Q&A

北朝鮮 新義州への訪問

公開日 : 2007年09月14日
最終更新 :

新義州生まれの知人がいます。
彼は死ぬまでに生まれ故郷の土を踏みたいと願っています。

飛行機嫌いの彼は、南北の鉄道がつながるというニュースを喜び、一日でも早くその実現を願っていました。
しかし、つながることはつながっても、その後の動きは遅々として、彼の残された時間だけが消費されてされていくばかりです。  

この十月の韓国大統領の北への訪問は鉄道がだめでも、陸路でということだそうです。聞く処によれば、このルートは年間数十万の人が往来しているそうです。

そこで質問があります。

1. このルートは日本人も利用できるのでしょうか?
  利用できるなら、どのような手続きをしたらいいのでしょうか?
  または、どこに問い合わせたら詳細がわかるのでしょうか?

2. 1.のルートが駄目な場合、北京で北朝鮮への入国手続きをすることになるのでしょうが、実際に経験なさった方がいらっしゃいましたら、その流れをお聞かせ願えないでしょうか。

老知人の最後の願いを叶えてやりたく、よろしくお願いします。

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4件のコメント

  • 北朝鮮新義州市入境

    北朝鮮の新義州市には、1992,1995年の2回行きました。特に2回目の北朝鮮旅行では、新義州市には特別
    平壌から陸路往復しました。(往復440キロ)道路の舗装はされていません。

    新義州市は国境の街として、朝鮮人の人でも、市の入り口には安全帯詰所があり入ることはむつかしいと思います。

    戦前の街の街路状態は残っており、統治時代の建物も多く見られます。

    主なものは、道庁、府庁、女学校、税関、測候所、中学校、小学校、道立病院、王子製紙工場、東中学校などです。

    駅舎は消失し、新しく立て直して「新義州青年駅」と呼称され、駅前広場には「金日成銅像」が建てられていました

    町筋は戦前の面影を残し、建物は米軍の爆撃で新しい物が建てられていました。

    鴨緑江の流れあh同じく、対岸の中国遼寧省丹東市との交流は鉄橋や船舶で頻繁になっているようです。








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  • 07/09/15 16:26

    Re: 北朝鮮 新義州への訪問

    皆さんもおっしゃるように、朝鮮旅行を扱っている旅行社にまず相談することです。
    新義州市は地図を見ればお分かりのように、中国との国境鴨緑江南岸の都市です。したがいまして、中国遼寧省丹東市が対岸で、両市は鉄道で結ばれています。北京発平壌行の国際列車は両市に止まります。ですから、この鉄道利用で陸路で行けるかどうか旅行社に相談なさっては如何でしょうか。
    なお、中国へ飛行機利用がだめなら、天津市へ船で行き、ここから鉄道で北京に入る手もあります。日数はかかりますが。

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    Re^2: 北朝鮮 新義州への訪問

    みどりのくつした様、高島たいら様、km45様 こばんは。
    早速のレス、ありがとうございました。

    今日のニュースによれば、ヒル国務次官補が直接当事国による平和条約締結を提案し、日本では福田さんが首相になりそうだしと、急ピッチの展開も予想されそうです。

    理想は韓国から入り、中国へ抜けるですが、日本にある旅行社は今のところおざなりのツアーしか提案しないし、それに料金も高すぎます。
    皆様に教えていただいたことを胸に、北京でのトライも視野にいれ、再度、日本にある旅行社と交渉してみます。

    ほんとうにありがとうございました。

  • 北朝鮮に住んでいた人々

     スモーカーさん、こんにちは。

     私の友達に母親が「へいじょう」生まれだ。という人間がいて、その人の同居していない母親(おばあちゃん。やはりへいじょうで暮らした。)と二人で、テレビのニュースで「平壌」が映されると電話で「へいじょうが映っていたから、もう一回映すかも知れないので、今日の何時のニュースを見て。」と電話でおたがいやり合っている。という話を聞いて、大変だなあ。と思ったことがあります。最近は苦労しないでしょうが・・・・いずれにしろ自分が住んでたあの路地とかは映し出されないですしね。

     カーター訪朝直後の94年に私自身も行ったのですが、開城の日本人会関係の人が一緒にいて、その人が「開城の自分が住んでいたところ、通っていた学校に行きたい。」というので、いろいろと側面手伝いをしました。
     
