パリで病院に行き、バルセロナから請求し、LAで現金化を試みて、東京で保険金をゲット。 1987年の冬、ケンブリッジ英検特級(CPE)の試験を受けて、 すぐに下宿を引き払い、ベルグラーブ通りのセントジョージホテルに泊まる。 ビクトリアコーチステーションからパリ行きの夜行バスに乗る。 このバスは途中でドーバー海峡を渡るフェリーに接続しているので、寝ることができない。 パリのバスターミナルへ朝到着して、(すぐにマドリッドへ行こうと思っていたので)オーステルリッツ駅へ行って、切符を買う。 ついでに駅のホテル案内所でホテルを紹介してもらう。 駅から近いところがいいから、「歩いていけるところ」と頼んだつもりだったが、紹介してくれたホテルまでの地図をくれた。 その地図とおりに歩いていったが、本当は地下鉄で行った方がずっと近かった(涙)。 眠れないままの移動と、無理矢理歩いたせいで体調を壊してしまう。 一気に身体が赤くはれたようになった。 これではとても列車で移動できないので、列車の切符をキャンセルして、ホテルで寝ていた。 それでも治らないので、英語の通じる「アメリカンホスピタル」に予約を取って、診察してもらう。 診察してくれたのは、博士号を持つ女医さんだったが、 「これはTシャツの染料によるアレルギーだから、色のないTシャツにして、石鹸を刺激の少ないものにしなさい」との診断だ。 薬局で指定された石鹸と飲み薬を買って、領収書をもらう。 確かに色のないTシャツにすると調子がよくなった。 体調がよくなったので、夜行寝台列車でマドリッドへ。 マドリッドが寒かったので、トレドを見てすぐにバルセロナへ移動。 バルセロナでしばらくスペイン語学校に通ったあと、 アンダルシアからモロッコへすすむことにする。 となると、パリの病院の診断書、領収書などを持って歩くのも面倒だ。 そこで、マドリッドからパリのエージェントへ書類を送り、 日本の実家へ小切手を送るように頼んだ。 で、小切手は日本へやってきたのだが、 僕はそれから2年ほど日本へ戻らなかった。 ロサンジェルスへ小切手を送ってもらって、 銀行へ持ち込んだが、 小切手は有効期限が切れて現金化できなかった。 それで、日本へ戻った後、AIUに行って、 結局銀行へ振り込んでもらうことになりました。 だから、診察を受けて、保険金を手にする前に ずいぶん時間がかかったという経験。 みど
注:いまはほとんどが、キャッシュレスで診療を受けられると思います。 昔は、病院の診療代などは、全部自分で立て替えて、それをあとで保険会社に請求する形でした。 しかし、だんだんと保険会社が直接支払いをするようなシステムになってきて、今は、世界中の大きな町ではだいたいキャッシュレスで病院で見てもらえます。 ただ、薬局で購入する薬代などは自分で払って、請求することになると思います。 新しい情報があれば、付け加えてください。 みど