今はかなり多いようです

>原住民の人達は台北や高雄にはそれほど住んでいないでしょうから


最近は若い原住民は北市、高市に出る人も多いようです。皆無だった原住民料理やパブ的な店もけっこう増えましたし。

女子十二楽坊台湾版の「無双楽団」メンバーにも確か原住民もいた?と思うし、中高年でもビビアンスー(タイヤル族ハーフ)、1931海の向こうの甲子園の監督(セデック族)なども台北など大都市在住でしょうし。
多様化でもう一言語くらいは車内放送可能でしょうが、大種族のアミとタイヤルがどちらも譲らないでしょうから、日本統治時代の共通語だった日本語で手打ちとなるかも。
日本人観光客にも便利だし。

なぜ、話しもしてないのに日本人とわかるかは、私も気になり、大陸で聞いたことがあります。
まだ、中国がのんびりしていた20年以上前ですが、「そりゃ、すぐわかるよ。あんた、あっという間に中国人を何人も追い抜いただろ!」
中国人も忙しくなった今は足の速さだけでは判別不能でしょうが。

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1件のコメント

  • 退会ユーザ @*******
    19/01/20 14:21

    世代交代

    ですよ。地方では恐らく仕事もないから大都会に出る。でもむしろ台東に多いのではないでしょうか。
    若い世代はもう普通話というか国語ネイティヴでしょうから、原住民の言語を流す必要がないのだと思います。
    ずっと昔の旅行記を読んでいたら、中部の山の集落で道に迷ってしまったとき、原住民のお婆さんに道を尋ねたが、中国語も台湾語も全然通じず困り果てて日本語を使ったら完璧に通じて助かったという話を見ました。もう今はそういうこともなくなったでしょうかね。

    こういう雑談だけならあなたや在冷凍庫のお弟子さんとのレスのやりとりも面白いんですけどね・・いつもこういきたいものです。

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    都会に出た原住民はどこへ?

    100万都市が6つもある西海岸とは比べ物にならないですが、東部では花蓮が最大の都市ですから、アミ族は花蓮&タロコ峡谷の高級ホテルの従業員などに多いです。

    台東はアミのほかヤミ(タウ)、ピュマですね。中央山脈東側居住民族は東部ではまずは花蓮か台東に出るようです。
    東側居住民族はルカイとパイワンは屏東、高雄、台南、阿里山のツォウ族は嘉義や新営、ブヌンは台中、タイヤル、セデックは台中、花蓮、台北が多いようです。

    旅行先のブヌン族の教会ミサに出た日本人が書いた1970年ころの旅行記では、他種族の牧師がだれにも通じる共通語として日本語で説教してて面白かったと言ってますよ。お年寄りは新しく覚えたばかりの北京語は苦手で、種族の言葉と共通語としての日本語しかできない方が多かったそうです。
    ブヌンの集落にも台湾人はいるし、一般台湾人は台湾語と日本語だったから、すべての住民が理解できる日本語での説教のとなったようです。当時は相手が中高年なら日本語だけでほぼ不自由なく旅行できたそうで、せっかく覚えた北京語も、返事が全部日本語で、北京語が上達しなかったそうです。
    若い人&外省人には通じなかったので日本語通用度は40~50%くらいだったようです。

    今でも80代以上は日本語世代ですから、日本人が言葉が通じなくて困っているとどこからか「どうしたの?」と日本語が聞こえて、老人が助け舟に出るという話は枚挙にいとまがないですよ。今でも日本語通用度は5~10%はあるでしょう。80~90代から外省人を引いて、年間400万の訪日客の1割は居そうな日本リピーターを足すと。
    世界で一番日本語が通じることは間違いないでしょう。