北京。
鉄道駅の外国人専用切符売場で、大声で英語らしき言葉を話していた男性に声をかけられた。
「あ! 日本人の方ですか? あの~切符を無くしてしまって! 『再発行』って英語でどう言えばいいんですかね?」
僕にとって海外で日本人と話をしたのはこの時が初めてだった。
彼は間もなく出発する列車に乗るつもりなのだが、切符を無くしてしまい大至急で再発行してもらいたいという。
僕は翌日発桂林行きの切符を買いにきたところだった。
「再発行」は僕もわからなかったが、ゼスチャーと簡単な単語の組み合わせで売場の係員は理解してくれる。
しかし再発行はできないそうだ。 よく考えてみれば当たり前のことなのだが。
残念でしたねとその場で日本人男性と別れた。
数日後、桂林にてバッタリその日本人男性と再会した。
世界中のどこに行ったって日本人旅行者がいる所というのはだいたい限られていて、だから日程とルートさえ重なれば世界のどこでだって偶然再会することができるものであるということは後々世界を旅してわかったことであり、この時はこんなに広くてたくさんの人間がいる中国でまた会うなんて!とただひたすら感動していた。
一緒に飯でもということになり、駅前の食堂に入り水餃子を山ほど注文した。
彼の名は…聞かなかった。
彼から僕の名を聞いてこなかったからである。
旅行者はこういうとき、名前を聞かないものなのかと思った。
もちろんそんなルールは無かったのだが。
年齢は28歳で職業はカメラマン。
「カメラマン?へぇ~!」
カメラマンという職業を持つ人間と初めて話をしたのもこの時が最初だ。
やはり後になってから自称カメラマンと世界中で会うことになるのだが。
彼はこれからどこへ向かうのか聞いてみた。
僕はすでに一ヶ月に及んだ中国旅行の終盤であり、桂林観光が終わればあとはもう上海へ向かい帰国するだけだった。
「たぶん、ベトナム」
彼がなにを言っているのかさっぱりわからなかった。
ベトナム? たぶん? 僕は彼に今後のルートを聞いたはずなのに国名が返ってきた。しかも「たぶん」ときた。
チンプンカンプンな僕に彼は食堂のテーブルで世界地図を広げて説明してくれた。
それによると、彼はこれから中国と隣接しているベトナムへたぶん行き、次にカンボジア、そしてタイ、さらにミャンマー、最後にはインドへと行くつもりだという。
僕は衝撃を受けた。
こんな所で彼と再会したことにも、カメラマンという職業にも驚いたが、彼の言う「国を越えて旅行する」という発想に本当に驚かされた。
なんたって当時はまだ猿岩石がヒッチハイク旅行で一躍有名になる前である。
旅行といったら一国を見てまわり帰るもんだと思っていた。
それをどこかで聞いたことはあるが何があるのかさっぱりわからないような国をいくつも…そして
最後はインド? カレーのあのインド?
それに「たぶん」という言葉がついているのが無責任な感じでとても魅力的であり、またカメラマンという職業が自由人のようなイメージを感じさせた。
そして旅行期間を聞いてみると、期待していた返事がきた。
「無期限」
もう決定的だった。
いつか自分もこんな旅をやってやろう。
いつか時間のある時に…。
いつかお金のある時に…。
いつかきっと…。
その時はそう思っていた。
この自称カメラマンとの出会いは、翌年からの僕の生活を「旅が日常 日本の生活が非日常」に大きく変えてしまったきっかけの一つである。
彼が切符さえ失くさないでくれていれば、僕のその後の人生はバラ色だったかもしれないのだ。
彼の強烈な関西弁が今も忘れられない
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