西と東の境は高雄でなく、南廻り線の中央山脈を横断するトンネルの東西の駅です

>台中以南でたくさんみかける「潮州」行きの区間、自強号で、潮州というのは一体どこなのか、最初、そこそこ探しました。西と東の境目は高雄とばかり思っていたのですが、台東より手前のこの駅まで行くのは、何か深い理由があるのか・・・謎です。

潮州は台東の手前の駅というのは読者に大きな誤解を与えるのでカキコさせていただきます。高雄~台東間の鉄道距離のうち高雄から4分の1の距離にあるので、高雄の先の潮州というのが正しいです。

1991年に方(ニンベン)寮~台東新駅間98.3kmの南廻り線が開通するまで台湾西部の縦貫線(西部幹線)は方寮まででした。

高雄と方寮の中間には台湾の主要都市のひとつ屏東があります。
ですからここまで特急が運行するのはしごく自然です。潮州はそれほど大きな街ではありませんが、潮州まで行くのは他の方の説明通り、潮州までは電化されているからでしょう。

台湾はネパールやスイスのように山また山の国ですから、4000m近い高峰も含む3000m級の山が200も聳える中央山脈を横断しないと、台湾は永久に理解できないでしょう。

その本道が蒋介石とともにやってきた国府軍の将兵が多大な犠牲をはかって造った中央山脈横断ルートの東西横貫公路です。

本線は(台中)~東勢~谷関温泉~梨山~タロコ~(花蓮)でバスが1日1便運行。8時間はかかりました。

同じ距離で九州山地を横断する熊本~阿蘇~由布院~別府が半日で行けるのに、台中~花蓮は朝出て夕方に着くほど山が深いです。

大地震で谷関~梨山は今も不通で、谷関でなく、プーリー、霧社の東西横貫公路補助線(他に支線の梨山~宜蘭があります)経由での運行。梨山で乗り継げば1日で花蓮(逆は不可)まで出れます。

この補助線の台湾唯一のスキー場合歓山付近で日本のバス最高所の乗鞍岳畳平2740mをはるかに凌ぐ3275m(前回2750mは訂正)の雲上を走ります。

これは日本では登山以外では経験できないので台湾では必訪のひとつでしょう。霧社の少し奥です。
たいていの日本人は霧社事件の霧社からもどってしまい残念です。

太魯閣が不安でしたら、梨山から宜蘭にも接続バスで抜けられます。この区間は本数も比較的多いのです。
花蓮、宜蘭のどちらに抜けるにしても1日中山道を行くのでややハードです。

台湾第2の高峰3884mの雪山(日本時代名次高山)が眼前にそびえる梨山(2000mほど)で1泊がベストプランかと。
余り行くかたはいないのですが、知る人ぞ知る台湾の桃源郷です。

唯一鉄道で中央山脈を横断できるのが南廻り線です。1991年まで建設ができなかったほど山脈横断工事は難航を極め、8㎞のトンネルんど38のトンネル、188の橋梁の連続で山肌を縫うようにはしり絶景です。

次回の台湾旅行の参考になれば幸いです。

  • いいね! 0
  • コメント 2件

2件のコメント

  • (質問です)「台湾唯一のスキー場合」って具体的には合歓山のどこらへんにあるのでしょうか?

    >>この補助線の台湾唯一のスキー場合歓山付近で
    →すみません。質問があります。
    この「台湾唯一のスキー場」って具体的に合歓山のどこにありますか?
    2年前の1月に合歓山へ登山に行きました。(滑雪山莊に2泊しました。)
    滞在中にあの辺りの山は全部登りました。(合歓山主峰, 武陵, 合歓山東峰, 石門山, 北合歓山)
    それに伴い、「合歓山主峰登山口~武嶺(台湾の道路で一番標高が高い場所)~北合歓山登山口(小風口) 」までの間の国道沿い一帯は歩きました。しかし、スキー場らしきものは見当たりませんでした。(合歓山東峰の斜面にある、日本統治時代のスキー場跡(リフトの支柱や機械室の小屋など)は見ました。)
    そこで質問があります。
    この「台湾唯一のスキー場合」って具体的には合歓山のどこらへんにあるのでしょうか?
    利用者の利便性からすれば、あの国道沿いにあるとは思うのですが・・・。

    ちなみに、私が訪れたのは1月20日ごろでした。朝晩の気温は0℃前後でしたが、雪はありませんでした。(山頂の岩陰の部分などにほんの少しシャーベット状の残雪はみかけましたが。)

    「台湾唯一のスキー場合」に興味がありましたので、質問させていただきました。
    お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。

    • いいね! 0
    • コメント 1件

    現在は営業していないようです

    いつも詳しい旅行記、ブログ拝見しております。

    ご質問のスキー場に初めて行ったのは大学のときで合歓山で降りて、東嶺への途中だと思いますが、松雪山荘の先にあったかと。標高は3200m付近で、400mのリフトがありました。
    再訪したのは近年ですが、スキーは2~3月がシーズンということを忘れ、1月下旬に行ったので、暖冬の影響か付近に雪はなく、スキー場へは行かずにそのまま梨山方面に抜けました。
    いつ営業をやめたのかは知りませんが、ご覧になった日本統治時代のリフト跡というのがそれかと。バス停付近で見た付近の地図には滑雪訓練所?とか載っていたと思います。

    正確には台湾唯一のスキー場があった合歓山とすべきでしたね。
    ご指摘ありがとうございます。

  • まるこさんも

    わからないことがあったら、picoさんに尋ねるといいですな。

    • いいね! 0
    • コメント 0件