ローワルディルとペシャワール

<ローワル ディル>
彼の家にコジマさんと2泊。イスラマバードから4~5時間程だったか。ここでは服装を貸してもらいストールをして歩く。外に出る時には余り喋らず笑うなと言われた。泊まった家にはいとこやおばさん達が住んでいた。全身を隠すブルガもかぶらせてもらう。全身を覆ったり目だけ出す習慣は日本人にとって異様な光景だがその人々はとても優しいお母さんや活発な女の子達だった。親戚のお宅にもお邪魔する。

子ども達とキャッチボール?をする。ボールの代わりに草履、バットの代わりにほうきの先で。皆から拍手をもらう。

ペシャワールへのローカルバスがあるらしい。それに乗って向かう(300R)。2時間程。コジマさんは彼らと違う街に向かった。

<ペシャワール>
タシュクルガンで会ったペシャワール在住の男性から聞いていたAmin Hotelに2泊。彼の名を出すと2000Rを600Rにしてくれた。ペシャワールはシャルワールカミーズを着てストールを巻いていなければいけない。男性に「なぜラホールはストールをしなくてもいいのにペシャワールではダメなの?」と聞くと「カルチャーだ」といった。全身を隠したお婆さんの方を見て「あれは古いカルチャー」若いストールの女の子を見て「あれは新しいカルチャー」と言っていた。ペシャワールの古い建物はとても趣があった。アミンホテルの前の大きな道路やシュバチョーク辺りにはペシャワールを走るメトロバスの高架道路を作っている。凄い砂ぼこりが立ち込めていた。人々は本当にフレンドリーで日本人と伝えると皆喜んでくれた。立ち止まって話をすると「チャイを飲んでいけ」と言ってくれる。「日本の旅友にペシャワールはとてもいい街だと伝える」というと顔をほころばせていた。

ご馳走になった氷入りのヨーグルトがいけなかったのか、体調を崩す。セティハウスを見ている時も歩けなくなりスタッフの若い青年に身体を支えてもらって歩く。リクシャでやっとの事でホテルに帰る。前日会った男性と話をしようと約束していたのでしんどかったが電話する。弟さんとホテルまで来てくれて近くで話をしたが気分が悪いのがピークになって起き上がれなくなる。長椅子?に横になっていて起きようとすると吐きそうになる。バイクの男性が後ろに乗って行けと言ってくれたがムカムカしてそれにも乗れない。ホテルは近くなのにうずくまってリクシャで送ってもらう。部屋まで支えてもらい「医者に行け」と言われたが胃薬と抗生物質を飲んで様子を見る。ずっと調子のよい旅ができていたのに最終日にどーんと落っこちてしまった。午後から何度も吐いたが熱と下痢はなかった。あんなにしんどい思いは何十年も味わっていない。薬で何とか落ち着く。

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1件のコメント

  • 素敵な街ペシャワールは優しい人ばかりだった

    最後にホテルまで送ってもらった友人に挨拶もしなくて帰ってしまったのでまたペシャワールに行こうと思う。
    本当に素敵な街と人々だった。

    パキスタンの人は話始めると「結婚しているの?何の仕事をしているの?子どもは何人で歳は?」と聞いてくる。反対にこちらから家族の事を聞くととても嬉しそうに話してくれて写真まで見せてもらえる。電話番号も教えてくれる。
    怖がらず「アッサラームアライクム」と大きな声で言えば皆笑顔で接してくれた。

    <イスラマバード→帰国>
    ペシャワールからラワルピンディーにローカルバスで向かう(250R)。時間的にはダーウーのバスと変わらないらしい。2時間。ロ―カルバス停はアミンホテルの前の道を東へリクシャで5分~10分。マイクロバスでエアコン有。乗った時ハエが30匹くらい飛んでいた。ラワルピンディーからイスラマバードまでタクシーに乗る(700R)。イスラマバードには2つの空港があるがどっちに行くのかと若い男の子が聞いてくれる。タクシーの値段もちゃんと確認してくれた。ペシャワールの青年たちは本当に親切だった。


    イスラマバード→北京の機内でも食後に1度もどしてしまうが北京でお腹がすいて来た。捨てようと思っていたカップ麺が1つリュックに入っていたので空港でお湯を入れて恐る恐る食べる。美味しかった!フォークは食堂のお姉さんに「プラスチックのフォーク、貰えますか?お金がないのですが」と頼む。ナプキンにくるんで快く渡してくれた。

    最後の最後に北京から関空に戻る時に関空はまだ閉鎖されていて飛んでいないと言われたので名古屋空港に向かった。新幹線で京都駅まで帰ってきた。旅は家に着くまで何が起こるか分からないと改めて実感。

    どうなるか不安だったパキスタンの旅は200パーセント楽しい旅になりました。体調を崩したこともいい経験です。

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