さすけねえさんもサンバ?

ムーミンママ様

私の亡父は、シベリアの捕虜収容所で大変な経験をしたようです。
春になると白樺の芽が出て、それを食べて「やっと又1年冬を越せた」と・・・周りで死亡する仲間を見ていればそのように本当に思うのでしょうね。

俺はヨーロッパに行って来たといつも自慢していました、シベリヤの後にカスピ海の港町で沖仲士(文字変換がおかしいかも?)の作業をしたからです。
砂糖の袋をわざと破って、飯ごうに詰めてかっぱらった自慢も。

まつけんサンバ・・・・私はヨサコイも盆踊りもダメです。

本物の民俗芸能としての踊り・・・マサイダンス、フラダンスとかなら見たいですが・・・。

イリアンジャヤに行って、シンシン祭りには生きているうちに行きたいと・・・写真集を見ては・・・極楽鳥の冠をつけコテカを身につけ。

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2件のコメント

  • 穴があったら入りたい!

    さすけねえ様!

    私としたことが、
    1行目のメールアドレスを見落とし、
    ぱっと目に入った漢字が読めないのでパニック
    その横を見たら松平健
    松平健といったら「松健サンバ」の変なのりで大変失礼なことを書いてしまい、申し訳ありません。反省しております。

    <私の亡父は,...。
    私のドイツの知り合いの方もシベリア抑留から帰還された方がいらしたんですが、ある夏、そういうかたがたが集まって、かっての収容所を旅する同窓会のような旅行にでかけ、その旅行から帰って、二日としないうちに、突然心筋梗塞で倒れられてそのまま亡くなられてしまったんです。

    それまで、大変お元気な方で、彼の家族は、「シベリア旅行が、きっと悪夢を呼び起こしたんじゃないか。」と語っていました。

    私などは、戦争体験が全くなく、周りのお年寄り、報道や映画などでしか、知る余地はございません。それは、本当に幸せなことです。

    今日も、「テポドン」ニュースが一報に流れています。何事もなく終わって欲しいものです。

    話は、がっらと変わりますが、
    最近、私の知り合い達の間では社交ダンスフィーバーで、久しぶりに会ったら、皆、生き生きしているし、姿勢はいいし、若返ってるんですよ、見た目には皆10歳以上は若返っている。
    中には、病後のリハビリとして始めた人もいるんですが、この人が死ぬほどの病気をした人とは思えないほどなんです。
    私も、おちおちしてはいられないです。
    そのうち、彼らたちと並んだら私のほうが、年取って見られそうです。
    何か始めなければ。

    <イリアンジャヤに行って、...。
    シベリア鉄道の旅などはどうなんでしょうか?
    シベリア、イコール獄寒みたいな感じ(ドクトルジバコの氷の館がすぐ頭に浮かんでしまいます。)ですが、夏は、とてもいいところみたいですよ。
    ドイツもそうですが、冬が厳しい所ほど、夏の風景は美しいです。
    (例えば、バイエルンのアルプスの方など。)

    話は、戻りますが、
    皆が、和気あいあいと生活できる
    この平和な社会がいつまでもつづいてほしいものです。







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    Re:冬が厳しい所ほど、夏の風景は美しいです

    ムーミンママ様そうですね。

    この平和な社会・・・今夜テポドン2号が家の近くに落とされるかもしれない・・・

    ・・・バイエルン地方を中心とした南ドイツは夏休みに家族でバックパック(と言っても駅前ホテルと航空券は予約)しましたが真夏のノイシュバンシュタイン城は良かったです。

    年末年始休みのオーストリアも行きました・・・雪のシェーンブルン宮殿も良かったですね。

    真冬と真夏・・・今度は逆の季節に・・・行くお金と暇があったら行ったことのない所にとつい考えてしまうさすけねえです。

    「今度は●●にいくぞ~~~」と言うと、家族に「じゃーそこは行けないね」といつも言われています。

    スリランカ・イリアンジャヤ・雲南・西域(イスラム圏中国)・・・・・・夢が広がるシャボン玉、シャボン玉ホリデイ~~~~(古い)

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  • 06/06/18 12:57

    シベリア収容所

    私はシベリア鉄道のイルクーツク途中下車で近くのリストビアンカという村の日本人墓地へ行きました。
    そこに友よ安らかに眠れと書かれたぼん杭が立っていました。
    ガイドの説明だとー35度で作業中止になったそうです。

    同じ収容所でも今度映画化された第一次大戦時の四国のドイツ人捕虜収容所はまだ日本の武士道、西洋の騎士道が生きていたようです。

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    第一次大戦時【松山】ドイツ人捕虜収容所

    EAVO大長老・・・私も親父とカスピ海の港町にシベリヤ鉄道経由で旅行してやれなかったことを今になって無理しても行ってやるべきだったと・・・。

    親父は、うんこをツルハシで砕いて捨てる仕事をすると、黒パンを余分にもらえた話しを・・・室内に戻ると「雲黒斉の野望」だったそうです・・・あの有名な「暁に祈る」http://www.ffortune.net/social/seso/nihon-mei/akatukini-inoru.htmの隣のラーゲリだったそうです。

    現役を引退したら、まずはシベリアの次に移動したカスピ海の港町(正式な地名さえ分かりません・・・片道だけシベリア鉄道で行きたいと思っています・・・その街に私の兄弟が居たりして?俘虜が一般市民に物を売ることができたそうですヨ)

    ・・・第一次大戦時【松山】ドイツ人捕虜収容所の本を読んだことがあります。これによると、温泉に入り、芸者まで上げることができたそうです・・・でも第2次世界大戦のロシアの俘虜では?????。