いいえ、とんでもありません。 知人の話ですから、私も真偽のほどはわかりません。 ただ、彼女は山に登る時に加藤さんのお兄さんの方に ガイドをしてもらったそうです。天才登山家とまで言われた 弟さんは山で亡くなったんですよね。お気の毒に。 そういえば韓国人も多くなり、ハングルのアナウンスもされる ようになりましたね。みんな美しいところにいきたいのは当然 でしょう。 ど素人の私としては、直登ルートはすごいところを登った んだなあと地図をみて思ったわけです。 槙さんの話もとりあえずは知っています。山小屋は移動したん ですか。見てみたいものですね。 あのね、私、日本人がいやなわけじゃないんですよ。ただ、 あの登山電車の駅あたりで、わいわい騒いでいるオバサマたち だけはどうも苦手。これはスイスだけじゃなくてね、日本でも 同じ。山の上のハイキングコースなどに行くとこういう人も いなくなり、楽しく歩いている人々に出会うのは楽しいものです。 ぼうふらおじさんも周りで騒いでいる「女であることを忘れ ちゃったようなオバサマ」はあまりすきじゃないでしょ? 思わず、ああいう風にはなりたくないなって同性として 思ってしまってね。わかります~?
この頃こう思うようになりました。 PURICHANさん 恐縮です。 でも このオバサン達が長い間 子育てや亭主の世話をしながらほとんど自分の時間さえない暮しを続けた後に やっと楽しめるようになった今の時代を考えると 多少の羽目を外しても仕方が無いのでは・・・と考えます。 気がついた時にはそれなりの暮しをしている今の若い・・・50歳に成り立てぐらいお方もコノ中にいれさせていただきます、が それなりの暮しで普通の感覚で海外へお出かけの今、この方たちへの冷たい視線が気になっています。 とくにユングフラウも ゴルナグラードも日本でいえば 華厳の滝であり、東照宮であり、箱根の芦ノ湖です。 それをいうならそのような場所へは足を運ばないのが一番ではないかと思います。 云う事がすこしきつくなりました。 お詫びします。 なお 加藤兄弟のことも・・・。 お兄さんは今も現地の一流アルピニストです。もちろん弟さんのそれを貶めるものではありませんが お兄さんより優れていたという事実はありません。 伝聞は伝聞として伝えないと誤解も招きます。 掲示板の少し先輩としての・・・助言です。重ねての妄言、お詫びします。
とんでもございません 本当ですね。オバサマたちもすこしはしゃぎたい気分になっている のでしょう。いつか行ってみたかったスイス。 ま、女という生き物は歳をとるにつれてだんだん図々しくなり がちなものです。おそらくは私とて同じことでしょう。 (でもお願い、電車がついたら他人をつきとばしていい席を とろうとしたり、荷物を置いて他の方が座れないようにし たりするのはマナー違反。これはやめて~。同じ日本人と してちょっとはずかしいから。)当然、おとなしく景色を 楽しんでいる上品なご婦人もおいでになるということも 付け加えさせていただきます。 加藤さんのお兄様はTVでも拝見しました。人格的にも すばらしい方ですよね。山を愛し、山に暮らしておられるの でしょう。弟さんを亡くされてもそれでも山に暮らす。 真の山男というものはそういうものなのでしょうか。 いろいろと余計なことを申し上げてすみません。他意は ございません。非常に深くスイスをご存知の方として 尊敬申し上げております。
Re: この頃こう思うようになりました。 こんにちは、ぼうふらおじさん ふと思い出しました。 昔、バスを連ねて名所を見て回る日本人の団体を苦々しく思っていたことがあります。 英語すら話せず、たかが4泊や5泊でローマやパリを回って何を見るんだか、と冷たい目で見てました。 あるとき、ヨーロッパのどこかの町で、やはりバスを連ねた日本人の団体を見ました。 ちょうどホテルの前にバスが止まって、降りてきた人たちの中に ステッキをついた年配のご夫婦らしいカップルが見えました。 そのときにはっと気がついたんですね。 この人たちはたぶん今までずっと働いてきたのだ。 おそらく時代のせいもあって、外国語を身につけることもできなかったのだろう。 生活に余裕が出てきたから、話に聞いたパリやローマに行ってみようと考えて何が悪い。 外国語ができなければ、ツアーに頼るしかないではないか。 わたしが個人で海外に出かけられるのは、単に機会に恵まれたというだけのことなのに この人たちを鼻で笑う権利がどこにあるのか? このときは反省しましたねえ。 そのままホテルに入ってゆくそのご夫婦を見送りながら、 心の中で「お気をつけて、楽しい時間を過ごしてください」と言ってました。 それ以来、日本人 (だけではないけれど) の団体のかしましさに閉口することはあっても 侮蔑的なまなざしを向けることはなくなりました。 人それぞれ、それぞれの事情があるのだ、と思うのです。