第1日目(トランジットAMSにて) 途中、写真を撮って飛行機を降り、乗り換えのゲートに向かう。 お土産物屋さんでドラッグストアを見つけ、例のものを探すが、ない。 困って、後ろから聞こえる添乗員らしき女性の日本語を聞きつけ、「あのーすみません、○○○売っているところご存じないですか?」と尋ねるが「見たことないですねー」 あきらめてゲートに向かった、バルセロナで一番に買うのは○○○だなあと思いつつ。 とても混んでいてようやく入れたが、手荷物でプラスチックの子供のハサミがひっかかる。係りのお兄さんも困惑したように別の人に確認をとり、無事バルセロナ行きの飛行機に乗り込んだ。 もうすでに満席、また最後になってしまった。 中の雰囲気は大阪の慰安旅行の団体が後ろにかたまっているという感じ。ごっついおじさんたちが大声でしゃべり、笑い、記念写真と撮り、歌うといった様子。スペインの人たちなんだー。 時は日本時間の真夜中、子供たちはあっという間に夢の中。出てくるサンドイッチ・ジュースは全部スーパーの袋の中(お持ち帰り)、さすがの私も食べる気がしない。 あっという間のフライトで、子供を起こすが、上は起きても下は起きない。仕方なく上に荷物を持ってもらい、私が下をおんぶする。 飛行機を降りた廊下でなにがなんでも下を起こそうとすると、突然の鼻血。本人もびっくりして目を覚ます。 ターンテーブルから荷物を取って、チェックしないのー?と荷物札をビラビラさせながらドアの外へ。 時間は20時過ぎだがやっと暗くなってきたという感じ。 とりあえず水とジュースを買って、タクシーに乗る。 番地を言い、住所を見せる、30分ほど乗ってコロンブスの塔からランブラス通りを北上、一方通行だから?ここで降りろと停められ、すぐそこだと指差される。 メーターは16ちょっと、なのに24ほど請求された。空港乗り入れとスーツケースで3と知っていたが、黙って支払う。もちろん抗議する言葉をを知らないということもあるが、4ほどのことで初日にけちをつけたくなかったのと、そうやって4ほどでも欲しいんだという哀れみの気持ちと、これから私はアパートに入らなくちゃならない、ホテルじゃないのよ、ホテルなら24時間フロントが開いているからついた時点で安心だけど、私は今から訳わかんないアパートに入らなくちゃならない、うまくいくんだろうかと、そこにきてようやく心配をし始めた次第で、タクシーの4ぐらいにかかわずらえる状況ではありませんでした。 時は21時5分前、予約時に到着は21時と入れておいたし、レセプションがあるって書いてあったからフロントがあるんだろうと思っていたのがおおきな間違い。冷静に考えればあるわけない、でもそう思わなければここまで来られなかった。どうしてもアパートに住みたい気持ちがそう思わせたんだろうな。 さて、前をうろうろして大きな鉄のドアを押したり引いたりしてみるが開くわけがない。 子供の顔が引きつっていく。 隣のお菓子やさんがあいていて、そこへ入り、写真を見せる「ここだよねー」 確認を取って表でスーツケースを抱くように待っている子供のところへ戻り、携帯電話をかける、が気が動転してるのかつながらない。 頭から、国番号を飛ばしたりして、いくつかに掛けるがつながらない。 再度店に入り、掛けてくれと頼む。 お客さんのひとりが電話を手に取りいくつか掛けると「なってるよー」といって電話を渡された。お礼を言うのもそこそこに電話の相手に自分の名前と今ここにいることを伝えたら10分でくると言ってくれた。 ほっとして、電話を切り、子供にここでお菓子を買うようにいうがまだ安心できない様子。グミと袋菓子(これがペッパーが効いていてとてもおいしかった)を買い表で待つこと数分、自転車に乗って彼女がやってきた。英語であーだこーだといいながら中に案内され、EVで3階の部屋の鍵を開けてくれてようやくほっと一安心。 くらーい!見えないジャン! ひとしきりチェックインの手続きをし、残りの支払いはカードでと伝えると明日朝オフィスに行ってもらわなければならないという。簡単な地図と住所を書いてもらって、何事もなければチェックアウトの日12時までに鍵を机に置いて出て行けば「nothing]という。 これが最初で最後よと言わんばかりに「bye!」と言って送り出し子供たちはすぐベッドへ、私はシャワーを浴びて初日の長ーい(31時間)一日は終わった。