色々ありがとうございます

大昔 学生時代にデーパートのお歳暮配りのバイトをやっていた頃、何回か新田次郎氏のお宅に届けに行った事があります。
でも、氏の小説はあまり読んだことはありません。これを機会に行く前に読んでみます。

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2件のコメント

  • 新田次郎さんのお墓

    ぼうふらおじさんへ、
    心に残るお墓ですよね。実は山へ登る知人からこんな話を聞いた
    ことがあります。

    登山家のお墓や碑はクライネシャイデックの線路の内側に建てる。
    未亡人の意思を受けて碑をつくろうとしたときに、町側は
    彼は登山家ではないので内側にはつくれないが、できるだけ
    眺めのいい場所に建てさせてくれたのだそうです。スイスの
    人々のやさしさが伝わってくるとともに、やはりあの場所は
    山男(女)にとっての「聖地」なのだなとつくづく思いました。

    だれかが今もアタックしているかもしれないアイガーの北壁を
    私たちはいともたやすく登山電車で登ってしまいます。
    これは私たちにとって幸せなことなのですね。あんなに美しい
    景色をひ弱は私たちも共有できる。ながいこと富士山の測候所
    に勤務されていた新田次郎氏もできることなら自分の足で
    山に登りたかったことでしょう。

    ドンキホーテさんへ
    先人たちの遺産のなかにアイガー北壁直登ルート(ディレテシマ)
    というのがあります。このメンバーの中に「銀嶺の人」の
    主人公の今井通子さんがいました。彼女たちの使っていた道具
    写真などが、シルトホルンへ向かうロープウェイの乗り換え駅
    に展示してあります。ある観光ガイドがほこらしげに観光客に
    説明しているのを聴きました。英語が通じるかどうかわかる
    はずもなかったでしょうが、そばにいた私たち日本人にも
    彼女は聴かせたかったにちがいありません。お時間があったら
    行ってみてください。

    こんなこと、ぼうふらおじさんはきっとごぞんじでしょうね。
    本当にスイスのこと詳しいですものね。すばらしいです。

    あ、そうだ。朝8時過ぎの電車日本人団体(なぜかオバサマが
    おおく、かしましいことこのうえありません。)でごった
    がえしています。1本ずらすだけで違いますよ。
    そうですよね。ぼうふらおじさん。

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    ゴメンこうむりまして

    purichanさん すみません。 登山家でもだれでも クライネシャイデックの内側にも外側にも お墓も記念碑も建てられません。 なんかの間違いと存じます。 

    新田次郎氏の場合彼の静かな山を愛する気持ちと グリンデルワルドと日本人との深い昔からのつながりがあって特別に取り計らわれたものです。 ですから ガイドブックなどにはことさら場所を明記しない・・ ・というルールがあります。(そういう私は破ってしまっている訳ですが・・・)

    今井通子さんのルートはたまたま彼女が若くてきれいな(今でも・・・ ?)人だっただけで 直登ルートとしては画期的なルートの開拓だったのです。 一緒に登った加藤兄弟など早々たる実力者群でした。

    あの地域の功績としては マナスル登山隊長の槙 有恒さんのミッテルギ山稜(グリンデルワルドと平行に伸びているギザギザの刃物みたいな尾根)初登頂の方が・・・いえドッチというのはおかしいですが。

    初登頂後彼が寄贈した山小屋が一昨年建て替えられましたが 古い小屋はヘリで運ばれ グレッチャー駅の上に建て直されています。

    電車に日本人グループが多いのは仕方がありません。 韓国の方も中国の方も沢山増えました。 いい場所に皆さんが行きたがるのはあたりまえです。 あえていうなら 一番電車だと少ないかも・・・。

    ご気分を害されるかもしれませんが・・・日本人が多い、知られていない・・、日本人がいない・・・は私は出来るだけ禁句にしています。
    皆さんにすこし先んじて楽しませてもらった・・・のです。 せっかくの アドバイスがイヤミになりかねません。 御気に触ったらあやまりますが。

  • 新田次郎さんのお墓・・・・

    生前のご縁があるのなら場所をお教えしておきます。

    クライネシャイデックの駅の駅舎と反対側のやや高くなったところへ線路際から上がる階段があります。 そこにあがると駅舎ごしにユングフラウヨッホがみえます。 その手すりを固定しているヘリ石の奥に 四角い銅版のプレイトはめ込まれています。 小さな 静かないい記念碑です。 分骨されていると聞いています。 気が付かなければ気がつきません。

    ほんらいこうした記念碑・・・お墓はもちろん認めませんが、とくに日本との交流の功績を認めて村が許可したと聞いています。
    もっとも 去年・・もっと大きな記念碑が その手前に立ちました。 よその国の人のです。 でも きっと心に残るお墓?です。

    なお 日本人が多いことを気にしないでください。 時間的に一つずらせば気になりません。 それに日本人のくせに日本人が多いことを嘆いてどうします。 もし気になったら通りの上か下へ出れば そこは貴方だけの散歩道です。 

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