一応ご参考まで 新田次郎の本では「アルプスの谷、アルプスの村」という 本があります。文庫本です。ほかにも彼の本人はいろりろ 出て来ます。「栄光の岸壁」にも老ガイドの話が出て来ます。 しかし、この方もすでにお亡くなりになり、いまは息子さん がやっているそうな。ただし、この方のお写真はかざって あります。ですから、もしいかれるなら、新田次郎の本を 読み漁ってからいかれるとよろしいかと思います。 ただし、街自体は日本人ばかりでつかれるでしょうか。 新田次郎の碑はクライネデャイデックのそばにあります。 変わらないのはアイガーだけ。 どうぞお気をつけておいでください。
色々ありがとうございます 大昔 学生時代にデーパートのお歳暮配りのバイトをやっていた頃、何回か新田次郎氏のお宅に届けに行った事があります。 でも、氏の小説はあまり読んだことはありません。これを機会に行く前に読んでみます。
新田次郎さんのお墓・・・・ 生前のご縁があるのなら場所をお教えしておきます。 クライネシャイデックの駅の駅舎と反対側のやや高くなったところへ線路際から上がる階段があります。 そこにあがると駅舎ごしにユングフラウヨッホがみえます。 その手すりを固定しているヘリ石の奥に 四角い銅版のプレイトはめ込まれています。 小さな 静かないい記念碑です。 分骨されていると聞いています。 気が付かなければ気がつきません。 ほんらいこうした記念碑・・・お墓はもちろん認めませんが、とくに日本との交流の功績を認めて村が許可したと聞いています。 もっとも 去年・・もっと大きな記念碑が その手前に立ちました。 よその国の人のです。 でも きっと心に残るお墓?です。 なお 日本人が多いことを気にしないでください。 時間的に一つずらせば気になりません。 それに日本人のくせに日本人が多いことを嘆いてどうします。 もし気になったら通りの上か下へ出れば そこは貴方だけの散歩道です。
新田次郎さんのお墓 ぼうふらおじさんへ、 心に残るお墓ですよね。実は山へ登る知人からこんな話を聞いた ことがあります。 登山家のお墓や碑はクライネシャイデックの線路の内側に建てる。 未亡人の意思を受けて碑をつくろうとしたときに、町側は 彼は登山家ではないので内側にはつくれないが、できるだけ 眺めのいい場所に建てさせてくれたのだそうです。スイスの 人々のやさしさが伝わってくるとともに、やはりあの場所は 山男(女)にとっての「聖地」なのだなとつくづく思いました。 だれかが今もアタックしているかもしれないアイガーの北壁を 私たちはいともたやすく登山電車で登ってしまいます。 これは私たちにとって幸せなことなのですね。あんなに美しい 景色をひ弱は私たちも共有できる。ながいこと富士山の測候所 に勤務されていた新田次郎氏もできることなら自分の足で 山に登りたかったことでしょう。 ドンキホーテさんへ 先人たちの遺産のなかにアイガー北壁直登ルート(ディレテシマ) というのがあります。このメンバーの中に「銀嶺の人」の 主人公の今井通子さんがいました。彼女たちの使っていた道具 写真などが、シルトホルンへ向かうロープウェイの乗り換え駅 に展示してあります。ある観光ガイドがほこらしげに観光客に 説明しているのを聴きました。英語が通じるかどうかわかる はずもなかったでしょうが、そばにいた私たち日本人にも 彼女は聴かせたかったにちがいありません。お時間があったら 行ってみてください。 こんなこと、ぼうふらおじさんはきっとごぞんじでしょうね。 本当にスイスのこと詳しいですものね。すばらしいです。 あ、そうだ。朝8時過ぎの電車日本人団体(なぜかオバサマが おおく、かしましいことこのうえありません。)でごった がえしています。1本ずらすだけで違いますよ。 そうですよね。ぼうふらおじさん。