Re: ラオス:ルアンパバーン→ビエンチャンバス陸路移動の治安

最近では4月にルアンプラバン→シェンクワン→ビエンチャンを車で移動しました。ルアンプラバンからビエンチャンの道路の治安については、最近はよっぽどのことが無い限り大丈夫でしょう。事故は私も毎回1度は目撃します。ぼちぼち雨季ですから、がけ崩れ等による普通はありえます。まあ、幹線道路ですから復旧も早いです。このルートでは道路は90%舗装されています。ルアンプラバンシェンクアンは速くても9時間(バス)は見て置くべきでしょう。シェンクワンからビエンチャンも9~10時間はかかるでしょう。シェンクワン・ビエンチャン間はLAO AIRが週5便飛んでます($4~50でしたか)。
バスは$5~10(LPQ~VTE)。LPQ→VTEはVIPバスというのが1便ありますがたいしたことはありません。車のチャーターはハイエースクラス(5~7人乗り)で市内・近郊1日$3~40、長距離(一日走っているような距離)なら、$200/日くらいと思います。多人数なら却っていいかもしれません。すべて、昼の便で行かないと景色も見れないし、疲れます。この2年間くらいですと、状況はあんまり変わっていません。

蛇足ですが、ジャール平原へ行かれるとの事でしたから参考文を載せます。

・・・・・・・・次にラオスの場合を考えてみましょう。長年にわたり数千人の人々が、ほとんどが子どもや貧しい農民ですが、北部ラオスのジャール平原で殺されました。明らかに民間人を標的にした史上最悪の爆撃地点であり最も残酷なものでした。貧しい農村社会にたいするワシントンの猛攻撃はその地域の戦争とはほとんど関係がありませんでした。
 最悪の期間は一九六八年に始まりましたが、それはワシントンが定期的な北爆(北ベトナム爆撃)を終え、(民衆や企業の圧力で)和平交渉に着手するように強要されていたときでした。ヘンリー・キッシンジャーとリチャード・ニクソンはその時ラオスとカンボジアの爆撃へと飛行機を移動させる決定をしました。
 死をもたらしたのは、bomby「爆弾ちゃん」(babyとの掛詞)と名付けられたクラスター爆弾、すなわち地雷よりもさらに悪辣な小型対人兵器でした。明らかに人間を対象とし、トラックや建物には影響がないように設計されています。ジャール平原は数億個のこうした殺人装置で満ちあふれ、製造会社ハネウェルによれば不発率20-30%の故障品です。
 この数値が示唆するのは、明らかにお粗末な品質管理か、あるいは一般市民をゆっくりと殺害する方針か、です。「爆弾ちゃん」は米国が配備した高度な科学技術兵器(その中には家族が避難する洞窟すら貫通する先進ミサイルも含まれています)のほんの一部に過ぎません。「爆弾ちゃん」による現在の年間死傷者数は数百から「二万」と見積もられています。
 ウォールストリートジャーナル紙の古参アジア通信員バリー・ウェインがアジア版で報告した記事によれば、「年間の全国死傷者率は二万人」で、その半分以上は死者です。だとすれば、その控えめな見積もりは、ラオスにおける危機はその一年だけでも、爆撃以前のコソボに匹敵するものだということを示しています。しかも、キリスト教メノナイト派中央委員会が報告した分析によれば、死者の半数以上が子どもに集中しているのです。メノナイト派は、継続する悲惨な死を少しでも食い止めるために一九七七年以来そこで活動してきているのです・・・・・・・・・・

わたしは政治運動家でも何でも無いのですけど、この4月にシェンクワンへ行った折に、町の様子、景色、人々の対応に何か違和感があったので、帰国してなんとなくシェンクワンについて調べてみました。上記はそこで見つけた資料のひとつです。
クラスター爆弾というものはシェンクワンへ行かれたら、その残骸があちこちに見られます。人々は家の門柱や柱に使ったりしています。こいつはひどいもので、中にテニスボール状のものが数百個詰まっており、その中にパチンコ球状のものが、また詰まっているのです。これが爆発するわけです。
そしてまだそれが不発弾としてラオスに大量に埋まっていることを考えると、なんとも・・・・・・・・・・

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1件のコメント

  • ありがとうございます。

    詳細な情報ありがとうございます。 やっぱりハードそうですね。

    アメリカって乱暴な国ですよね。 ベトナム、インドシナも相当ひどいものですし、イラクなんかの劣化ウラン弾やら刑務所の拷問もひどい話ですし、それ以前に日本の原爆なんて最たるものですね。 アメリカの国内なんかも警官とか暴力的だし、なんかあんまり好きになれないですね。

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