”とは思いません。それは無謀と言います。 従って、ポイペト迄行って駄目なら戻ればよろしい。 時間が無くても戻る。今回の旅がパーになっても戻る。 それは自分の計画力の甘さなのですから、次回から気をつければ よろしい。無理して行って、酷い目にあったら、これも自分の判断力 の甘さなのですから仕方が無い。ここまでの覚悟が出来ないのなら 素直に飛行機で行けばよろしいのです。 ”冒険”には多少の危険や覚悟が伴うのですから。