06/04/24 17:56

Re: 例えば、「南極旅行記」だけだって、読みたい人が絶対に集まると思いますよ。

ばら茶さん、みどさん一旦閉めたのにすみません。
南極は唯のカナダのツアーですからそんなに苦労はしていないです。
いまさら6年前の事を書いてもみどさんの二の前です(笑)
唯珍しい所ですから質問が出れば答えますが、旅行記などとても駄目です。
みどさんでしたら本を出すでしょが、私は最早金銭的には無欲で元気に長生きしたいこれが最大の欲望です。

私が終戦後すぐ買った本は富山房から出た、白瀬南極探検隊記ですが何処かへ行ってしまったのは惜しいです。7円だったと思います。
私は秋田県金浦町の白瀬探検隊博物館へも行きました。急行が止まらない駅です。
その時に買った南十字星をあしらった南極探検隊旗の複製を飾って有ります。

なお北極圏のグリーンランドの事はyasyasさんがホームページで詳しく書いています。私にはあの才能は無いです。

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3件のコメント

  • EAVOさんは、基本的にわかってないんですよ(涙)。

    >>南極は唯のカナダのツアーですからそんなに苦労はしていないです。

    うーん。

    今の時代、誰も自分に手の届かない
    本格的な「冒険旅行記」なんか、読みたくないですよ。

    そこがEAVOさんがわかってないところなんですね。

    僕は、普通の人がツアーに参加したり、
    普通の人が旅した話を読みたいです。

    それは、「旅行情報」というのではありませんよ。

    旅行情報なんか、旅行オタク以外は、実は誰も欲してません。

    そこが、みんなわかってないんだよなー。

    でも、わかってない人を説得しても無駄ですから、もう止めます(涙)。

    みどりのくつした


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    06/04/25 16:48

    Re: EAVOさんは、基本的にわかってないんですよ(涙)。

    みどさん、その通りです。
    気に入るようなものが書けなくて申し訳ないですが
    大体書くのが面倒なので場所提供で雑談をしているようなものです。

    大体初めから記録に残そうと言う気が無いので、自分の頭に残っている記憶と、撮ってきた何枚かの写真、ビデオで懐かしがっているだけです。

    だから正確なことは書けるわけが無いです。掲示板でレスをしているのは間違いなさそうな事だけです。
    領収書や資料を取って置くようになったのは掲示板でレスをつけるようになってからです。

    初めからこんなに旅行できるとは思っていなかったので、マイレージさえ余り貯めなかったです。

    やはりみどさんとはずれがあるのは仕方がないです。似ている分だけでも気に入ったら取り上げてください。
    私が世界旅行社協会のメンバーでしたら言うことを聞きますが、私も無所属、自由が良いです。
    そうかといって特別嫌っているわけではないのでお間違いないようにお願いいたします。

    私を見込んでも当てが外れますので何方かもっと良い相棒を見つけてください。
    しかし協力できるものがもしあれば避けることはしませんが、余り負担になる事はご勘弁ください。

    今度のAMIGOも色々意見を頂戴しましたが結果的には作りました。

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  • 白瀬さんの

    EAVOさん

    白瀬中尉、いや大尉でしたっけ、の奥さんにお目にかかっています。
    凛とした優しいお母さん・・・でした。

    戦争が始まったときに親の仕事で宇都宮にいました。

    小学生が軍人さんの遺家族や留守家族の庭掃除などに借り出された中に白瀬さんのおうちがありました。 たしか奥様一人のお住まいでした。

    ただそれだけのことですが そのことをかなり鮮烈に憶えています。

    もちろんそれほど大きな家ではありませんが 簡素で清潔なたたずまいでした。

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    06/04/25 17:05

    Re: 白瀬さんの

    タイ国鉄さん、私は暑さが苦手で今年初めてタイへ行きましたが、スパだけ気に入りましたので、又機会を見てそれだけ行くかもしれません。

    ぼうふらおじさん、そうですか白瀬中尉は帰国後借金返しに懸命だったとのことで、
    今でしたらスポンサーがつくのでしょうが、あの頃は本当に探検でした。

    探検隊の募集の際は命の補償なしとなっていたらしいですが、それでも野村船長は国際航路の船長をなげうって応募したそうです。
    明治の男はすごいです。とても足元にも及びません。

    あの頃は日本も勢いがありました。今は今日も隣の大統領にも言いたい放題いわれ情けないです。


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  • 富山房って

    冨山房じゃありませんか。
    失礼かと思いましたが、固有名詞ですので。
    調べてみましたが同じ本が富山房・冨山房のどちらを引いても出てきます。
    最初は別の出版社かと思いましたが、検索の利便のために双方載せているようです。

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    06/04/25 07:04

    Re: 富山房って

    ご指摘の通り字を間違えました。神田神保町に有りました。今でも同じ所かもしれませんが、最近は知りません。

    私は子供の頃から南極は月へ行くように私の手の届かない場所でした。
    今度皆さんに薦められて昨日作りかけのAMIGOのサークル無料場所提供で憧れの月ロケットサターン5型に会った写真を載せてあります。
    白瀬中尉はオーストラリアから180トンの漁船改造の船でロス海から行きましたが、暴風圏突破が命がけでした。

    私は南米南端のウシュアイアから25000トンの客船で行き危険は全く感じませんでした。
    オーストラリアからの暴風圏は海上ですが、南米は丁度パタゴニアに当たりますので、
    南米からの海上は船も大きいですが、そんなに暴風は気になりませんでした。

    最も同じ頃新造の大型客船タイタニック号が北太平洋で氷山に激突したのは映画でも有名になりました。

    私が南極へ行った時は真夏で冬の東京程度の寒さでしたが、氷山は典型的な南極型から少し変形していました。
    ビデオにとって有ります。鯨も1回あいましたが写真は間に合いませんでした。

    今の日本南極観測船白瀬は豪州西岸のフリーマントルに最後の寄港をしますが、
    私はパースの近くなのでオーストラリア横断鉄道インディアンパシフィック号に乗ったときと、
    貨客船で3年前に世界一周した時の2度寄りました。こじんまりまとまった港町でパースから湾内一周の船が出ています。

    子供のときに唯憧れていた事も50年以上たって見ると意外に実現しています。
    月世界征服と言うその頃始まった総天然色のアメリカ映画も見に行きましたが1969年に実現し、

    これは私の事ですが、西部劇の大平原と言うアメリカ横断鉄道開通時の映画も見ましたが、意外に早く乗ることが出来ました。
    白黒の横断鉄道の写真集790円で買って(交友社)今これはなくさずにあります。

    南極も夢を見ていたことです。第一自家用車が持てることも夢でした。皆若い人は将来に悲観していますが、私はもっと良くなると夢を持っています。唯地球温暖化だけは悲観的です。

    私は行けませんが人間が火星に到着するまで生きていたいです。技術的には今でも可能ですが2025年と言われています。
    私が91歳になりますので見ることぐらいは出来るかなと思っています。

    15日に地球の歩き方新宿店の近くでJAXA主催の小惑星イトカワ到着ロケットはやぶさの映画と講演を暇なので見てきました。
    隼戦闘機は糸川英夫博士らが設計した陸軍機で私の10歳違う従兄弟も乗りました。
    一番有名なのは加藤隼戦闘隊ですが加藤少将が戦死したビルマはまだ行っていません。そのうちに行くでしょう。

    又老害と言われる長話つい横道にそれます。死ぬまで直りません。失礼しました。
    今でも80歳過ぎて田舎で車を運転していますが私の目標になる元気さです。