JCBも頑張っているようです・・・1 参考までにズーッと昔の歩き方からの引用ですが、 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆[2003.12.25]◆◆ ●クレジットカードの“現場”って?● 周りがまたぞろ日本を脱出し始めた。友人Aはハワイ島、ご近所Bはプー ケット。カレンダー最高! ともいわれる今年の年末年始、はい、Sは東京 で優雅に……? お仕事でございます。 きっと、ああいうところの人々もいまごろ忙しいのだろうなあ? 行けば 日本の新聞が読め、旅先の情報が日本語で手に入る。ソフトドリンクが無料 でふるまわれ、くつろげる、クレジットカード会員専用の海外サービスラウ ンジ。お仕事としては、どうなっているのだろう。そこで、今回はJCBプ ラザである。東京・南青山にある同社の国際営業部を訪ねた。 ●コナコーヒーもリムジンの手配も● 「はい、年末年始は1年でもっとも忙しい時期ですね。とくにハワイは、来 訪者がもっとも多いプラザのひとつですから」 阿部友紀さんは現在、国際営業部顧客チャネルグループの主任として、日 本から海外のプラザを支援している。昨年まで約1年半、ホノルルのJCB プラザに駐在していた。コナコーヒーのサービス、レストランの予約、リム ジンの手配など、会員からのさまざまなリクエストに応える。「ホノルルの 場合、月間来訪者数は平均5000人。午前9時から午後8時まで、年間365日、 無休でオープンしてるんですよ」。お仕事の実際については、後ほどじっく り伺うことにする。 ●プラザは海外に30カ所、デスクは17カ所● JCBは現在、海外の主要都市30カ所にプラザを設置している。「第1号 は、90年でした。パリとニューヨークでほぼ同時にオープンしたんです」と 話すのは、国際営業部顧客チャネルグループマネージャーの松下英司さん。 プラザや空港サービスデスクなどにおける、日本発行カード会員のサポート やサービス開発を主に手がけている。「もともとは、旅行会社などと提携し て、海外での会員サービスを始めたんですが、自社運営によるJCBならで はのサービス提供を目的として、JCBプラザを立ち上げました」。 現在も、委託形式をとるJCBデスクというサービス窓口は世界17都市に ある。が、「日本人旅行者の多いところほど、寄っていただける環境をより 充実したいということになりまして」。ローマ、香港、バンコク、シドニー など、次第にプラザの数が増えていった。「北欧観光の拠点としてコペンハ ーゲン、東欧のそれとしてウイーン、などにも設けております」。 ●ネットに携帯 ~その地ならではのリクエストに応える● 「クラシックのコンサートに行きたい」(ウイーン)「いまならやっぱり野 球観て帰らなくちゃ」(ニューヨーク)など、プラザを訪れる会員のリクエ ストは、その地によってかなり異なる。要望にも流行りがあり、たとえば阿 部さんによれば、ハワイではこの2年ほど、エステの予約希望が急増してい るそうだ。「ハワイはリピーターが多いこともあって、自分なりに滞在をア レンジしたい人が多いんですね。パッケージの市内観光でなく、自分でタク シーをチャーターして自由に観光を楽しみたい、といった具合です」。日本 語対応でパソコンを使いたいとの希望に応えて端末を設置し、さらには2台 だったのを3台に増やしていった。「携帯電話をハワイでも、というのが一 般的になっていまして、こちらのレンタルも好評です。1枚のカードで何機 でもレンタルできるようになっています」。
JCBも頑張っているようです・・・2 ●接客窓口はおおいなるメリット● ところでSと編集Tは、パリにプラザが開いて間もない頃、それぞれ立ち 寄った経験があるのだった。が、「新聞だけ、読みに入ったよなあ。不純な 動機!」「私もお茶と地図もらうだけの目的で」……。それなりの場所を確 保し、スタッフを常駐させるには当たり前だがコストがかかる。プラザのよ うな拠点を設けるカード会社のメリットってなんなのだろう? 「まずは当然ながら、海外で直接、時差などを気にせず接客ができることで す」と、松下さん。「ご予約いただいたチケットの手渡しなど、やはり有人 サービスの安心感は代え難い。ただ、私どもとしてもっともありがたいのは、 お客様のニーズを直接吸い上げることができる、という点なんです」 ダイレクトな接客により、会員がいま、なにを望んでいるのかがすぐわか る。ニーズは東京にフィードバックされ、サービスとして開発される。お客 の間で話題のプチホテルや人気のレストランが、まだJCBの加盟店になっ ていないのなら、営業部隊に伝えて攻めてもらう。「銀行などとの提携によ って、加盟店が新たにまとまって増えるケースもあるんです。が、個別には どういうところがよくてだめなのか。マスで加盟店数が増えたらいいという だけでなく、日本人がカードを使いたいところをきめ細かく見ていないと。 そこが、日本のカード会社である私たちの強みだと思っています」。 ●朝9時前から、もう待ってらっしゃるんです● それでは、ホノルル駐在員だった阿部さんの例を通じて、JCBプラザの お仕事を実際に追ってみよう。 