     開城についてから、団体旅行ですが、事情を話して車を一台チャーターして回ることになりました。(多分、お金は取られていないはずです。この辺の融通は案外きく国です。)、地図とにらめっこしながら、「ここにこういう建物があるはずだ。」「いや、今はそんなものはない。」とか議論しつつ、ルートを決めて出かけて行ったのですが・・・・途中、かなりむりやり交渉しつつ回ったらしいのですが、本人は「消化不良」という感じで帰ってきました。

     開城名物の白菜を生でみそをつけて食べる料理が出たところ「戦争中でも日本人も朝鮮人もこんな貧しい白菜の食べ方はしなかった。」と怒っていたり、「あそこに開城神社の鳥居が立っていた。」と偉大な将軍様のライトアップ銅像のところを指差したり、李王朝のきっかけとなったイ・ソンゲの事件現場「善竹橋」に「戦争中も当時(17世紀?)の血痕のあとが残っていた。」「そんなばかな・・・・」と現地に行くと、ほんとに橋の真ん中が赤かったりして、ガイドブックでは分からない解説を聞けて私自身は勉強にになりました。

     で、話を戻しますが、やはり北京の北朝鮮大使館の領事部(正確な住所は忘れましたが、調べれば分かります。セント・レジスとかがある大使館街の一角です。)に相談するのが一番いいと思います。あそこが日本人の旅行者を一番扱い慣れていて、いろんなリクエストに答えられるのと、適当な旅行会社も紹介してくれると聞いたことがあります。ただ、今年の10月までは「経済制裁中」なので、とりあえず制裁解除になるかどうか、日本人の渡航制限が解除されるかどうか。は見た方がいいと思います。ただ、日本の法令をどう見るかは最後はご自分の責任です。

     一つアドバイスとしては、交渉に強い人が同行してあげることです。インドあたりで鍛えている人間だと、なおいいか・・・というのも、いろんな制限をしたがるので、「だめだ。ここも行きたい。」というのをかなり強引に言わないと、向こうのペースにはまって、見たいものが見れなくなるからです。「昔の・・・・」というのは、向こうにとっても「複雑な感情」があるのは事実なので、そこをうまく調整しつつ・・・というのがポイントです。

     われわれの旅行のときも、最後は若いガイドをレストランに呼び出し、「いっしょに貿易会社をやらないか?」とオルグする人がいて・・・・数人で囲んで、「資本主義の真髄」を吹き込んだのですが、・・・・こんなわけの分からない日本人を大勢相手にして、先方はかなり「染まってきている」のは間違いないですし、「思想教育係」はたいへんだろうなあ。とつくづく同情しました。

     新義州は帰りの北京行きの列車がバスポートコントロールのために停車したので、窓から眺めました。隣の中国の丹東に比べれば・・・・両国の経済力が一目で分かる街です。

     政治情勢を眺めつつ・・・実現にがんばってください。


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  • 北朝鮮系の旅行代理店に相談すれば、たいていのことは出来ますよ。

    僕は中外旅行社のツアーで北朝鮮へ行きました。

    北朝鮮旅行記(1997)
    http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/north_korea/dprk.htm

    その時に、いろんな人と話しましたが、
    北朝鮮旅行というのは、ツアーという形をとれば、
    たいていのことは出来ます。

    ツアーとはいっても、
    個人旅行と同じで、
    ただ、ガイドさんがぴったりくっついてきて、
    旅行予定が決まっているというだけです。

    ですから、旅行代理店に相談すればいいでしょう。
    僕が使ったのは、

    中外旅行社
    http://www.chugai-trv.co.jp/

    僕は名古屋空港から平壌へ高麗航空の直行便でしたが、
    ウラジオストック経由、
    北京経由、
    などいろいろあるようです。

    北朝鮮旅行中には、
    北京で北朝鮮旅行を手配してやってきた日本人旅行者の一人旅にも会いました。
    といっても、ガイドさんと一緒でしたけれど。

    まず、旅行代理店に相談することです。

    その他こちらも北朝鮮に強いです。

    KACツーリスト
    http://www.kac-t.co.jp/

    みどりのくつした

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