見惚れるというのは解る気がします。

平和ボケしている私ですら ずっと食い入るように窓の外を眺めていたので 不謹慎ですが“あまりの光景の美しさ”が理解できる気がします。 安全に飛行している自分の搭乗機と 下に見えている閃光が
決して交われない不可能な距離ではなかったので とても不思議な気持ちでした。

イスタンブールでトルコの青年と兵役について話していたら 痩せた青年はまず国境近くの危険で過酷な場所に送られると言っていました。

アヤソフィア横の通りでそれぞれに荷物を持ち これから兵役に行く青年達が無言でぼーっとバスを待っている姿も印象的で忘れられません。
旅行をすると 自国との違いをいろいろ知り 興味深いですね。

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1件のコメント

  • 06/07/15 09:02

    私の年代は幸運です。

    私は卑怯者と思われるのが嫌でしたから、もう少し早く生まれていたら、志願していたかもしれません。
    従兄弟が陸海軍の少年飛行学校を受けて戦闘機海乗りになったので羨ましかったです。
    この性格は今でも好んで極地へ行く事などに現れているかもしれません。
    駄目だといわれるとやりたくなる性格は死ぬまで治りそうもありません。

    しかし大人になってみると、徴兵にもならず幸運だったかもしれません。戦争だけでけでなく若くして結核で亡くなる人も多く抗生物質が出来て幸運な時代になりました。伝染病も多かったです。

    国語の教科書に載っていた満蒙開拓義勇団の仕事が終わって饅頭が美味しかったというのを見て、単純に私も行きたいと思ったりしました。
    食べるものは余り無かったですが、将軍様の国と違って一応平等に別けられていました。

    3月10日の東京大空襲も8月15日の熊谷空襲もトルコではないですが花火でも見るような光景でした。
    昼間今の西東京市上空で丹下少尉がB-29に体当たりするのも、私の町から見ました。

    幸運にも私の町は県庁所在地で京都、奈良を除いて汽車が止まらない唯一の駅でしたから米軍が間違えたという説もありました。
    何処の県庁所在地もやられています。

    その時の感覚では比較の問題ですが焼夷弾より爆弾の方がなんとなく怖かったです。
    私の唯一の体験は直ぐ傍の機関車を狙った艦載機F6Fの急降下機銃掃射で機関砲の弾が連続して1Mくらい離れたところに飛んできて、
    私の家の上にある電線が全部切れてしまった時です。

    機銃掃射は関西の吹田と並んでの大宮操車場(現さいたま新都心)の範囲で軍需設備としての機関車が多く避難していた関係です。

    今は中東で大分きな臭くなってきましたが、生き残るという事は大変な事なのだなと今実感しています。
    今はなんと言っても平和な日本が良いと思って旅行に行ける自由を満喫しています。

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    平和

    平和を意識せずに生活して 楽しく旅行に行けるのは本当に幸せな事です。(わが身を以ってそう感じています)

    その時代であれば 卑怯者といわれない為に志願したかもと云われるその言葉に もう二度とそんな時代がこない事を祈るばかりです。

    徴兵制や紛争がある国の子供でも 産まれた時にはただただ「元気ですくすくと育ってほしい」とだけ願われていたはずなのに 国の情勢・事情で命を楯に戦地に向かうのは どう考えても辛いです。

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