駐在員は通常、JCBインターナショナルで採用された現地スタッフと一 緒に働く。「ハワイの場合、接客を週4日続けて3日休み、というシフトで す。営業時間が長いので、早番が9:00~17:30、遅番を11:30~20:00、1日 フルで勤務、と勤務体制を分けてシフトを組んでいました」。 阿部さんは、毎朝必ず8:15に出勤する。東京から届くメールやファクスを チェックし、「無料でお出しするコナコーヒーをインスタントではなくわか しているので、十分に作って、ハワイはお子様が多いので缶ジュースも切れ ないよう揃えて、9:00に万全な状態でオープンできるようにします」。 9:00前にはもう、お客様がプラザの前で待っている。「ホノルル便って到 着が早いじゃないですか。私どもでは貴重品を除き、その日の営業時間内に 取りに来ていただけるならお荷物をお預かりしています。個人旅行の方は、 うちへまず来て、荷物を置いて、そのまま観光に出たい、というご要望があ りますので」。 それから、ひっきりなしに訪れる客に応対する。3交代くらいで昼食に出 て、また接客が続く。「私の場合はプラザのすぐ裏手が家でしたので、帰宅 して食べたりしてました。レストランに不自由することはまあ、ホノルルの 場合ないですけどねえ(笑)」。 ●あの店、この店、取材、取材、また取材● 駐在員である阿部さんの仕事は、接客だけではない。各プラザが毎週情報 を発信する「現地最新情報」(ホームページ上で公開)。ここに載せる現地 情報を集めるために、時間を見つけては街に飛び出す。「私たち“視察”と 呼んでるんですけど、これがなかなか大変でして」。話題のレストランを軒 並み食べ歩く。エステなら体験取材のハシゴをする。「週に1回締め切りが 来るので、休みの日に原稿を書いて間に合わせたりしてました」。 何度も足を運び、納得のいくところだけを選んで紹介する。「レストラン では、注文から料理が出るまでのタイミング、サービスのきめ細かさなど、 かなり細かいところまでチェックします。どれほど注目を集めていても、や はり自分が自信を持っておすすめできないと」。雑誌の切り抜きなどを手に 「ぜひここへ」とリクエストされても、自分ですでに行ってみて、あまりに もお客の期待と違うときは、率直に伝えるようにしていた、とも言う。
JCBも頑張っているようです・・・3 ●サムライカード気質?● 「プラザのスタッフは世界じゅう、そうですよ」と、松下さんが言う。「み んな、とにかくよく動いている。足で情報を取ってくるって感じです」 やっぱり社風ってあるのか? とつい、横入りしたくなるS。『サムライ カード、世界へ』(湯谷昇羊著・文春新書)を読んでいたからだ。 約20年前、「無謀もいいとこ」「ドン・キホーテに終わるだけ」などと業 界の冷風を受けながら、JCBが日本のカード会社として初めて、独自の海 外展開を決断した頃のドキュメントなのだが、読むとこれがもう、とんでも なくって(失礼)!――「頼むから加盟店になってくれ。今日一日でもいい」 とか、「英語力ゼロで出張を命ぜられ、英文で書いてもらった(加盟店契約 の)お願い文をいきなり店頭で読み上げた」――などといった、地を這い、 恥をさらす(失礼)飛び込み営業活動の数々に、抱腹(失礼)しつつも、お お、とうならされた。 「ははは、いまでこそ、海外で使っていただける環境が整いましたが、先輩 方は本当に大変だったようです。私は89年入社で最初は国内営業でしたが、 思い出せばずいぶん泥臭いやり方、してましたよね」 加盟店も情報も、1軒ずつ足で稼ぐ。その気質が活きた結果か、同社では、 「海外とっておき予約サービス」を実施している。旅行に発つ前に、現地オ プショナルツアーやレストラン、コンサートや試合のチケット、美術館など の予約手配をするというものだ(インターネットか電話による受付。予約取 扱手数料あり)。「国内では難しいチケットなども、独自のルートを通じ、 手数料も旅行会社経由などに比べて格安の手数料で行います。これも各地に プラザを持っているからこそのサービスと、自負しております」。 ●予期せぬ“駆け込み寺” ~ 「9.11」のホノルル● 「広場=プラザ」は、緊急事態が起こったときに「駆け込み寺」になったこ ともある。「9.11」だ。ニューヨークでは、本社の指示待ちをせずプラザが 独自に動き、情報を求めて殺到した会員をサポート。結果、皮肉ではあるが リスク管理能力が一気に高まったそうだ。当時阿部さんのいた、ホノルルで はどうだったのか。 「休みで自宅にいたんですけど、呼び出されまして」。とにかく飛行機が飛 ばない。帰るに帰れない。「一日600人近く、お客様がいらっしゃいました。 飛行機が飛ばないのでアメリカ本土から取り寄せる日本語の新聞も来なくっ て」。航空会社の電話はつながらず、ネット上の情報と照らし合わせてその 都度発表する。新聞はファクスで送ってもらい、貼り合わせて掲示する。 「パソコンのサービスを始めていたので、あの時に限り時間制限を設けて、 日本にメールで無事を伝えていただきました。延泊になるので安いホテルに 移りたい、などといったリクエストにもお応えして。1週間くらいパニック 状態でしたね」 否応なしに、鍛えられることになった、と、阿部さんは当時を振り返る。